田口ランディ被害の1年

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 二〇〇一年もはや、年の暮れであります。書評まわりの誌紙面でも例年、「今年のベスト10」とか「本年の収穫」とか、そういう企画がお約束。ただ、これってお祭りみたいなもんで、年末進行に合わせて行われるのが何よりいい証拠。この時期だと年の前半に出た本はどうしたってワリ食うし、何にせよあんまりマジにとったりしちゃあいけません。

 ただ、ここはこういうお座敷ですから、ごくごく私的に言わせていただきましょう。二〇〇一年の書評まわりでのできごとの中で最も味わい深かったのは、他でもない、かの田口ランディがらみのドタバタでありました。

 え~、田口ランディ、一応は直木賞候補作家にして、婦人公論文芸賞受賞作家(笑)でもあらせられます。あらせられますが、しかし、これほど昨今、書いたもの自体はもとより、書き手そのものの世渡りの身じまいまでがまるごと物議を醸し倒してる作家ってのも珍しい。しかも、それだけ物議を醸していながら、その物議ってやつが活字の表舞台ではものの見事になかったことにされている(少なくとも今のところは)、というのも、実にいまどきのプチ芸能界化した活字商売の構造をきれいに反映していて二度おいしいな、と。

 だって、「インターネットの女王」なんて煽り文句と共に出てきて、当初はご祝儀相場ってことだったのか、千成り瓢箪ならぬ千成り提灯つけまくるヨイショ書評がこれでもかと並んでましたもん。それも村上龍を始めとして、中条省平だの安原顕だの芹沢俊介だの川本三郎だの、ブンガク系書評界隈のお歴々がみんなバンバンほめてるもんで、あたしなんかも最初は「へえ、そんなにすごいんかいな」と素直に思ってましたがな。

 ところがあなた、いざ手に取って読んだみたらこれが実に……な代物。読み手の好き好きとかそういうモンダイじゃない。こんなあなた、どこからどう読んでも粗製濫造、八〇年代ニューサイエンス系自意識肥大全開垂れ流しな、超特大勘違いジャンク物件を、なんでそんなに右ならえで持ち上げられるのよ、という世にもフシギな現象面コミでのオドロキでありました。

 案の定、その後は水面下で、それはそれは、なハナシ(オモシロ過ぎるんで詳細略)が山ほど噴き出して、提灯つけた書評界隈のエラいさんたちはほぼ全員即死状態。なのに、誰もケツ拭こうとしないんだもん。いやあ、名のあるシトたちってやっぱりすごいわ。これなら、引っ込みつかないのか確信犯なのか、そんなボロ神輿を死ぬ気で担ぎ続けて商売しようとする版元連の方がまだ潔いかも。今春には原作の映画まで公開されるっていうし。今後は映画だの音楽だの、活字よりさらにユルい界隈の「批評」にも、このランディ被害は順次拡大すると見ました。いや、こりゃ二〇〇二年もまだまだ見もの、ではあります。

*1:本の雑誌』連載、掲載原稿