肉喰う人々

 例の狂牛病をめぐる騒ぎで、わかったことがひとつあります。何かってえと、何だかんだ言っても結局あたしらニッポン人ってのは、「肉を食う」ってことがほんとの意味で身についていなかったんだなあ、ってことであります。

 だって、そうじゃないですか。事の真偽はこの際棚に上げておくとしても、ひとまず国産の牛肉がヤバいかも知れない、とみんな思ってしまった、その結果ものの見事に牛肉にみんな手を出さなくなった、と。でも、それって裏返して言えば、それくらい簡単にあきらめてしまえるくらいの食い物だった、ってことですよね、牛肉が。肉を食いたけりゃ豚もあれば鶏もある、いや、それより何より、最近消費量が減ってきていたとは言いながら、今でもやはり世界に冠たる魚食い民族。動物性タンパク質ってことならば何も牛肉だけに頼らなくても、まだ結構切り替えが効くもんなんだなあ、ということを改めて実感したわけでありますよ。

 それはちみっと大げさに言えば、食い物というのが単にマクロ経済学的な生産と消費の需給バランスや、あるいは「科学」と「健康」信仰に後押しされた栄養学的な割り振りの問題だけでなく、文字通りに「文化」であること、古めかしいもの言い持ち出せばすぐれて幻想の領域に関わる「もの」であることを、くっきりと見せつけてくれたのは悪いことでもなかったなあ、と。たとえば、アルゼンチンあたりの年間数十?も牛肉を食い倒す国だったらこれ、ほとんどパニックになってたんじゃないかと思いますし、ニッポンだってこれが牛肉じゃなくてコメだったりした日にゃ、やっぱりこんなにのほほんとはしてられなかったんじゃないかな、とか。牛肉が危なくて食えないなら食えないでもとりあえずそんなに深刻に困りはしないし~、てな感じですもんねえ、実際のところが。

 それでも、ここまできれいに拒否反応が出てしまうと商売のこと、牛肉関係の業界はどこも深刻なわけで、そんな中、流通関係は当たり前だとしても、末端の外食系ではまずハンバーガーと焼き肉に打撃があったのがちょっと興味深いものでした。そう、ステーキでもすき焼きでもなければ、文字通りに「牛」を冠した牛丼というわけでもさしてなかった。肉を前面に出してウリにしていた大衆的食い物の中で、戦後、それも高度経済成長期以降に大々的に普及したこのふたつがまっさきに打撃を受けた。その程度にこのふたつは食い物の中でもやはり異物、いきなり登場してきたよそものであるということがココロのどこかで感じられていたということがこういう事態になってはっきり出た、と。「牛肉百パーセント」を売り文句にしてきたマクドナルドまでもが、豚肉パティのハンバーガーを出さざるを得なくなるという皮肉はどうでしょう。まして、焼き肉屋はどこもにわかに閑古鳥鳴きまくりで、体力のあるチェーン展開の店舗ならば半額セールしたりとまだ努力のしようもあるものの、個別の小さな店はほぼお手上げの状態であります。

 思えば、肉という食い物に対する国民的ルサンチマン、いや、もっと素朴に言い換えれば恨みやうっぷんの数々は、知らぬ間に実に分厚くわれらニッポン人のココロに堆積してきていたはずであります。特に、敗戦後の食糧不足を身をもって体験した世代にとって、「栄養」「滋養」の二文字はまさに強迫観念めいた想いを想起するものにもなっていた。その場合、脂肪分が一番わかりやすい「栄養」のかたちだったわけで、乳脂肪含めたそれら「あぶらもの」に対する渇望とそれに見合った幻想の肥大ってやつは、栄養状態の低下が常態になっていたおのれの身体コンディションがおそらく自然に求める以上の何ものかを、それら食い物にまつわらせていったはずです。

 だからこそ、牛肉に代表される肉とは、まずそのように脂肪分、あぶら身の魅力でこそ語られるものでありました。たとえば、すき焼きのあぶら身を喜んで食うオヤジというのが、親戚中に必ずひとりくらいはいたはずです。肉とはあぶら身であり脂肪分であり、それゆえに「栄養」の源でもあった。牛肉ならぬ豚肉の定番料理であるトンカツでも、あぶら身の生きるロースの方が赤身主体のヒレよりも好まれてきた経緯があります。また、今でも関西方面では「肉」と言えばそれは無条件に牛肉を意味します。豚肉は「ブタ」であり、鶏肉は「トリ」であり「かしわ」であります。そのあたりは、たとえば関東平野が文明開化このかた豚肉先行で普及した地帯であったり、あるいは今でも北海道ではすき焼きに豚肉を使うのが当たり前、といった、同じニッポンの中でも地域によって肉の意味の微妙な違いを刷り込んできてもいる、と。

肉を食いたい、好きなだけ食いたい、それもできれば牛肉を、という序列意識。松坂だ、いや、神戸だ、という、肥育の過程に異様にコストと労力を集中させて作り出される「高級牛肉」というニッポン独自の変態的なジャンルにしても、戦後のそのような肉幻想の中で一気にブランド化したものでした。あの「サシ」に淫するかのような霜降り至上主義というのも、思えば、あぶら身幻想の最も高度に昇華した形かも知れません。近年のマグロ人気、とりわけ大トロに殺到する様子などにしても、前提には戦後を通じて育まれてきた肉幻想、あぶら身幻想が横たわっているはずです。進駐軍放出物資のバターを一ポンドまるまる食って下痢したり、勤労奉仕に行った先の牧場で牛乳を何升も一気飲みして身体をおかしくしたり、といった笑うに笑えない話が当たり前にあったのも、それだけ「栄養」イコール脂肪分、という認識が強烈に刷り込まれた戦後というのがあったからであります。

 そう、実に牛肉こそが「ザ・肉」でありました。豚肉や鶏肉はあくまでも代用品であり、まして魚は同じタンパク質であっても「栄養」としては認識されにくくなっていた。魚肉ソーセージを思い起こして下さい。赤いフィルムにわざわざくるんで「肉」らしさを演出してみせたあの健気な「栄養」信仰の形代を。ほんとは肉が食いたくて食いたくて仕方がないのに、手が届かないからひとまず魚で、というその国民的欠落感がぎゅっと全部凝縮されたような、あのたたずまいを。鯨のベーコンを覚えていますか? 鯨肉なら鯨肉でいいのに、どうしても豚肉由来のベーコンという形にしないと納得できなかったかのような、あの微妙に情けない姿を。水産物由来のそのようなキッチュな加工食品の系譜は、後にはカニカマのような形に横転してゆきますが、でも、ある時期までは確実に「肉」を最も望ましいものとして置く価値観に統括されていたものでした。

 なのに、そんな肉が、それも確かに「ザ・肉」であったはずの牛肉が、狂牛病一発であっさりあきらめられるようなものになっていたということは、大げさでなく文化的な大事件だったんじゃないかと思うんでありますよ。輸入牛肉の自由化このかた、かつてのような肉幻想がもう成り立たなくなってきていたのは当然理解していましたが、それにしても、です。ほんとはあたしらニッポン人って、牛肉なんかそれほど切実に食いたくもなかったってことなんじゃないですかねえ。

 焼き肉にしても、自宅で食うものではありませんでした。限られた場所にひっそりとあるどこかあやしい焼き肉屋に敢えて行くことで初めて食える料理だったわけですが、ワンコイン焼き肉などと呼ばれる最近の安いチェーン店のたたずまいは、そんなかつての焼き肉屋が持っていた徹底的に「街」の、いまどきの言い方をすれば路上(ストリート)の料理という雰囲気やいかがわしさなどからひとまずきれいに切り離されています。ファミレスに入るのと変わらぬ気楽さで、どうかしたらオンナ同士でさえも構えずに肉を食いにゆけること、それは間違いなく「豊かさ」とそれによる大衆化、平準化の恩恵のひとつだった――はずなんですが、でも、その恩恵はまだ本当にわれらニッポン人の食習慣にまで浸透していたわけではなかったんですねえ。

 いっそかの禁酒法時代のスピークイージー(アングラ酒場)みたいに、焼き肉屋がこの際、全部地下に潜ることを、不謹慎ながらあたしゃ夢想したりします。炭火に炙られたカルビの煙が表に漏れ出ただけで後ろ指さされるような、まただからこそ思いっきり幻想の領域も含めた肉を身体ごと食らうことのできるような、そんな場所。肉を食う、というのは、そんなどこか同じ哺乳類同士ののっぴきならない戦いみたいなところを、確かに含んでいたはずじゃないですか。そんな業みたいなところも引き受けて初めて、ニンゲンは獣の肉を食うことができる、と。まして、魚食いの遺伝子は仕込まれていても、獣を食うようにはできてこなかったわれらニッポン人としては、単に安くなったというだけで、何の構えも緊張もなく肉をつまんでいいのかどうか。いつか肉をたらふく食えるようになりたい、と、あらぬ妄想、幻想に身をさいなまれながら頑張っていた頃の感覚の方が、なんというか、まだ納得いくところがあったような気が、あたしゃするんでありますよ。