書評・湯浅 学『人情山脈の逆襲』(BIプレス)

 ベースはひとまず音楽。ロックからブルースとR&Bへと黒くなり、同時にインディーズ系へも淫していった経緯が推測される。これにお笑いと芸能とプロスポーツ。さらにマンガや映画やアートやテレビやその他もろもろのサブカルチュアへのとても常人の及ばぬ偏りきった愛と思い入れとがこれでもかとぶちこまれ、情け容赦なくひっかき回される。

 盟友根本敬と共に「幻の名盤解放同盟」を立ち上げ、凡百の比較文化論や“良心的”ジャーナリズムをほぼ九割方勝手に撃破した名著『ディープコリア』をものし、最近はポンチャックを精力的に紹介もし、なおかつ自らバンド活動も行うというこの著者の趣味のほどがしのばれる。その批評眼の赴く先は、そのような“何でもあり”が眼前の事実として展開してきている「日本」という現実。そんなことどこにも言葉として書かれちゃいないけれど、まっすぐ読みゃちゃんとわかる。もっとも、この傍若無人な文体と唯我独尊な味つけに辛抱して最後までつきあい切れるだけの度量が読み手の側にあればの話だが。

 実は「幻の名盤解放同盟」の仕事には、かつて平然と歌謡曲市場に流れていたB級商品音楽が表現する「日本」の異様さに反応する敏感さに敬意を払いつつ、しかしその異様さの背景にあるはずの「歴史」に対する関心の希薄さにおいて若干の違和感があった。彼らの発掘した名盤のひとつ「スナッキーで踊ろう」の成立事情をさぐる企画をテレビでやったのもその違和感ゆえだ。けれども、ここではその「歴史」への無関心が逆に「現在」の再編成を支えている瞬間もある。所収の108のモティーフの中で、繰り返される“本尊”勝新太郎へのオマージュは別格としても、寺内タケシ、うたごえ酒場、とんかつとんきなどはその成功例。おい、こりゃジャーナリズムだぜ。

 カバーフラップの「著者近影」、韓国とおぼしき異国の街角でオヤジ顔した雑種犬を後ろから抱え、犬公は前肢を突っ張り指も開ききって明らかに迷惑な様子なのだが、その背後で笑みをたたえる著者の顔つきが妙につるんとしていて四十路直前の男にはとても見えないところが意外な味わい。この年齢不詳な顔、この童貞のようなたたずまいでこそ、「勝新太郎原理主義者」を名乗り「幻の名盤解放同盟」を切り回すあやしくもポンコツな情熱は宿る。納得の一葉だ。