南方熊楠伝説

そもそも、と、たまには柄にもなく大きなことを言いますが、ガクモンガクモンと言いながら、その当のガクモンの成り立ちというやつについては、実はあまりきちんと言及されたことがない場合が多いのであります。

特に文科系のバヤイ、そもそもどういう背景、どういう利害関係だの市場だのを前提にして、そのガクモンが成り立ってガクモンの顔をしてこれたのか、というあたりは、いわゆる「学史」と呼ばれる分野でさえも、まず考慮の外にされるか、せいぜい「言わぬが花」てなところに放置される。まあ、いずれ商売がらみの業界事情ってやつですから、あまり暴き立てると損になる、というわけで、事業としてのガクモン、商売/ビジネスとしてのガクモンといった発想は逆立ちしたって出てこないのが文科系――とりわけかつてのブンガク部に貼り付けられていたような分野のガクモンにおいては、それがあたりまえになっておりました。

 われらが民俗学というやつなど、まさにそういうヘタレなガクモンの最たるもの。いや、それどころか、そもそもそういう成立事情だの背景だのが、親方日の丸な「大学」の下に保証されていなかった分、かえって得手勝手な「自由」の幻想を引き寄せてきたところさえあります。「民間学」だの「地に足をつけた学問」だのといった煽り文句がいつしかひとり歩き、もともとあった可能性まで覆い隠して腐らせてしまう不幸ってやつを、あたしゃ死ぬほど見聞きしてきました。民俗学を救い出すためには、まず民俗学のそういう不幸、そういう幻想の来歴自体をきっちり認識しないといけないのであります。

南方熊楠なんかも、そういう不幸の中に巻き込まれちまってて、おいしいところをうまくいただくことがしにくくなっております。 

 何より、熊楠ったって、初手から昨今のように「世界的な知性」てな評価だったわけではない。はっきり言って奇人変人、いまどきならば間違いなくワイドショーのネタにされまくったような類の「はずれもの」として、よくも悪くも見世物として認知されてきた経緯があります。世代的にはそもそも昭和初年にはもう立派に晩年で、『熊楠夜話』などで当時広がり始めた一般の読書市場に知られるようになったのが「伝説」化の最初のきっかけ。その後、平野威馬雄などによって「奇人」「自由人」といった色合いでの語られ方が定番になっていったという次第。「戦前」の情報環境の激変によって「発見」され、それが「戦後」の過程で本格的に花開いて「伝説」となっていった、という成り立ちは、それこそ坂田三吉から桂春団治、無法松などに始まって、ニッポン近代におけるいわゆる「語られた個性」のあるオーソドックスになっております。

民俗学みたいな領域の、それも熊楠みたいに初手から「奇人」モードで語られてきた知性を読もうとする時には、そういうオーソドックスをまず理解した上でテキストに向かう、という操作が不可欠であります。でないと、「語られた個性」のその語り口の内側でなめらかに流通するような「読み」しか再生産されないという、実にこうなんというか、クソおもしろくもないことになってくる。それは、一次テキストに依拠したらいい、てなものでもない。熊楠自身が書いたものも含めて、そういうカッコにくくり方――ひところ流行ったスカしたもの言いを使えば「認識論的切断」ってやつをやらかさないと、いくらでもわけのわからん袋小路に追い込まれて、気がつきゃクラ~い知のおたくと化しちまうのがオチ。まこと文科系のガクモンってやつに首突っ込むことは、いまどきほんとに難儀なのだ。

手に入るものからしたら、そうだなあ、元のテキストならば『十二支考』あたりが無難かも知れない。とにかく、「博覧強記」というもの言いが単なるコピーじゃなくて、具体的な文章に化けてこちらに襲いかかってくる、その迫力はほんとにすげえ。

 一九世紀的な民族/俗学(敢えてひとくくりね)の世界観に最も忠実な、しかし絶対的に西欧社会の「外部」でもあった知性というのは、実にこういうとんでもない獰猛さと跳躍力をはらむことにもなった、というのは、やっぱりなあ、ニッポン人として誇りに思っていいのだと、あたしゃ思うぞ。事実とディテールの無限連鎖、「勝てないけど、負けない言葉」というのは、赤松啓介翁を評してあたしが奉ったもの言いだけれども、民俗学的知性のスタンダードと言うべきそういうもの言いの作法は、ここにもほんとに集約されているかのようであります。世界各国、おそらくはありとあらゆる見聞と体験とに無手勝流にとりまとめられた十二支についてのウンチクが、これでもかと垂れ流される。ひとまずその奔流に素直に翻弄されることを楽しめるかどうか、それが熊楠エントリーのカギだ。

概説というか、熊楠をどう考えるか、という見取り図を手に入れたければ、松居龍五『南方熊楠、一切智の夢』(朝日選書)が、ひとまずわかりやすいしバランスもいい。東大は比較文化畑から出てきたってことは、小谷野敦と同じ産地。熊楠の生涯のうち、海外放浪をやらかしていた言わば「仕込み」の時期に焦点を当ててある分、「博覧強記」の背景についての大枠を見通すことができるはずだ。

谷川健一・編の対話集『南方熊楠、その他』(思潮社)も、読んでおいて悪くはない。中上健次中沢新一(これは要注意だけど)、神坂次郎、川村二郎などとの熊楠をめぐるダイアローグに、さらに岡谷公二樺山紘一らとの民俗学談義も。熊楠から入って、思想史的広がりの中での民俗学ってやつの可能性を察知しようとする時の、これも糸口になり得る一冊だろう。

ほんとはなあ、益田勝実とかの熊楠についてのエッセイとか、それこそ平野威馬雄や神坂次郎なんかの、読み物にぐっと傾いた「語られた熊楠」の魅力にカンタンに触れられれば楽しいのだろうけど、昨今の出版事情じゃ図書館か、地味な古書店などでマメに探すしかない。関心ある向きはそれぞれ局地戦で撃破してくださいまし。

そういう熊楠像のこれまでの成り立ちそのものをきっちり相対化できたならば、その上で初めて、かの中沢新一なんかのヨタを笑いながら読んでこやしにする、という楽しみ方もありますがね。『森のバロック』はそのヨタぶり大爆発。『蜜の流れる博士』あたりと併せて読めば、80年代/ポストモダン状況というフィルターのかけられた熊楠が、はてどのような面妖な代物になっていたのか、なんてあたりがよ~くわかると思います。あ、もちろん、そういうのもひっくるめてそこらの読みもの、ひとつの“おはなし”として賞味されたとしても、まあ、それはそれで構いませんでしょうけどね。