外野席の視線から

 難しいことはよう知らんし、わからん。いろいろ事情があるんだと言われれば、そりゃまあ、そうだろうとは思う。第一、そんなこと考えなくても生きてゆけるのが世間ってもの。その意味じゃ、こんなところで何をボヤいてみても外野席での床屋政談に過ぎない。そりゃもちろんそうだ。

 にしても、だよ。こんな調子じゃこの先ニッポンってどうなっちまうんだろう、という程度の不安は、さすがの外野席でも感じるようになっている。ほんと、政治メチャクチャ。大丈夫なんか、これ。

 行政改革の根性のなさもさることながら、安保のガイドライン見直しの件なんか、朝鮮半島のみならず台湾周辺で何かあった時にどうするかってことも含まれると表明しただけで、中国政府に文句こかれるばかりか社民党にまでからまれる。あの、素朴に不思議なんですけど、こういう場合に「内政干渉」って一言、なんで出ないんですかね。立場が逆なら中国なんてあんた、思いっきり「内政干渉」を言いまくるじゃないですか。歴史教科書の問題にしたって同じこと。もしも日本の政府が中国の歴史教科書の中身に文句つけたらどんなすさまじい反応が返ってくるか。いや、つくづく戦争ってのは負けちゃいけないもんだと改めて思う――って、こういうこと言うからまたいらぬ誤解をされちまうんだけどさ。

 韓国や中国や、時には北朝鮮までも含めて、「とにかくそういう国の意見をタテに政府を批判するのは良識的」という“お約束”はもう成り立たなくなってる。ちょっと前まではそうじゃなかったかも知れない。でも、外野席もバカじゃない。「なんぼなんでもそこまで言われっ放しでええんかい」程度の疑問は、もうたっぷりと共有されている。その気配に気づかないで以前のモードのままものを言ったり対応したりするから、「もういいよ、おめえら勝手にやってろ」になって、政治であれマスメディアであれ、ますます信頼をなくしてゆく。なんか、ボックス席のタニマチだけ相手に野球やってんじゃねえよ、って感じなのだ。

 政治家であれ、はたまたマスメディアの「雰囲気」を作り上げている現場の人間であれ、もう状況の方が彼らを完璧に置いてきぼりにしちまってて、外野席も含めた球場全体に今、どのような気分が共有されているのかが彼らには見えなくなっている。あるいは、見えてもどうしようもないらしい。だから、この「とにかく信頼すべきもの」「理屈抜きにちゃんとしたもの」が存在しなくなった事態からもう一度信頼できる言葉を発するための腹のくくり方がまるでなってないのだ。

 客が入らなきゃプロ野球はつぶれる。馬券が売れなきゃ競馬はやってけない。外野席にも関心を持たせてたまには球場や競馬場に足運ばせることを考えず、ひとにぎりのタニマチにだけ眼を向けたひとりよがりのお座敷芸しかできない政治やマスメディアなんてとっととダメになりやがれ、なのであります。これ、結構マジよ、編集長。