回転寿司、圧勝

寿司、天ぷら、刺身、というのが、ニッポン人にとって「ごちそう」の定番だった時期がありました。

あ、いわゆる「洋食」はちょっと別ね。「洋食」ってやつは「肉」の圧倒的な魅力と一緒になって、まさにハレの食いものとしての地位を戦後、獲得していった。ビフテキ(このもの言いももう時代ものになってしまったなあ)に代表されるそれら「洋食」の輝かしさは、現実に手の届く食いものというよりも、大げさに言えばむしろ幻想の領域に深く足踏み込んだメニューとして、ある時期までは認識されていたところがあります。

と言って、「中華」ともまたちょっと違う。戦前からあったきちんとした中華料理店で円卓を囲むようなものとは別に、ラーメン、ギョウザ、チャーハン、といったお手軽なアイテムによって戦後、大衆食となっていった「中華」。それは焼け跡の猥雑な路上から生まれた文字通りストリートのソウルフーズ、だったわけだけれども、しかし「洋食」とは逆のベクトルで、ほんとの意味での日常の暮らしに入り込んでくる食いものとしては、いささか粗っぽいものでもありました。それが家庭料理に翻訳され広まってゆくには、かのインスタントラーメンという一大革命が起こらないことには難しかったはず。その意味ではむしろ「洋食」よりもさらに、非日常的な食いもの、だったところが「中華」にはあります。

それらを分けるのは、食材や調理法という部分もさることながら、むしろ箸で食えるものかどうか、というあたりに案外カギがあったんじゃないか、とあたしゃにらんでます。割り箸、じゃない。家庭で普通に使うような塗り箸、てなところ。「洋食」はナイフとフォークのセットに象徴されるよそよそしさが強く、逆にラーメン系の大衆「中華」には割り箸しか似合わない。茶碗と塗り箸、という組み合わせでさくさく食べられる食いもの、それこそがニッポン人にとっての「食」の玉座にあり続けてきた。そしてもちろん、その背後にはコメの「メシ」が、民俗的な神話がらみに磐石の構えで控えていた。

というわけで、ついこの間までわれらニッポン人にとって、日々の暮らしの中心にでん、と位置する食事、食いものってやつは、どうしようもなく「和食」と言われるくくりの中にあったわけです。文句のない「ごちそう」というやつもまた、その中にしかなかった。寿司、天ぷら、刺身、というセットはまさに、その文句なしの「ごちそう」の代表選手だったわけであります。

事実、ちょっと郊外めの地域にある仕出し屋などの看板を見ると、未だにこの三つが並べて掲げられていることが少なくない。もともと地元の魚屋などが片手間に始めたようななりたちの店が多いこともあって、食材としての魚、というやつがそれらのメニューの中心。冠婚葬祭というハレの日に食べる料理をこのような仕出し屋に任せるようになってゆくと、干物その他の加工した魚を口にするのが当たり前だったような山あいのムラにまでも赤黒い刺身が「ごちそう」として流入し、油のまわったような天ぷらがにぎにぎしく並ぶようになっていったわけで、これにうなぎでもつけ加われば、まさに「ごちそう」の満艦飾。魚という食材を中心にして、これらニッポンの「ごちそう」は組み立てられてきたこれまでというのは、どうやら動かしがたくあるようです。

これら「ごちそう」軍団の中でも、寿司はまた格別の存在でした。寿司幻想というやつは、まさにその「和食」イデオロギー、魚中心主義のある究極の表現です。それは昨今ではみるみる膨張したエビ/カニ幻想の方に横転してゆき、その一方では、観光バスで乗りつける海産物系土産物屋の隆盛にもつながっている、と。

例によってしちめんどくさいことを言ってますが、これくらいの前提を置いておかないことには、目の前で起こっていることの歴史/文化的意味なんてよくわからないのだから仕方がない。何が言いたいかというと他でもない、昨今ずいぶんと繁盛しているあの「回転寿司」という代物、あいつのことであります。

寿司、特に握り寿司は最後まで家庭の中に入り込んでこれない、家の外で食べるか出前を頼むしかない「ごちそう」の代表でした。もちろん、通夜の場に出前の寿司桶と瓶ビールがつきものになっていったように、手軽に頼めるハレの食いものとしてなじんでいった局面もあるにはあるけれども、手巻き寿司という荒技が開発されるまではやはり、ナマのネタを使った握り寿司よりも伝統的なちらし寿司、バラ寿司といった方が、日常的にこさえる「ごちそう」としては圧倒的に主流だった。寿司を「握る」という行為に「職人」という表象がくっつきやすかったこともある。実際、天ぷらや刺身の「職人」よりも、寿司の「職人」は一番わかりやすいイメージ喚起力があります。それだけ日々の暮らしからは一歩離れた食いもの、家庭ではなかなか実現できない料理、という印象も植えつけられていったわけでありますな。

それが今、回転寿司という形態になったことで一気に敷居が低くなった。というか、寿司はそれまでまつわらせてきた寿司自身の「ごちそう」性を、惜しげもなくかなぐり棄てることになった。つまり、世俗化してアウラが薄くなった、というわけですが、その何とも掟破りなありようが、まさに昨今のDQN化のひとつの典型だと、あたしゃ思います。

安くて便利、というミもフタもない経済合理性に立ったシステムと、寿司というそれなりに来歴を持った「ごちそう」アイテムを組み合わせたところに成立した回転寿司というのは、なるほど今のDQN状況に最もなじむ外食業態のひとつになっております。どこでもいい、最近郊外のバイパス沿いに展開しているようなロードサイド型の回転寿司チェーンにふらりと入ってみると、そのありさまはよくわかるはず。集団給食のケータリングに使うようなプラスティックのコンテナで仕込まれる生あったかいシャリ。半解凍の状態でもお構いなしに使われるネタ。いわんや、軍艦巻にはキムチやら鶏のから揚げやら外道なネタまで平然と並び、さらにはプッチンプリンコーヒーゼリーまでが何でもありに流れてくる。いわゆる「食べ放題」系の店にも共通するこの「食い物という名の下の平等の徹底」は、宇宙食だの錠剤系だのといった方向に向かう想像力とはまた違った、近未来な食文化のありようを示しているようにさえ思います。

そこで働く職人たちも、一応は寿司職人の定型を踏まえてはいるものの、肌の色の違う外国人までが職人姿で「イラッシャイッ」と立ち働くようになると、これはもう、何ともサイバーパンクな趣き炸裂。安い粉末茶をティーバック化したあがり、値段によって厳密に分類された小皿、脂身だけは濃い得体の知れない深海魚系のネタ……かつて米軍は、真珠湾攻撃で破壊されたコカコーラの大クーラーを真っ先に修理した、という伝説があるけれども、これからのニッポンの軍隊は、もしかしたらこういう回転寿司の野戦携行仕様を真剣に考えなければならないかも知れないなあ、なんてことさえ思います。

そして、そんな回転寿司に今やみんな家族連れでやってくる。この感覚、正直あたしゃ未だになじめません。何がいけないと開き直って尋ねられたら困るのだけれども、何というか、家族の「外食」って儀式なわけですから、環境からしてもう少し気をつかうべきものなんじゃないかな、とか思うんですよ、昭和三十年代生まれとしては。そういう家族揃って回転寿司へ、という感覚が「外食」の選択肢のひとつとして当たり前のものになってゆく過程で、おそらく置き去りにさられてしまう何ものか、があったはずです。回転寿司に家族で出かけることに対する抵抗感や恥ずかしさが磨耗させられてゆく過程、それこそが、月に一度くらいは外で食事を、といった、昭和初年くらいに当時の「新中間層」を媒介に広まったカルチュアの連続性とはまたひとつ違うところに生まれた、新しいDQN化以降のニッポンの市民文化、なのですから。

かつて、歩いてゆけるぐらいの距離に行きつけの寿司屋があり、たまにそこに「つまみに行く」という街の子のささやかなぜいたく、というのもあるにはあった。いや、今もあるはずです。あるはずですが、しかしそれは、外でメシを食う、という感覚に間違いなく備わっていたある晴れがましさ、ちょっとした興奮、などからもまた、すでに切り離されてしまっているように思います。