戦争の気配、ということ

 最近、オウム真理教がまたぞろいろんな活動をやらかしているという話があちこちで出始めている。

 インターネット上でホームページを開設していて、これがまたとんでもない代物だというのはその道に詳しい連中から聞かされたりしているけれども、それだけではなくて、実際のところ脱会した信者で舞い戻ったり、さらにはどういう神経なのかわからんけれども、新たに入会する信者もいるのだという。

 「こいつらこんなに馬鹿なんだよね」と、まさに「お笑い」として笑い飛ばしながらつきあうという知恵も確かにもうある。当人たちはどんなに真剣だろうと、彼らの言うことを真に受ける人なんてそうそういないよ、だから大丈夫だよ、と。

 オカルトでもUFOでも、はたまた度を越したエコロジーでも、そうやってほったらかしておくことが本当にいいことなのかどうか、というと、僕には疑問がある。単なる「お笑い」としてつきあっていたことにその当人が気づいて怒り出すというのはよくあることだし、それ以上に、いきなり殴りかかったきたらどうする、とか。

 信心している人の押しつけがましさはもちろんだけれども、それ以上に、そういう人のこの世にあらずという様子がどうにも気持ちが悪いのだ。

 しつこいようだけど、あんたらサリンばらまいたんだからね。それだけのことをやっといて、何がどうなってんだか知らないけど、破防法も適用されずに生き延びて、それだけでもありがたいはずなのにまたぞろ何かやらかそうとしてるんだったら、あんたらもうどうなっても知らないよ、と。

 日米ガイドラインの問題で外国勢力による国内でのテロ対策、あるいは難民の受け入れがらみの項目が盛り込まれたり、米海兵隊の北海道での実弾演習や米空母の民間港への寄港、さらにはアメリカでの四者会談の膠着ぶりなどを考え合わせると、こりゃいよいよ何かおっぱじまるんかいな、と、おっちょこちょいの大月はついつい思ったりするのでありますよ。少なくとも、近い将来起こり得る事態についてのある具体的なイメージがあってこれだけあわただしく制度の整備をやろうとしているんじゃないか、と勘ぐるのもそれほど無理な話でもないと思う。で、今の内閣でそういう非常事態に対応できるのかどうか。考えたらおっかなくなる。

 「平和」というのがある種宗教みたいなものだった時期が長くて、ただ「平和」とさえ言っておけばそれで「良心的」であることが保証されていたらしい。でも、「こないだの戦争で敗けた国」としてつきあうしかないらしい。アメリカと中国とでどういう駆け引きが行われているのか、朝鮮半島をどういう状態にしておくのがいいと思っているのか。かつてのように特需でウハウハってわけにもいかないだろうし、「戦後」に本当にひとつの区切りをつけねばならない時は近づいているのかも知れない。

*1

*1:サンデー毎日』連載原稿