手塚治虫という神話

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 手塚治虫というと、何か“リベラル”で“民主的”な作家の代表のように取り扱われる傾向があります。特に彼が亡くなった後、雨後の筍のように出された玉石混交の「手塚本」においてその語り口はみるみる型通りのものとして形成されてゆきました。

 そのような傾向自体に、今のこの国のマンガの語られ方が構造的に反映されています。いや、もっとはっきり言いましょう。そのような言わば「手塚性善説」に考えなしに依拠したままの神話形成に対して、申し訳ありませんが、僕は「ホントかよ、それ」という意地の悪い視線をはっきり投げかけます。はたから見ている限りでは、何より当事者であるはずのご遺族などが最も率先してそのような傾向を助長しているきらいさえある。著作権などをめぐるさまざまな事情があることは推測できるにせよ、しかしそれは、たとえば長谷川町子と『サザエさん』をめぐるあの自閉した不自由さにもつながるものであり、これから先の手塚研究に対する障害にもなりかねない、と敢えて言っておきましょう。

 このような雰囲気が醸成されていった理由はいくつかあると思いますが、とりあえず重要なのは、手塚治虫にとってのマンガとはまず何より「子供」のためのものであった、ということでしょう。当時のもの言いで言えば「児童マンガ」。まさにこの「児童」というあたりがキモです。

 たとえば、昭和三四年の早生まれである僕の手塚体験は、光文社のカッパコミックス版『鉄腕アトム』です。B5版のあの赤と黄色で縁取られたボール紙の表紙裏に、毎号当時の文化人や有名人たちが「私とアトム」というエッセイを寄せていました。児童心理学者の波多野完治や教育評論家の“カバゴン”阿部進、それに古今亭志ん朝なんて人もいたように記憶します。なんでこんなことを覚えているのかというと、そういう偉い大人たちも自分たち子供の読むこんなマンガを一生懸命読んでくれているということが、当時幼稚園くらいのガキだった僕の意識の中でさえも権威として感じられていたからです。そして、そういう権威の光り輝く向う側に作者手塚治虫もいた。当時すでに手塚とそのマンガは、あらかじめそのように権威づけられ正当化された“文句なく正しいもの”として存在していました。後に一気に加速する“リベラル”で“民主的”な手塚像が形成される下地は、マンガが雑誌やテレビなどを介して広汎に受け入れられ始めたその頃からすでにもう準備されていたとは言えないでしょうか。

 「子供」の、「児童」のために栄養のあるお菓子としてのマンガを――手塚に限らず、彼らの世代のマンガ家たちが概ね共有していたらしいその誠実さは、しかし、同時に描き手である「大人」の自分たちの内実を縛る手かせ足かせにもなりかねないものでした。

 だからこそ、僕は手塚が「青年」に向かって描いた作品が好きです。すでに「子供」や「児童」ではない読者。セックスに興味もあれば、世間のゼニカネの現実だって知っている。といって、まだ家族や将来の問題について切実に感じるところにまでは立ち至っていない。東海林さだお福地泡介といった描き手による初期のサラリーマンマンガは、まさにそのような「児童」の成長した果ての「青年」を想定したものだったはずですが、しかし、と言って手塚はそこにまっすぐには行かない。独身の青年サラリーマンが登場して、いわゆるサラリーマンマンガには決してしないし、ならない。そのしぶとさしたたかさはさすがにただものではありません。技法的な問題などはひとまず棚上げしましょう。“おはなし”としてのテンポの良さや、語り口の洒脱さをまず味わって下さい。

 たとえば、『ペックスばんざい』。ゴミを集める習性を持ちネズミ算式に増える、男女の性器の形をした不思議な生き物ペックスをめぐるドタバタの顛末を描いた、当時流行ったSFのショートショートのような味わいのある短編です。あるいは、『くるします・いぶ』。日本でクリスマスをやることに反対するゲバサンタの気まぐれで、貧乏サラリーマンに押しつけられたツケウマの色っぽいこと! その他、このような「青年」向けの小品は六〇年代末から七〇年代初めにかけての時期に集中的に描かれています。初出は、当時新たな市場を獲得し始めていた『漫画サンデー』などの青年劇画誌ですが、自分たちと同じ「青年」を読者に想定し始めた当時出てきた若い世代の描き手たちに刺激された部分は少なくないはず、と僕はにらんでいます。この負けず嫌い。この貪欲さ。刺激され、駆り立てられ、おそらくは猛然と嫉妬さえしながら「青年」という新たな読者に向かって、すでに身につけていた卓越した“おはなし”の手練手管をフル稼働させて描こうとしたこれらの作品が指し示している可能性は、結局十全に花開くことはなかった。しかし、僕にとってはやはり、長生きした後の老手塚にもっともっと描いて欲しかったジャンルなのです。

*1:世界文化社から出た『手筭治虫をもっと知りたい』というムック本の依頼、だったかと