メディア官僚の自意識

 メディアの舞台の上には、妙なことがいっぱいある。

 たとえば、官僚は不当にいい目をしている、大企業が優遇されている、ということはよく報道される。確かにそうなんだろう。でも、そういう報道をしている彼らメディアの現場で働く者たちの“いい目”は決して報道されない。

 朝日や読売といった大手の新聞記者がどれくらい高給取りか。まあ、同じ新聞でも毎日は冗談のような薄給(失礼!)で有名だけれども、それでも地方紙や、あるいは世間の他の業種に比べてどうか。講談社小学館集英社といった広告の入る雑誌とマンガとで儲けている出版社の社員がどれだけ恵まれているか。その他でも、マガジンハウスや文藝春秋といった有名どころの社員はどれくらいの年収か。テレビ局も正社員になるとどれだけ“おいしい”か。そしてそのことを彼らがどれだけ自覚し、暗黙の共通理解としながら、でも仕事の上では口をつぐんでいるか。そこらへんの事情はまず知らされない。 旦那が朝日新聞で嫁さんが講談社、共働きの子なしで三十代前半なんて夫婦からは税金を十倍くらいふんだくっていいんじゃないか、とつい思っちまうのはこちとらの育ちが卑しいせいだからおいとくとしても、でもなあ、おめえら本当にその高給に見合った仕事してっかあ、と、言いたくもなるのもまた事実だ。

 これらメディアの現場のエリート、言わばメディア官僚たちと、同じ構造の中で優遇されている一部の書き手などとが気分として同調し、癒着した中で情報は生産される。特に「言論」なんてそうだ。だから、いつも似たような顔ぶれの、世間とかけ離れた能書きだけが垂れ流されてゆく。 とは言え、その官僚的本質丸出しの特権意識は何かのはずみにきれいにバレちまう。今回のダイアナ妃の事故などその典型。テレビのニュースショウは軒並み「悪いのはカメラマンだけじゃない」って調子で、あげくはぬけぬけと「こういう情報を欲しがる読者も悪い」とまで言い放つ。

 寅さんじゃないけど、それを言っちゃおしめえよ、でさ。欲しがる奴がいるならどんなものでも作って売っていいんか? じゃあ、武器なんてどうだ。麻薬は? 売春は? そんなの市場原理に居直った無責任でしかないっての。

 それに、何よりムカつくのは「自分たちは報道だからあんな卑しい写真誌のカメラマンとは違う」という意識がミエミエなこと。てやんでえ、いざ現場に行けば報道だろうが写真誌だろうが、みんなかなりなことやってるだろうが! それって「下請けを冷酷に切り捨てる大企業の論理」とどこが違う? 時にはそういうカメラマンを使う必要もあるてめえらの仕事のありよう自体も含めて語ろうとしない居丈高にはほんとに腹が立つ。あのカメラマンたちを擁護するつもりは毛頭ないけど、でも不肖大月、身体張っておのれの腕一本で商売する彼らの方が生身でつきあえば気持ちのいい奴が多いかも知れない、なんて腹立ちまぎれについ思ったりもするのであります。