「郊外」という物言いが一時期、ちみっとだけ流行ったことがありました。
あれは酒鬼薔薇の事件があった頃だったか、例によっていけすかない能書き野郎の学者や評論家たちが、「これは『郊外』型の意識がもたらした犯罪だ」とかなんとか、テレビや雑誌でご託宣垂れていた。つまりそれって、高度経済成長このかたここ三十年、私鉄沿線なんかにみるみる広がった新興住宅地建て売り住宅一戸建て五十坪3,000万円三十年ローンでホワイトカラー一部上場企業勤務勤続二十年一家四人の夢のなれの果て、てなあたりに育った連中特有の気分、ってことで説明しようとしていたわけですが、それはとりもなおさずそう言うてめえらの気分、ってことでもありまして、何のこたあない、89年は宮崎勤の一件このかた定番になった「これってボクたちの世代の気分にものすごく密接に関わってるかも知れない」症候群の再発症状に過ぎなかったわけであります。だったら、宮崎の時みたいに「酒鬼薔薇はボクだ」ってはっきり宣言、またぞろ自意識過剰におびえてみせたらまだ見世物くらいにはなるのに、そろそろ四十路にさしかかろうかって季節にさしかかったやつら、それだけは絶対に言わない、言えない程度に世渡りに狡猾にはなってやがるんですよねえ。ああ、やだやだ。
ただ、この「郊外」という物言いで何かこだわろうとした、その部分だけはなにほどかすくいとらなきゃならない問いではあります。なんとなれば、それは単なる地域特性の類別なんかではなくて、まさに高度成長このかた、この国のほとんどの領域を覆うまでに至ったとんでもない暮らしの変化そのものをさししめす言葉がないゆえの、まあ、緊急避難のような物言いではあった、はずなのですから。ニッポンのガクモンなりブンガクなりが正面から語ってこなかった領域。数字や統計で高度経済成長を論じ、「豊かさ」を説いても、日々の実感から語られるべき〈いま・ここ〉がついぞ抜け落ちたまま、というのは、そのままわれらの不幸、でもあります。
たとえば、これは何度か触れたこともあるんですが、週末の昼下がりなどにそれこそ郊外のショッピングセンターなんかに一家揃ってお買い物、みたいな姿、これにあたしゃどうもなじめない。いや、そりゃこちとらバツイチの野放しで飼い主なし、ろくでなしの不良学者の身の上ですから、ひがみととられても構わないんですが、なんて言うんだろ、そこに心なら図も表現されている「安心」のたたずまいってやつにどうも、底知れないうさん臭さみたいなものを感じちまうんでありますよ。
そういうところに湧いて出てくるのは、およそ三十代から四十代そこそこの手合いなのでありますが、こいつら、口を開けばおのれの家やマンションの坪数に乗ってるクルマの能書き、せいぜいが子供の学校のことくらいしか話題にしやがらない。いや、ほんとにシャレにならないくらいにそれだけ、なのであります。リストラだ何だで会社ってやつが磐石のものでない、ってのは一方で常識になりつつあって、それはそれでええこっちゃないかい、とあたしなんざ思ってるんですが、逆にそういう状況だからこそ、たまさか未だに会社にしがみついていられる連中の根拠なき優越感というか、それ以外にリアリティのなくなっちまった世界観というのは一層強化されているように感じますな。
特に、これはあたしがオトコだからというのは百も承知で敢えて言うんですが、そういう世界観にダンナ以上に強烈にハマっちまってるオンナのシトというのが、なおのこと心萎えます。ダンナの出世はアタシのシアワセ、てな感じで一心同体、夫唱婦随で結構っちゃ結構ですが、でもねえ、こういうつがいって実はココロの奥底ではもんのすごいサベツ主義者、いや、そこまで言わずとも、つまりはこいつら偏差値勝者のなれの果てですから、他人とのわずかな「違い」にいつも神経ビンビンにとがらせてたりする。
少し前までなら、そういう心性というのは社宅に典型的に宿るものでした。ダンナの会社での上下関係がそのまま暮らしの場に持ち込まれてのすったもんだ、というのは、自前で社宅を構えるくらいの企業には必ずまつわる難儀ではあった。けれども、今やそれは同じ会社の社員であるかどうかを超えて、ただ「会社員」であること、一戸建てなり分譲マンションなりを夢の城としてよしとする世界観を共有する勤め人であること、を結びの糸として、何やら壮大な意識の共同体をつむぎあげているようです。それは「いい暮らし」であり「安定した日常」であり、もっと漠然としたところではまさに「しあわせ」であるような、そんな共同幻想なのでありますが、でもねえ、今やそういう「しあわせ」を夢見ること自体、他人を蹴落とし、なかったことにする手続きによって成り立ってたりするわけで。週末の昼下がり、バイパス沿いの大型スーパーなどをトコトコ歩く「しあわせ」たちこそが、いまどきの「郊外」に宿る気分の中核だったりするようであります。
*1:『Meets Regional』連載原稿。