中津問題、その後

「……わしら、ほんとにもう馬をさわれんのやなあ」

 何度かお伝えしている中津競馬「廃止」がらみの補償問題について、未だ全く聞く耳を持たない鈴木一郎中津市長を上から指導してくれないか、と、農水省以下、厚生省、総務省まで含めた関係省庁に対して、直接請願に上京してきた中津競馬場の代表たちが、あわただしい日帰り強行軍の帰路、飛行機の便を待ち合わせながら、ふともらしたひとこと。

 どん、と胸を衝かれたようでした。ああ、もう、何て言ったらいいんだろ。

 ずっと馬と一緒に仕事をしてきた、もう何十年もそうやって小さな競馬場にいて、競馬があるのが当たり前の暮らしをしてきた、ひとまずそれでいいと思ってきた人たちが、ある日突然、たったひとりの市長の理不尽な気まぐれによって、もう二度と馬にさわれなくなる――その何かかけがえのないものをなくしてしまったような、これまでの自分の生き方の証しそのものがもう成り立たなくなってしまったような、そんな根深い喪失感。ほんとうに競馬場がひとつなくなってしまう、というのは、馬のいちばんそばで共に仕事してきた人たちの心の中に、そういう大きな穴をぽっかりとあけてしまうことでもあります。

「こうやってネクタイしめてあっちこっち頭下げてまわるより、馬さわってる方がなんぼ気楽かわからんよ。ああ、もう一度競馬したいわあ」

 馬を引っ張らせたらさも似合いそうな日焼けした顔が印象的な大分県厩務員組合(と言っても、騎手も調教師ももうみんな相乗りですが)の委員長、奥さんは、そう言います。

 六月いっぱい、と一方的に言い渡されていた厩舎団地からの退去期限も過ぎました。生活権の問題だからおいそれと出てゆくことはない、というわけで、今もみんな居すわっていますが、それでも戦いが長引いている中、いろいろときしみや軋轢も生じてきています。 

 何より、六月の定例市議会でこの競馬「廃止」問題がそれまでになく大きくとりあげられ、市長への追求も相当に厳しいものがあった。そして、補償を求める請願が市議会では満場一致で採択されたにも関わらず、当の鈴木市長はカエルのツラに何とやらで、全く態度を変えないまま。遠く東京にいる外野がこんなこと言っては申し訳ないですが、中津市議会というのも、よくもまあここまでナメられたものだとあきれてしまいます。

 とにかくこの鈴木市長、行きつけのスナックで呑んでいるところに、たまたま厩舎関係者が姿を現わしただけで、内側から店のカギをしめてとじこもり、「トラブルが起こりそうだから」と自ら110番通報する始末。嘘とは言わせません。あたしゃその場に居合わせたんですから。とにかくじかに話し合いをさせてくれ、という厩舎関係者の要求でさえも、未だに拒否したまま逃げ回っている態度というのは、人間としても常軌を逸しています。

 国会議員も交えたその請願の場での、関係者からの状況説明はこんな具合でした。以下、かいつまんでご紹介してひとまずみなさんへの報告に代えさせてもらいます。


 今、事業所である競馬場の廃場によって雇用と生活をどう守るか、に絞って戦っています。この不況で世間でも倒産、破産というケースは増えてきていますが、今回の中津の場合が特殊なのは、生活の場と職場が一体になっていることです。普通、雇用の場はなくなっても生活の場はありますが、競馬場の場合、厩舎がなくなることはそのまま生活の場もなくなることです。

 現在、厩舎団地に住んでいる人は六九人、うち四五人は行き先のあてがない。またこの中には、トシをとっても厩舎の中にさえいればメシが食える、というこれまでの慣習もあって、言わば相互扶助で助けられた人たちもたくさんいます。年金加入者は全体の二十パーセントにも満たず、雇用保険に至っては加入率わずか三・六パーセント。市長側が要求するように六月末で立ち退きということになれば、これら身寄りのない単身者も含めて丸裸のまま、社会に放り出されることになります。またこの四月以降、厩舎団地内の食堂も廃止されたので、これら単身者のうち、高齢の人たちなどは食事も十分にとれず、カンパされた米や食料を集会所で焚き出ししながら、みんなで食べているような状態。すでに二名の人が入院していて、これ以上解決を引き延ばすのはすでに人道上の問題です。


 再就職についても、新たな職につくのはとても不安だ、という人が多い。関係者で、これまで競馬以外の仕事をしたことのある人は三分の一しかいません。残り三分の二は生まれてこのかた競馬関係しか仕事をやったことがない人たち。家計の面でも苦しくなっていて、去年、「九州競馬」に再編成した際、経費削減で持ち馬の数がかなり減らされていたので、これまでの収入の三分の二から半分くらいになっていて、借金をしてかろうじて生活をしている状態です。預金より負債が多い人も全部で六十人以上。この七月以降、年金その他も含めて収入のめどの全くない方が百二名。家族も含めて四百名あまり。これら競馬を何十年にもわたって支えて、財政に寄与してきた人たちに対する補償が何もないというのでは、市の主催者責任はどこにあるというのでしょうか。

 地方、中央を問わず、仕事としての競馬にどこかで関わる全国のみなさん、ほんとにほんとにこの中津の問題は、決して人ごとじゃありません。

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*1:『Gallop』連載原稿