● T調教師、元騎手
市長の気まぐれで生活も何もかもめちゃくちゃされてしもて、どこに恨みもってったらいいかわからんですよ。借銭あっても蓄えなんかないですよ。保険解約したり、払うものは払わにゃならんし。一年間もやっぱしこういう状態はえらいですよ。もたんですよ、普通なら。
一度、落馬して死にかかったことがあるんですよ。当時の重たいガチガチの鉄兜みたいなヘルメットかぶってたから助かってたかも知れんのよ。
三日間意識なくて、三日になる頃にこう、目がさめて、何しとるんやろ、ここで、と思ったですよ。そばにいる先生(調教師)がわしの顔見よらんのですよ。どうせ意識ないやろ、というんでしょう。そうしたらわしが気がついたんでたまがったらしいです。今みたいないい施設もないから病院の治療も粗っぽいし。まあ、一番ひどいケガはそれでしたね。今でも首筋が痛うなりますよ、天気悪くなる前なんかは特にね。それでも小月で一年くらいそれから乗ってました。
やっぱり儲かったですよ。カネ勘定は女房がやってたんで詳しい数字はわからんですけど、確かに儲かったですね。馬の仕事やってきてよかったというのはありますよ。
三年くらい競馬やってダメやったら廃止しますよ、とかいうんならよかったけど。準備あるやないですか。九州競馬やってようなったわけですしね。借金はあっても蓄えはないし、厩務員に給料払うのは当たり前やし、勝つあてもそうないし。九万円の預託料も払ってもらえんようになってるわけだし。月に十五、六万は赤字になってましたからね。買っても13万くらい。借金ばかりできてしもうとどうしようもないですよね。65歳が定年ですから、よその競馬場に厩務員で行ってもしょうがないし。二頭か三頭か自分でやらせてもらって、
妹婿ですからね。一緒に行って、加勢するからええわ、というけど、それも大変やし。でけんでもいいから、加勢として一緒についていきたい、というのはありましたけどねえ。七頭くらい佐賀に置いとるんですよ。馬主みたいな形ですね。馬主もおらんし、行かれんごとなったらどうしようもない。おそらく厩舎に来てたら馬見てくれ、というつきあいもあるし、今でもちょくちょく来る人もおるし。そういうつきあいの中でできた人たちですからねえ。馬買うから
馬はTに見させてから買う、と言ってくれる馬主さんもいたしね。いくらかもらえば食べていくのになんぼか助かるけど、また今日(役所に)行って話をして、こりゃもう荒尾でも行かないかんかなあ、とは思うてたんですがね。いまから先のことを考えると。
競馬場は年金なんか入ってないもんが多いですしね。この年になって仕事はないですよ。なんもかんも捨てて行かなならんですから。引っ越しするにもカネがいるしね。でも、遠いところには今から行きとうはないからねえ。せめて九州の中に、とは思うてますが、どうなるかわからんですよねえ。蓄えのある人はええか知らんけど、そんな人はまずおらんしね。よっぽど辛抱してやらんとできないですよ。
馬主さんにしても、こっちが競馬やってりゃこそ、賞金から預託料払え、と言うてもくれるけど、競馬がのうなってからそんなもん知るか、という馬主さんもいますよ。それが一番困るですね。どうにかせなメシは食えんわけですから。それでも、馬の仕事はしたいなあ、というのはありますね。荒尾は確か67歳が定年ですからもう少しやれますけどねえ。
北海道行った秋山は、うちで免許とって半年でしょ、まだ。うちじゃあ数は乗せてやりよったんですよ、上手になるように、って。向こう行って確か一勝してましたけど。あいつはちょっと身体が堅いし大きいですからねえ。追う姿勢もひとりひとりあるから、肘を延ばせ、とよく言うてたんですよ。ちょこちょこ追うな、と。手綱一本で操作をするわけですから。それと、このレースは何番手でいこう、枠順悪けりゃ前行くか、とか、そういうこと考えながらいつも乗らないといけないですよ。まあ、言うてきかせてもその通り乗れんですけどね。アタマがないと乗れない。それも普通のアタマやのうてレースでのアタマですね。それがないと乗ってゆけない。まあ、マジメでいい子です。口数少ないから横着なと思われてもしょうがないところあるんやけど、仕事はやりますよ。愛想言えんから。溶け込むまでちょっとタイヘンかも知れません。辛抱しちょるっていうからね。向こう言ったら向こうのニンゲンやから向こうからは電話してこんけどね。まあ、頑張ってくれりゃええけど。
わたしらはもう歳やけど、あれらはまだこれからやからね。今から何もかも教えてもらわないかんのやから、そういうて頼んだんやから辛抱しろ、と。ただ、デビュー半年であれだけ乗った子はあまりおらんと思いますよ。走らん馬ででも載せてやらにゃ練習にならんですもんね。