酒鬼薔薇の周辺、に告ぐ

 かの神戸の一件について、案の定「教育」のせいや「家庭」のせい、果ては「社会」のせいにするもの言いが一部で流通し始めている。

 反吐が出る。親ですら何してるかわからなかったものを学校の先生がわかるはずがない。まして社会が知ったことか。なのに、この期に及んでまだそんないきなりの大文字で「学校教育の責任」だの「社会の矛盾が反映」だのとぬかして悲痛な顔して見せるコメント芸人の評論家たちなど、ほとんど社会の敵だ。

 子どもが親の知らない現実を生きざるを得なくなって久しい。娘が売春してたってわからない親までいるご時世だ。で、思い切り開き直って言えば、もはやそれも仕方のないところがある。家庭どころか学校も地域も、「くに」さえもが「われわれ」という共同性を支え切れなくなっている。そんな現状で、ボヤくばかりでなく何か具体的な足場を再生しようとしたら、やはり身近な関係からやってくしかない。

 だとしたら、言うよ、神戸・友が丘中学校の生徒諸君。親や教師や教育や社会などよりもずっとずっと先に、もはやあんたらこそが、今回の事件の最も責任ある当事者だ。 猫をいたぶり殺すようなヤバい奴がすぐ横にいたのに、なんでこうなるまでほったらかしにしてたんだ? みんなうすうす知ってたんだろ? あいつのやってることをみんな眼の端で見ていたろ? なのに、誰も正面から向かい合わなかった。おまえ、それはヤバいんちゃうか、と言えなかった。たとえ「見て」いてもそれっきり。遠巻きにしながらきっちり日常では友だちぶりっこ。そうやってあいつをなかったことにしながら、存在自体を陰微に消費していたんだろ? そうしておけばとりあえず教師や大人には叱られないと思ってたんだろ?それって、柳美里のあのけったいな勘違いを諌めもしなかったメディアの「民主的」差別と全く同じ。俺、こういうのが一番ムカッ腹が立つのよ。

 四十路近くのオッサンが言うのも今さらだけど、これは本気だ。大人がもう何の頼りにもならないと思っているあんたらはかなりの程度正しいし、実際そういう現実をあんたらは生きてくしかない。だとしたら、もうてめえらで勝手にしっかりするっきゃないだろ。もう今の世の中、たとえあんたら中坊だって身にふりかかってきた災難はまずてめえらで何とかするしかなくなり始めてるんだよ。このむき出しの市場の論理のまっ只中に何の準備もないままいきなり「個」として放り出される。家庭も学校も何ひとつ逃げ場所にならない。「豊かさ」任せ、およそ考えなしに野放図な「自由」だけを暴走させた果ての社会ってのは、きっとそういう地獄だ。

 だから、まずとっととあきらめな。思い切り前向きに。きっとそこからしか未来は何も始まらない。なにせ地域では評判の進学校だったってんだろ。お約束の塾通いも、そんなクソの役にも立たない偏差値をためこむためだけにやってるなんてのは、もはや一番カッコ悪いことなんだぜ。