つの丸『みどりのマキバオー』の断然

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えー、まいど、民俗学者の大月です。
このたび新しくこの『ビッグゴールド』のお座敷にお呼びがかかりました。一部では「日本一性格の悪い学者」「学者の皮をかぶったゴロツキ」、あるいは「本多勝一から中島みゆきまで、あとさき考えず噛みつく狂犬ライター」などと好き勝手言われてるようですが、なに、実際はそれほど大したもんじゃありません。こちらには当座二ヵ月に一回くらいの顔見せだそうですが、これも何かのご縁ということで、どちらさんもどうぞご贔屓のほどをお願いいたします。

と、腰の低い口上を並べた次の瞬間こんなこと言うのも何だが、わがニッポンのマンガってのはかなり面白くなくなってきている。嘘ではない。学者の言うことだから信じろ、なんて馬鹿は言わないけれども、どう考えても表現としての「質」は一時期に比べて明らかに低下し始めていると僕は思う。

こういうことを言うと、「俺たちは好きで読んでるだけなんだから、ほっといてくれ」てな文句が読者から投げつけられる。そりゃもちろんそうだ。でも、そういう個人的事情とは別にやっぱり「質」の問題ってのはあるわけで、それを説得力ある言葉で語ってゆけるかどうかが、僕みたいなもの言い稼業の人間の正念場であります。

そんな状況の中で敢えて良質のマンガを紹介してくれ、ってのが編集部からの注文である。よしきた、こっちも商売。週刊誌のマンガを真剣に追っかけて読まなくなってずいぶんになるけれども、去年からこっちは『みどりのマキバオー』が断然いい。理由は簡単、あきれるくらいにまっすぐでバカ正直で、そして何より、連載を重ねてゆくごとに「力」がみなぎってきていることだ。こういう作品に出会うと、マンガってのはつくづく日本の「豊かさ」を前提にして成り立つメディアだってのがよくわかる。どういうことかっていうと、「豊かさ」を前提にして作り上げられてきた読み手の側の能力の高さをアテにしながら、描き手の方も技術をとぎすませてきた、そのやりとりの過程がすでにひとつの伝統になってるってことだ。このあたりのことを、最近あわてて「世界に誇る日本のマンガ文化」てな能書きを並べ始めている手合いはよくわかってない。

最初はどうしようもなかったマンガでも、連載が続いてゆくうちにいつか輝き始める、その気配が感動なのだ。いいぞ、いけいけ、と声のひとつもかけてやりたくなるようなノリが出てくる、「力」が宿る、それが連載マンガの強みだ。そう、数百万部というオーダーの巨大市場を媒介にして成り立ってきた連載マンガってのは、実は意外とライヴな表現だったりするのだ。資本主義で社会主義に等しい「平等」な「豊かさ」を実現しちまったこのニッポンの大衆社会が期せずしてうっかりと達成した、実に希有な民衆表現の形態だと世界に向かって胸張っていい。

だって、連載の最初と最後でまるで絵が違っちまってても、読者は平然とついてくるでしょ。これって実はすごいことでさ。そりゃスヌーピーでもスパイダーマンでも海外の連載マンガにもそういう変化ってある程度はあるけれども、日本ほど極端ではいない。

この「マキバオー」もこれから先、どれだけ違う“おはなし”になってゆくか、僕はそれを今から楽しみにしている。あのダービー制覇のクライマックスでチュウ兵衛親分を殺すという大バクチを打った作者と編集部がその後もしぶとく頑張っているのを見ると、その期待に応えてくれる日は遠くないと思っている。

*1:小学館の青年マンガ誌。マンガ評というよりマンガを素材にしたコラム、といった趣きの枠だったが、思えばこういうコラム的書評枠みたいなのはこの頃、流行りになっていたのかも知れない。171126