ムネヲ、の哀しみ

 政治は芸能である、なあんて、いきなり言うと、ヘンに聞こえますか? 昨今の田中真紀子VS.鈴木宗男騒動なんかについて、なんですけど。


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 騒動のあれこれについては、もうおなかいっぱい、新聞は言うに及ばず、テレビのワイドショーからニュース番組、さらに週刊誌に至るまで、これでもかというくらいに「対決」が煽られ、そこから発したこまごまとした「情報」が繰り返し繰り返し語り直され、そしてそんな中からまた新たな「事実」が生み出されてゆく、という、メディアスパイラルとでも言うべき事態が連日連夜繰り広げられています。どっちが正しいのか、というヒジョ-にわかりやすすぎる図式でもって、ことは解釈されようとしているわけで、なるほどこれじゃあ誰もの関心を引いてしまうのも無理ないなあ、と。

 鈴木宗男議員――これを「ムネヲ」と表記するのがいまどきみたいですが(笑)、とにかく昨今これほどコテコテのオヤジ系国会議員はいない、という風に見られているようです。また、ご本人もそのことを自覚してらっしゃるらしく、先日の予算委員会での参考人招致でも「わたしは古いタイプの政治家かも知れません」と、むしろ誇らしげにおっしゃってました。評論家的に言えば、利益誘導型の典型的な自民党政治家、官庁の利権にしがみつく族議員抵抗勢力の代表、てな具合になるのでしょうが、そのことを敢えて自認しているフシがご御仁、どうもある。所属する橋本派自体が今や「抵抗勢力」として悪役視されていますから、そのレッテルを自分で引き受ける、てなヒロイズムも間違いなくあるようですし。

 ただ、どうなんでしょうねえ。ご当人が思っているほどこのムネヲ、オヤジ系ではない。というか、オヤジ系コテコテになろうとしてなりきれていない、そのへんが致命的に弱いところだと、あたしゃ見ています。

 たとえば、地元の演説会などでの泣き落としに使われるというので一躍、有名になった「馬一頭」のハナシ。北海道は足寄で生まれ育ち、大学に行かせてくれ、と父親に頼んだら、大切にしていた馬を一頭売って上京資金にしてくれた、というあれですが、たいていのシトが「いまどきあんなベタベタのお涙頂戴ばなしをやるなんて」と苦笑いした、その苦笑いの中味というのはたとえば、ド演歌を臆面なく聴かされた時のようないたたまれなさ、恥ずかしさみたいなものに近いのでしょうが、しかし、あの話には明らかに下敷きがあります。まずは、大宅壮一の弟子筋にあたる中山正男の自伝『馬喰一代』、これは映画化もされた戦後のベストセラーのひとつですが、これも北海道の北見の馬喰の子として生まれ育った彼が、父親のことを中心に書いた小説です。この中の名場面のひとつに、自分のかわいがっている馬が草競馬に出走、不利をくつがえして勝ったその足で、札幌の高校受験に出かける息子を見送りに行くというくだりがある。昭和二十年生まれの彼のこと、どこかでこの「馬喰一代」のバリエーションに接していたはずです。さらに言えば、こういう「馬」を媒介にして逆境からはいあがるひとつの転機が語られる、というのは、ていねいにさかのぼれば、塩原太助と愛馬「アオ」(思えば少し前まで、芝居や小説の馬はたいてい「アオ」でした)のおはなしなどにまで関わってくる、ニッポン人のココロの歴史にまで根を張った仕掛けのひとつ。ムネヲ議員の身体には、そういうある種の「おはなし」の伝統が骨がらみになっているようではあります、一応のところ。

 それでも、です。彼はその「おはなし」を演じきれない。演じようとしても失笑しか生まない。それは彼自身の資質や才能ということよりも、そういう「おはなし」の土壌をすでにニッポンの世間はほとんど失ってしまっていて、彼のその身振りやもの言いを十全に受け止めて解釈してあげる素地がなくなっている、そのことが大きいように思います。と同時に、彼もまた、ともすれば「人権」を口にして「国際交流」を言い募る――ODAを軸にした外務省利権という、これまでの政治利権からすれば明らかにどうでもよかったはずの利権にしか食い込めなかった以上、それは仕方ないのでしょうが、でも、そういう大文字のもの言いがつい口をついて出てしまう程度に、彼も正しくいまどきのニッポンに生きているということがどうしようもなくつきまとう。

 「利益誘導、何がいけないんですか?」「地元が潤えば、北海道が潤う、北海道が潤えばニッポンが豊かになる、そうじゃないですか?」そんな開き直りは最後までできなかった、それがこの二十一世紀のオヤジ政治家、ムネヲのオヤジになりたくてなりきれない哀しさです。

 その敵役、真紀子のオヤジだった田中角栄はかつて、「共産党で新幹線が通りますか?! 社会党で高速道路がやってきますか?! しかし! われわれ自民党に任せていただければ大丈夫です! ニッポンはまだまだ大丈夫です!」と演説して大向こうの拍手喝采を浴びた。演じきれないオヤジの情けなさを、あのムネヲは今、奇しくも体現しています。