靖国神社って、そもそも何よ?

 いやあ、すげえなあ、しかし。十二万人以上だそうですよ、十二万人以上。

 甲子園球場でも、満員で六万人とか七万人。東京ドームもやっぱりそれくらいのはず。もっともこちらは最近、巨人戦のテレビ中継の視聴率が十パーセントを切ったとかで、プラチナチケットとか言われた入場券もヘタしたら定価割れとか。さらにはそれらプロ野球に先駆けて地盤沈下が最近、急激に進んでいるわれらが競馬にしたところで、ダービーや有馬記念クラスの関東でやるGⅠでも、十万人を超えるのは難しくなっています。サッカーも、Jリーグにひと頃の勢いがなくなってますから、数万人も集まるゲームなんてのは日本代表のマッチなど、やはり年に数えるほどのはず。音楽だと、え~と、ドーム系のハコで数万人動員できるライブやらかすくらいのアーティストってのは、ここもやはりごく限られてくる。ということは、この十二万人以上ってのは、「不特定多数の人がうっかり集まってしまう」できごととしては、かなりすごいってことになりますな。

 この人数、何だと思います? はい、答えは今年の八月一五日、終戦記念日靖国神社の参拝者数であります。ちなみにこの数字、例年の四倍とか。

 けど、えべっさんにもえらい人が集まるし、正月の初詣なら平安神宮やら糧原神宮やらにのべ十万人以上の人がやってくるやん、それってそんなにすごいことなんかあ、と訝るとしたら、それは神仏関係が日頃から身近にある関西圏のシトたちの感覚かも知れません。初詣は別として、神社仏閣の類にそれだけの人間が殺到するなんてことは、首都圏じゃちょっと考えにくいことなのであります。神社仏閣以外に人寄せのイベントその他は日々てんこもり、このクソ暑い夏にわざわざ神社や寺なんかに足運ぶ必要は、平均的な東京の人間にはまずないと言っていいんですから。

 なのに、今年は九段の靖国神社にそれだけ集まった。言うまでもなく、先日来ずっと問題になっていた小泉首相靖国参拝云々で世間の注目が集まったのが最大の理由だというのはよくわかるのですが、しかし、その場にやってきた人たちの様子などを眺めていると、どうもそれだけでもない。なんというか、それほど切実な理由もなく、ただそういう人の集まるところについふらふらとやってきてしまう、そういう性癖が非常にわかりやすく反映されているような気配を濃厚に感じたのであります。

 なにせことが靖国神社でありますからして、理屈をこねりゃ、そりゃいくらでも言えます。総理大臣が終戦記念日(正確には、敗戦記念日だとあたしゃずっと思ってますが)に足向けるってだけで、韓国だの中国だのからは「軍国主義の復活につながる」だの何だのとガンガン文句つけられているわけですし、新聞やテレビにもなんとなくそういう調子で「問題だ」という雰囲気が漂っている。戦前の国家神道がかつての日本の悪い悪い軍国主義のバックボーンだったのだから、そのまさに象徴であり、なおかつ東京裁判で「戦争をやらかした一番の悪い奴」と勝ち組の連合国からレッテル貼られたA級戦犯たちまでもが一緒に合祀されているそんな神社に、いまの政治家が参拝するなんて、という論調は、少なくともこれまである種の常識、細かいことを言えば理屈はまあ、いろいろあるにせよ、とりあえず表立っては「そういうことにしておいた方が波風立たない」という程度の世渡り上のニッポンのタテマエ(ポリティカル・コレクトネス、ってやつですかね)、くらいにはなってきていました。

 それがどうもこのところ、かなり風向きが変わってきている。マジメなシトたちには「右傾化だ」なあんて言われるようなものですが、でも、それってそんなにムツカシいことでもなくて、要するにもうそういうタテマエをただ守ってだけいても、もうあまりトクはないらしいってことにみんな気づき始めてる、そういうことなんだと思うんですけどね。だって、いくらタテマエ守って神妙にしていても、景気はどんどん悪くなるし、アメリカには相変わらずパシリやらされるし、韓国や中国からはメンチ切られっ放しだし、ほんまにもう、どないせいっちゅうねん、って感じなんじゃないでしょうかねえ。

 それに、戦前の靖国神社にしたところで、みんながみんなそんなに神妙にムツカシいこと考えて参拝していたわけでもない。そのへんわかりやすくバラしてくれたのが、たとえば坪内祐三の『靖国』だったわけですが、ほんとに「国家神道」なんてもの言いだけでことをわかろうとすること自体がもう役立たず、昔も今も〈その他おおぜい〉にとっちゃ政治も思想も宗教もそういうイベント、面白きゃいいじゃん、と無責任に集まって盛り上がるネタだったってことをまず認めないと、もうこの先、何も変わらない、あたしゃそう思います。構造改革って、実はそういうことだってのも、あるんじゃないですかねえ