マンガとナショナリズム――『クニミツの政』『突撃!第二少年工科学校』

 マンガってのはすでにエイジカルチュア、つまりある世代にとっては重要なメディアだけれどもそれ以外にはどうも……てな代物になりつつある、というのがここのところのあたしの持論。いや、だからマンガはダメだ、って言ってるわけじゃなくて、メディアのライフサイクルとしてそういう具合に壮年期にさしかかってるってこと。マンガは日本が発信できる世界に冠たるブンカだ、とか、おたくカルチュアが国境を超える、とかうつろな眼して大文字の能書き並べたがる向きは、最低限そういうマンガの現状をきちんと認識した上でやって欲しいよね、ってことです、はい。

 なんかニッポン映画史上最高の興行収入をあげる勢いだという『千と千尋の神隠し』、言うまでもない宮崎駿アニメの新作なわけですが、でも、これだって実はもんのすご〜くナショナルな作品に出来上がってるなあ、と、あたしゃ感じましたね。まだ観てない向きにはごめんなさいですが、例の湯屋にやってくるカミサマたちの造形は民俗学者の眼で観ても、まあ、よくできてるし、産業革命期から二十世紀始めくらいまでの「近代」勃興期を成り立たせていたさまざまな要素がパッチワークされまくり、それ自体がひとつの世界として凝縮度は相当に高い。でも、それはやっぱりニッポン人の感覚と眼で観て始めて読み取ることのできる部分が大きいように思うんですよ。この宮崎アニメ、鳴り物入りでやらかした韓国での『風の谷のナウシカ』の劇場公開が大コケとかで、今度はまた別の作品を持ってゆくそうですが、でもそれって、ニッポンアニメと言ってもそんなにやたらと国境を超えられるもんじゃない、ってことを証明してるようなもの。イタリアあたりで『セーラームーン』がウケていることなどとは、また別の事情を考えねばならないと思う。

 少年マンガが国境を越えた瞬間に“おはなし”としての内圧を失ってゆくことは、すでに眼ききから指摘され始めている。まして、少女マンガはそのような越境さえも実はほとんどされていない。マンガに限ったことでもなく、サブカルチュアを無媒介にグローバルスタンダードに結びつけるずさんさは、日本語の版図でサブカルチュアを取り扱う約束ごと自体がこれまで抱え込んできた何らかの不自由と必ず連携しているわけで、それってつまり、意味なく「世界」に眼の焦点あわせてしまうような手癖持った向きってこと。なんつ〜か、俗に「リベラル」とひとくくりにされるようなクソでっかい構造ってことなんですけどね。そういうグローバルな文脈でこの時期、マンガやアニメに敢えて言及しようとする向きの多くにそういう「リベラル」の呪いがかかってる、そのことはもっとしつこく言い続けなきゃならないことじゃないかと、あたしゃずっと思ってます。

 とは言え、情況はそんな構造とはひとまず別にどんどん進んでゆく。ナショナリズムなんていきなりはとても言えないし言わなくていいんだけれども、でも、そんな水準よりもっとずっと手前のところ、オレたちがこうやって生きている〈いま・ここ〉って何、という身体ごとの問いかけ自体は、マンガのようなマスレベルでの商品になった“おはなし”に、結構敏感に反映され始めている。
 たとえば、『クニミツの政』なんかどうだ。千葉とおぼしき田舎街の政治に心ならずも首を突っ込むようになってゆく下町育ちの蕎麦屋の出前持ち、武藤国光。師匠と目して秘書として仕えることになった市長候補は清廉だけが取り柄の金欠野郎。それをあなた、ほんとにヤンキー(このもの言いももう現実には対応してないな)丸出しの心意気一発で乗り越えてゆこうとするんだから乱暴極まりない。けれども、その乱暴さと「政治」との結びつきが全く不自然でなく受け取られるのがまさにいまどき。仕掛けられたハードルを持ち前の八方破れと心意気一発で乗り越えてゆくのは、それこそ本宮ひろ志以来の磐石のお約束だけれども、原作ともどもそのお約束を武器にしてはっきりと「啓蒙」の意図を持ってやらかしてるのもオッケーだ。ポピュリズムだ何だとこまっちゃくれたインテリ方面からは不評サクサクな昨今の小泉人気のうねりのその底には、こういう形で敢えて「政治」を見ようとする、そういう〈リアル〉への志向性ってのが必ずあるんだと思うぞ。

 もう少し直截なのがよければ、『突撃! 第二少年工科学校』もいいぞ。自衛隊を舞台にしたサブカルチュアはこのところもうタブーでも何でもないけれども、これはもうひとひねり。お約束な「軍隊」モードの自衛隊自体をさらに相対化して、これまたヤンキーものの定番にまで“おはなし”として平準化してゆく。だって、マジメ一本でお眼々キラキラな自衛官(なにせ名前が「国尾守」だ)が「カッコ悪い」ものとして街のチーマー(これももう古いが)に「狩られる」んだもん。でもって、それに対抗するのが自衛官でありながら立派に暴走族やってる、工科学校の落ちこぼれ連中なんだもん。ぶっちゃけた話、自衛隊を舞台に『湘南爆走族』をやらかしてるわけで、これもまたほんとにいまどきの観客民主主義状況を反映した“おはなし”構造になっていると思う。こういうサブカルレベルの試みからこそ、大文字でしかやりとりされない「ナショナリズム」もまた、ひとつ健康なものになってゆけるってもんだ。