祭りの場の不思議


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 10人祭、のあの感じ、ああいうのが「祭り」だ、って思うのがいまどきなんだろうね。 でなきゃ、そうだな、よさこいソーランとか、ねぷたとか、そういうの。ヤンキーの身振りとかセンスとか、そういうのがここ十年から十五年くらいの間に、もともとあった祭りの場に流れ込んで、で、あんな感じになってるってわけなんだけど。

 もちろん、それは大きな街の、スポンサーとか何とかがいっぱいくっついて、さらに最近だと町おこしとか村おこしなんかの役所系のゼニまで呼び込んで、もともと派手になってた祭りに限って起こった変化なんでさ。ほんとの田舎の、農村とか漁村とかでひっそり続けられてきた本来のお祭りってのは、もうどんどん担い手の若い衆がいなくなって支えられなくなってる。今や「祭り」ってひと口に言ってもそれくらいピンからキリまである、ってのは、まず知っておいて欲しい。

 日本人のほとんどがお百姓で、田舎に住んでいたような時代ってのは、少なくとも四十年くらい前まではそうだったわけで、そんな時代の「祭り」ってのがどれくらい今の祭りと違うものか、ってあたりから、まず考えないといけないよね。

 

 

 盆踊りっての、あるでしょ。いまはなんか「夏祭り」なんて言い方でゆるいものになってるけど、あれって昔はおおっぴらにナンパしていい場だったんだよね。逆に言えば、ふだんはそんなにやたらに異性に声かけたりしちゃいけなかったってことだけど。「祭り」ってのはそういうふだんとは違う日、盛り上がったり興奮したりしていい日、ってことだったわけ。「ハレ」の日、っていうんだけどね。今でもお正月のハレ着、とかって言うでしょ、あの「ハレ」。逆にふだんの日は「ケ」の日、って言ってた。

 それくらい普段の「ケ」の暮らしってのは、盛り上がったり興奮したりすることが今考えるよりずっと少なかったんだよね。だからハレの日にはふだん食べないごちそう食べて、酒だって仕込んで盛り上がった。盛り上がるのが当たり前だったし、また礼儀でもあったんだよね。だから、祭りの夜に声もかけてもらえないようだと半人前。モテるモテないとかじゃなくて、一人前として見られないってことだったんだよね。

 

 

 男と女ってほんとに互いに別の現実を生きてたんだよね。今でこそ、なんか隣り合わせにいるのが当たり前になってるけど、昔はそれぞれ別の育ち方をして、別の役割を社会の中で果たしていた。だから異性っていうのは謎めいていて、また接する時にはときめきもしたわけだよ。ふだん化粧なんかしないオンナのコでも祭りの日には薄化粧したりさ、華やかな衣装着たりしてオトコの目に立つようにするわけでしょ。オトコもオトコでビッとキメたりしてさ。そりゃどっちもグッとくるよね。

 

 

 学校でもさ、まだ制服が当たり前で、校則なんかもそれなりに厳しかった頃だと、文化祭とか運動会なんてのもそういう「祭り」の場に近いものがあったよね。「ケ」の時間がかったるいものであればあるほど、「ハレ」の場は盛り上がるわけでさ。それが今じゃ、携帯だの何だのでいくらでもひとりでプチ盛り上がりできる仕掛けがいっぱいあって、時間と場所を決めてみんなで盛り上がるって約束ごとがバラバラになってるよね。それって自由にはなったかも知れないけど、でも、ひとりひとりで寂しさを何とかしなきゃいけなくなったってことでもあるわけでさ。さて、どっちがほんとに幸せなんだろう。