岩下俊作選集、のこと

 もともとそういうタチではあったのだけれども、この春に勤めを辞めてこのかた、パーティーとか宴会、果てはちょっとした呑み会の類に至るまで、とにかくそういう場に顔を出すことがとことんおっくうになってしまっている。

 これではいかん、ただでさえ人からうっとうしがられる芸風らしいのに、義理を欠かない程度のつきあいはマメにしておかないとあっという間に食いつめるぞ、てな世間並みの打算もそれなりに持ち合わせているつもりだけれども、でもさあ、そんな身につかない宴会トンビみたいな真似してみたところで今さらこの真綿で首しめられるみたいな生きにくさがいきなり好転するわけでもないしさ、とふて寝しちまう自分ってのもありまして、電話も留守電にしたまま仕事場で丸くなって現実から逃避していることの多い今日この頃であります。

 とは言え、万難を排してここは断固出かけてゆかねばならない、という決心で出撃することもある。事実、先日は九州の小倉まで出かけて、あるパーティーの末席に連ならせていただいてきました。

 かつて、岩下俊作さんという作家がいた。俗に「無法松の一生」として知られる『富島松五郎伝』の作者だが、この岩下さんの選集が、地元の関係者の努力で亡くなって一七年たった今年ようやく出版された、その出版記念パーティーが開かれたという次第。

 一昨年の秋、『無法松の影』(毎日新聞社)という本を出した。その時「無法松の一生」の作者であるこの人のことも少し調べたことがあって、小倉の図書館に残されている資料を読みに通ったり、あるいは生前の岩下さんにおつきあいのあった方々に話をうかがったりもしていたので、おそらくそんなご縁からなのだろう、僕みたいな人間のところにまでわざわざ招待状を頂戴していた。こりゃあなた、何が何でも行かねばならないじゃないですか。

 『九州文学』という同人誌を中心にした文学サークルがやたら元気が良かった時期があった。作家としては『麦と兵隊』の火野葦平が最も有名だけれども、彼だけでなく、岩下さんや劉寒吉さん、矢野朗さんといったいずれ劣らぬサムライたちが群れ集っていた。それはおおむね昭和の初めから十年代あたりにかけて、まさに戦争のまっ只中の時代に、北九州という新興工業都市に育まれた濃密な人間関係の中に宿った才能たちだったと僕は思っている。

 その岩下さんたちが明治三十年代から四十年代の生まれだったから、彼らと生前つきあいのあった人たちも今や若くても六十代から上。事実、会場もそういう世代の方々が中心だったけれども、お話を聞いていても、「文学」が地域と密接にからんだそういうサブカルチュアの盛り上がりと共にあった時代の雰囲気を強く感じて感慨深かった。

 岩下俊作選集は北九州都市協会の発行で全5巻。第1巻は「富島松五郎伝」はもちろん「対州まだらの唄」と「辰次と由松」が不肖大月、イチ押しのおすすめであります。