「無用の長物」の消息について

〈敗戦後という状況の中で輝いた「民俗学」〉

 柳田国男が構想した大衆社会の内側からの「歴史」の回復運動について、ご紹介がてらに語ってきました。

 一九二〇年代から三〇年代にかけての大衆社会化が進展してゆく時期に運動として立ち上がったそれは、当初は主に民間伝承の学というような呼び方でだけ呼ばれていましたが、敗戦後、はっきりと「民俗学」を名乗るようになります。それは、皇国史観に縛られた戦前の歴史学が一挙に自信を喪失し、そしてまたその反動として一気に別のものに頼ろうとし始めていた右往左往の時期に、われわれの仕事こそが次代の「日本」を編み直すための知恵の源泉にならねばならないという使命感が介在してのことだったはずです。同じ頃、すでに老境に達していた彼が、次代の日本を担う子どもたちのために「社会」と「国語」の教科書を独自に編纂したのも、同じような使命感ゆえだったと僕は思っています。

 「民俗学」という正面から「学問」を標榜したもの言いには、単なるある新興の学問分野の看板やインデックスというだけでなく、そのような時代状況との関係において何か鋭角な意味が込められていて、そしてそれもまたすでに「歴史」として眼の前に横たわっている。共産党の志賀義雄が当時、民俗学の入門書を書いていたり、あるいはまた、花田清輝が早い時期からかなり本質的な柳田国男理解をしていたりしたことも、そのような敗戦後の状況の中で「民俗学」がどのような理解のされ方をされ、柳田国男に代表される民俗学関係の書物がどのような読まれ方をされていたかについて、もういちど検証しようとする視線から初めて十全にとらえ直されることだと思います。


〈「歴史」と「むかし」の間に横たわる距離〉

 とは言え、当初の問いはひとまず〈いま・ここ〉のわれわれであり、そのようなわれわれにとっての「歴史」の回復です。

 そのような「民俗学」にすでに埋め込まれてある「戦後」の影――それはほどいてゆけば、きっと「豊かさ」や「アメリカニズム」や「サブカルチュア」や「日常性」といったいくつかの要素に分解できるはずだと思いますが――を言葉にして発掘してゆく手続きのためには、いささか迂遠な道筋をたどらなければならないらしい。ならば、その「民俗学」というもの言いに対して、今の世間は何を、どのように期待しているかというあたりから手をつけてみることにしましょう。

 まず考えられるのが、ごく素朴なノスタルジーといったところでしょう。言い換えれば「なつかしさ」を喚起し、そして同時に癒してもくれる装置としての期待ということです。

 事典的な乾いた言い方をすれば、農村であれ漁村であれ、少なくともそのような一次産業が支配的な生産手段であった時期のムラ=コミュニティの生活文化のありようを教えてくれる、ひとまずそんな学問として民俗学はとらえられていますし、また民俗学者自身もそのような自己イメージを持っている。近代化の問題を民俗学の内側から問うことができない不自由があるのも、そして同じように〈いま・ここ〉の問題を意識化してゆくことができないのも、そのような自己イメージに民俗学者自体が完全に呪縛されているからに他なりません。

 とは言え、そのような脈絡で民俗学から世間に向かって発信される内容はそのままに伝わるものでもない。農山漁村のかつての暮らしぶり(とされるもの)を、抽象化された言葉でなくより具体の水準からだけ羅列してゆくようなその民俗学的記述のありようは、それが具体であるがゆえに全体的な「理解」に届きにくいものにもなっています。ですから、それらは通常「なつかしさ」という意味にまぶされて、初めて人々の意識にうまく呑みくだされるようになっている。

 たとえば、ここ十数年で一気に増えた市町村レベルの民俗博物館や郷土資料館といった小さな展示施設に典型的に現われているような「なつかしさ」のプロモーションを思い起こして下さい。そこには「今はもうなくなってしまったけれども、少し前までは現実にあった暮らし」が充満しているのが常です。「民具」というもの言いでひとくくりにされた“もの”たちが、それら“もの”が現実に取り扱われていた文脈からひとまず全部ひきはがされて、ただその「今はもうなくなってしまったけれども、少し前までは現実にあった暮らし」を再構成するための素材として並べられている。鍬であれ、鎌であれ、石臼であれ、椀であれ、それら具体としての“もの”たちから読み取られるさまざまな意味というのは、まず「なつかしさ」というところで落ち着かされてゆくしかない。

 もちろん、それらは博物館あるいは資料館という場に置かれている限り、その「なつかしさ」の手前に「科学的」であることや「事実」であることなどをより一次的な意味としてまつわらせている、そのようなものでもあります。けれども、いかに「科学的」な体裁を整え、「事実」であることをもっともらしく示した展示になっていたとしても、その場に身を置いた人々に実際に読み取られてゆく情報というのは、それら「科学的」な「事実」が期待するような「歴史」ではなく、むしろそれとは対立するような漠然とした「むかし」であることがほとんどであり、その限りにおいて「なつかしさ」だけが残るようになっている。

 どうやら、そのような「なつかしさ」を直接の媒介にした理解がたやすくできる過去と、そうでない過去とがある、僕はそのように感じています。民俗学的な過去、いや、もう少し広げて生活文化史的な過去とでも言うような広がりと、うまく言えないのですが考古学的な過去や自然環境史的な過去とでも言うような広がり。明治時代や大正時代に使われていた糸車や箪笥に「なつかしさ」は発動できても、銅鐸や埴輪、さらには動植物の化石などに「なつかしさ」を抱ける感覚というのは、少なくとも世間一般の人々としては当たり前のものではない。けれども、そのどちらもがこのような博物館や資料館における展示の脈絡では共存させられている。とりわけ、考古学的な過去、あるいは自然環境史的な過去などとは異なるプロモーションの文法を持つこのような生活文化史的な過去というのは、どのように誠実に展示したところで、それが具体的すぎるがゆえに、そしてその具体性を媒介に見る側が彼ら彼女らの共有する〈いま・ここ〉とたやすく重ね合わすことができるがゆえに、かえって歴史的な距離感というのを喪失された読みを発動しやすいものになっているところがあります。その意味で、「なつかしさ」を軸にした過去のプロモーションというのは、あり得べき歴史的な距離感からむしろ遠ざかるようなものでもあるらしい。

 別な言い方をすれば、それは「歴史」でなく「むかし」を志向するようなものらしいということになるのでしょう。まして、そこに並べられている“もの”が自分の幼い頃に確かに身の回りにあったような“もの”だったりすれば、たちまちのうちに自分の裡の記憶と眼の前の“もの”とが結びつき、それが一気に「歴史」というより大きなステージの中に解き放たれたような感覚も立ち上がる。〈いま・ここ〉の「自分」と大文字の「歴史」との関わりが、たとえ擬似的なものにせよ回復されたような気持ちになれるわけです。

 とは言え、それら生活文化史的な過去よりもむしろ考古学的な過去、自然環境史的な過去の方にそのような喜びを発見する人もいます。いわゆる古代史ファン、考古学ファンの最大公約数というのはそんな感覚を持った人々でしょう。そのような人々は今や意外なほど広い範囲に存在しますし、そのせいか、新聞などにも古代史、考古学関係の記事は文化欄、学芸欄などにかなり頻繁に掲載されるようになっています。ちゃんとカウントしたわけではありませんが、印象として言わせてもらえば、他の学問関係の記事と比べてもその頻度はかなり高いはずです。

 しかし、それら世の古代史ファン、考古学ファンの多くは、その「古代」なら「古代」の暮らしに焦点があっているわけではないらしい。言い換えれば「なつかしさ」に忠誠を誓う人々ではないということです。おそらく、彼ら彼女らの眼に映るものごとには、自分の身の裡に発する「なつかしさ」よりも先に、外側から与えられる「古代」という意味こそがまずあらかじめコーティングされるのだと僕は思います。生身の「なつかしさ」よりも先にその「古代」という価値が先行する。どうやら、それはどちらが正しいとか間違っているとかいう問題ではないように僕には思えます。敢えて荒っぽい言い方をするならば、「歴史」に向かうか、それとも「むかし」に魅せられるのかという違いは、身の裡の「なつかしさ」に忠誠を誓ってしまう性癖の人かどうかというあたりに分岐点があるような気がします。良い悪いの問題でもない。本当の問題は、それら異なる質をはらんでいるかも知れない言葉本来の意味での歴史にまつわる感覚が、一律に「歴史」の名の下に強引にとりまとめられていることであり、何より、そのことをわれわれ自身静かに顧みようとしてこなかったことです。


〈「無用の長物」を「捨てる」ということの背景〉

 一方で、そのような「なつかしさ」をめぐるプロモーションの楽屋裏では、たとえばこういう笑うに笑えない状況もあります。

 そのような民俗博物館や郷土資料館では、近年、知らない間に火鉢がやたらと集まってしまうという事態が往々にして起こるそうです。すでに今のわれわれの暮らしの中で火鉢が暖房装置として使われることはまずない。けれども、納屋に置いておくにしても非常に場所をとり、始末に困るものであることも確かです。一気に捨ててしまうには何かもったいないし、粗大ゴミなどで引き取ってもらうのも面倒だ。何より、まだ形あるものをそのように扱うことにはどこか罪悪感も伴う。そうだ、博物館にでも寄贈してしまおう――およそこういう経緯によって、ありとあらゆる火鉢がそのような地元の博物館、資料館にはひと山いくらで勝手に集まってくるらしい。

 それは、暮らしの中で「無用の長物」となった“もの”たちが、別の意味を与えられることで合理的な捨て場所を獲得したことでもあります。

 火鉢が「無用の長物」となってしまったのは、石油ストーブの普及と関わっていると言われます。実際、現場の学芸員たちもそのように説明します。「いやあ、やっぱり石油ストーブが安くなってあっという間に暖房がそっちになったからねえ」といったもの言いは、なるほどどこでも耳にする。もちろん、その説明には一定の説得力がありますが、しかし、考えてみれば、石油ストーブが普及し始めるのは何もここ十数年のことでもない。

 「置き場所に困るからじゃないかなあ」という説明もあります。しかし、これも近年になっていきなりそのような無用の長物の置き場所がなくなったとも思えない。それに、都会のマンションやアパートならばともかく、地方の農家などならば火鉢の一個や二個、何とかどこかにまぎれて置いておける程度のスペースは確保できなくもないだろう。とすると、石油ストーブの普及とか置き場所の現象といった「説明」ではうまく説明しきれない残余の領域が必ずどこかに出てきてしまいます。

 おそらく、そのような「無用の長物」を身の回りに置いておけるだけの余裕が、われわれ日本人の中からいよいよなくなったのだ、と僕は思っています。それは物理的な空間の余裕ということだけではなく、そのような心の納戸、意識の中のストレイジといったものがついになくなったということではないか、と僕は思います。こんなことを言い出すと、昨今何かというと持ち出される「こころのゆとり」などとといった呪文的なもの言いを思い起こされてうんざりされるかも知れませんが、何もそんな情けない意味で言っているわけではありません。

 たとえ暮らしの中で使わなくなった、用のなくなった“もの”だとしても、それをいきなり捨ててしまうことは何となく気がひける――それがいつの頃からかわれわれ日本人が持ってしまっている感覚だったようです。理屈ではない。“もの”を捨てるということに対して、何か漠然とした罪悪感みたいなものをわれわれは持っていたらしい。その、おそらくは「伝統」といったもの言いを持ち出しても構わないかも知れないような感覚の水準での変貌の気配が、僕には気になります。

 この場合の「捨てる」というのは、暮らしの中で眼に触れないところにやってしまうということです。「納戸」というのはそういう場所であり、あるいはかつての「蔵」でさえもどこかでそういう意味があった。子どもや丁稚を叱る時に納戸や蔵に押し込める習慣の背景には、このような「捨てる」ことに対するわれわれの伝統的な感覚があるように思えます。眼に触れないところ、とにかくそこに追いやってしまえば始末したことになる場所。けれども、実際にはその“もの”も自分の知らないどこかに必ず存在し続けることが可能なような場所。そのような場所に押しやってしまうことが、われわれにとっての「捨てる」だったらしい。その感覚は、別な方向ではたとえば捨て児に対する感覚などとも通底していたはずです。必ず誰かに拾ってもらえるような場所に捨てる。それは、時に産婆という専門職に管轄させることさえあった間引きとは、効果においては同じようでいて、しかし意識においては微妙に違う。

 同じように最近、幼稚園や保育園の門前に、ゲームセンターのUFOキャッチャーでとったとおぼしき小さな人形やぬいぐるみの類が箱に入れられて捨てられていることがよくあるそうです。そんな小さなマスコットたちを始末する時でさえも、自分ではない誰かが新たな関係の中で新たな意味づけをしてくれる可能性のある場所に置いてくる。焼いてしまうなり、あるいはバラバラにしてしまうなり、そのような変形を施し生命力を失わせてしまうことが「あの世に送る」ということであり、しかしそれにはまた別の儀礼、別の手続きが必要なことでした。形あるものである間は、たとえ〈いま・ここ〉の自分にとって意味のない、無用のものになってしまった“もの”だとしても、また別の場所、別の文脈で別の意味づけがなされる関係があり得る。その可能性に対する畏怖のような感覚が根強くあるからこそ、われわれは“もの”を「捨てる」ことにさまざまな屈託があったし、今もまだ少しはあるらしい。


〈“もの”は人に意味づけられて初めて存在していた〉

 火鉢が博物館にたまってゆく現象の背後にはもうひとつ、その火鉢を実際に使っていた身内の人間たちが他界するようになった、そういう時期にさしかかってきたということもあるように思えます。使わなくなって少なくとも二十年以上はたったはずの火鉢を今、この時期にわざわざ捨て始めるということの背景にはそのような事情もありそうです。

 その“もの”を実際に使っていた人が生きている間は何となく始末しにくい。その人が亡くなって初めておおっぴらに始末できる。このような感覚は、今のわれわれの中にも意外にあります。われわれにとって“もの”とは物質そのものとして存在しているのではなく、必ずそのような人間との関係の中で意味づけられている。もっと言えば、人間との間につむぎ出された意味の磁場の中に存在しているものらしいのです。

 それは、たとえば「所有」といった西欧出自の概念で説明しきれるようなものでもなさそうに僕は感じています。人間との関係の中で意味づけられているからこそ、“もの”はその関係を喪失した時からただの物質と化してゆく。付喪神(つくもがみ)という、日常の“もの”たちに手や足が生えて人格化したある種のもののけを描いた絵巻物が中世から出現してきますが、そのような“もの”に対する感覚の変化というのは、おそらく“もの”をめぐる生産と流通の関係が変化することで、暮らしの中での“もの”の意味づけのありようが変貌していったことときっとどこかで関わっているのでしょう。

 火鉢を実際に使っていた経験のある世代が他界するようになった時期だからこそ、ただの物質と化した火鉢は暮らしの外側に安心して放り出されるようになっている。それを古道具屋に売り飛ばすか、それとも博物館に寄贈するかというのは、暮らしの中のそのような「使えなくなったもの」を処理する方法としては等価です。皮肉な言い方をするならば、カネに換えるのはあんまりだから何か別の意味ある処理の方法ができないものか、と考えるような人々が増えていった時に、この民俗博物館や郷土資料館といった施設は実にありがたい存在として現われたらしい。そのような“もの”たちを合理的に「捨てる」場所。存在だけは確保してもらえて、しかもそのような処理をしたことをまわりから非難されなくてもすむような場所。言わば、社会的な納戸としての博物館、資料館。そのような役割も含めて、われわれの〈いま・ここ〉の民俗学は未だ言葉にならざる同時代の「なつかしさ」と格闘せざるを得なくなっているようです。

 いずれにせよ、形としてこわれてしまったり生命力をなくしてしまった“もの”についての始末と、そのような自分の日常において無用になった“もの”の始末との間には、何か微妙な線引きがされていたらしい。そして、先回りして言っておけば、そのような感覚と、近代化が準備していった機械という“もの”の意味づけとの間には、さらにまたひとつ難儀な屈折もあったはずだと僕は思っています。