銀行の了見違い


*1
 先日、アメリカの友人が振り出してくれた小切手を換金する必要があって、銀行に行った。都市銀行の一つ、学生時代に口座を開いて以来、もう二十年以上のつきあいになる。

 で、びっくりしたのだが、向こうの小切手をこっちの口座に振り込むというだけのことで手数料を2,500円もとる。いったん小切手を向こうに送り返して向こうの銀行で現金化するからだというのだが、その際にもまた別に向こうで手数料がかかり、なおかつ実際にカネになるまでひと月はかかるという。だったらこっちで小切手を先方に送り返して現金で送金してもらう方がよっぽど早いし合理的なわけで、何か他にいい方法はないかと尋ねても「規則ですから」の一点張り。相談に応じて商売しようという構えはまるでない。

 大手銀行がバブル期の目算の誤りを全部国に甘えて肩代わりさせてことは釈然としないことおびただしいが、それはまあギリギリ眼をつぶるとしよう。だが、そういう自分たちのみっともなさについての無自覚さはまた別だ。例の東京都の分離課税に対して訴訟まで起こして逆らう態度にしても同様。理屈じゃない。あんたら商売やる際の了見ってもんがそもそも間違ってる。

 「サラ金」とバカにされてきたノンバンクの方が、サービス業としてのノウハウはよほど蓄積している。彼らノンバンクが銀行業務に本格的に参入したら、そちらに流れる客は少なくないはずだ。いや、銀行だけじゃなく、客商売の素朴な原則を踏み誤ったままの組織がそこここに転がっている。難しいことじゃない。安く手いいサービスを提供する、そして喜んでもらってこっちも儲かる――具体的なものを扱わぬ金融であれ何であれ商売の原則は同じこと。そう思ってふりかえれば、没落著しい某大手スーパー、リコール隠しでミソつけた某自動車メーカー、一時期我が世の春を謳歌した「文化も売ります」の某デパート……みんな日々の接客の局面で同じような手抜かりをやっているように見えるのだが。

*1:2000年2月12日『産経新聞』「斜断機」掲載原稿。