●Hさん 場内の食堂経営
食堂をやって三十年くらいになります。親の代から継いでますから。
最初にできたのが昭和27年です。その年にみんなあたしたちの親が開業して、お嫁さんとか娘さんとかに譲って代替わりしたんです。譲ってないのはあたしだけです。
昭和50年代が一番よかったですね。ほんとにおもしろかったですよ。厩舎団地が建った頃ですよ。三階の特観席なんかはひとり一枚しか入場料売ってくれんから、自分の店のお得意さんに入場してもらうために、売店の従業員をお客さんの代わりに並ばせたりしてましたね。
うちは串ホルモンというのがあって、それが人気でしたねえ。他にはおでん、うどん類ですかね。材料もいいのが近くで仕入れられるんで好評でしたよ。競うて新しいメニューも入れましたよ。六軒並んでましたからね。一般の人でもお昼休みは競馬場の食堂にお昼を食べにきて、それで馬券もちょっと買って遊んで帰ったりしてたんですよ。
九州競馬になる以前はまだよかったんですが、九州競馬になってからガタッと落ちましたね。お年寄りが多くなったのもありましたね。
ただ、元気はみんなありましたけど、けんかとかはなかったですねえ。農作業した後、競馬場来て遊ぶ人が多かったですから。それと中津のお客さんはおとなしいちゅうことで、アルコールも売ってよかったんですよ。普通はこういう場所では禁止ですけど。負けても飲む、買っても飲む、グループでやってきてそれがひとつの楽しみやったんですよ。ほんとの草競馬みたいな感じですね。最後はちょっと厳しくなりましたけど、でもメニューには最後までお酒がありましたよ。
三十年ずっと通ってきてくれるなじみがいるんですよ。ええ、それぞれの店に。また、それぞれの贔屓には、あの人はあそこの店のお客さんやけ、と呼び込んだらいけんのですよ。
名前はH正と書くんですが、店の屋号は「宝勝」にしました。
H畑さんが「湖月食堂」。あと「あたりやさん」。どっちにあたるかわからんけど(笑)。
●Oさん。
母はOといいました。わたしは下の食堂は「M本食堂」でした。本名ですね。平成六年に台風で屋根が飛んでから三階の特観席に出させてもらったんですが、その時は競馬事務局の課長さんたちが相談して「軽食喫茶チェリー」、ってことになったんです。さくら公園にちなんだんですけど、みんなに笑われました。
A巻さんの店がで「司食堂」というのがあった。屋号はなんでですかね。本名じゃないですね。嫁か娘さんかが継いでます。
ご主人はみんな別に仕事を持っている。三人はご主人が勤め人。あとの三人はみんな未亡人です。だいたいお店してなくても、一般の奥さんたちが権利もろうたんです。最初は一から自分でバラック立ててやったんです。その代わり、税金も家賃も免除ということで。
あたしは主人がもともと中津競馬の嘱託をしてたんですよ。飯塚から引っ越してきてこの店をやるようになったんです。調騎会の会長を長いことしてたんですよ。あたしが越してくる前から、こちらの親はもう営業していました。十軒くらいありましたよ。
あたしの記憶では、これまでに三人引退されましたね。だからもともとは九軒あったんです。
儲かった時には大入りが出ましたよ。一億以上売れた時は五百円の大入りが出てました。だからあたしたちも売り上げが気になってじっと見てましたよ。
一軒あたり、「およげ!たい焼き君」が流行った時に回転焼きの機械を買ったらみんな並んでたんですよ。H勝さんとこはやっぱりホルモンでしたねえ。あたしが買いに行くくらいでしたから。身体に悪いんやけど、って言いながら買いに行った。
みんな負けん気強いから同じメニューが多いですよ。中津競馬の名物としては、おでんとちゃんぽんは有名でしたね。お正月にフランクが三日で700本以上はけたことがありますよ。焼きとりなんて一日で2,30は出よったですよ。九州競馬になったら何本、ってくらい。十時にはもうお客さん並んでましたから。忙しい時は朝の五時起きで仕込みやってました。
開催ない時は仕事ないですけど、二日前から仕込みやってますから。お客さんの顔見てる暇もなかったですよ。正月は一番すごかったですよ。バイトも四、五人雇ってやらんとさばけないですよ。
競輪場の場外ができてお客さんとられましたね。宇佐とか田川とか。
今の方が若い人多いかも知れませんよ。昔はいわゆる社長さんとかが多かった。まとめて百万くらい馬券買ってあげたこともありました。ひとごとながらドキドキしてました。
鹿児島から北海道から馬主さんがおられるですから、宮崎とか、夜中から宮崎からクルマ飛ばして見えるんですよ。六時くらいに競馬場見えるでしょ。連絡が来てますから、朝ご飯用意して待ってるんですよ。
見合いして一週間めに初めてのデートが競馬場やったんですよ。馬持ってたんでね。はあ、競馬ってこんなもんかあ、と思いましたよ。ここへ来て初めて競馬というものを知ったんですよ。
お母さんが店やってましたから小さいころから競馬場でしたよ、あたしは。馬券買いに行かされたりね(笑)。厩舎はまた別でしたから入れなかったですよ。こういうことになって初めて厩舎に入ったようなもんです。厩舎の仕事なんか見たことなかった。寝藁あげるカギを見て、はあ、大きな貝堀りやねえ、って言ってたくらいで。
最初はこわいと思いますよ。入っちゃいけないと言われてましたからね。でももう一年ですから、みなさんと顔なじみになってよかったですよ。
最終的にお客さんにありがとうと言えなかったのがほんとに残念ですねえ。お得意さんにひとりひとり言いたかったですねえ。せめて六月まで開催しててくれたら、挨拶できたのにねえ。耶馬渓からやってくるおじいちゃんとかいてねえ、その人たちどうしてるかなあ、とか思うんですよ。街であったら声かけてくれるんですけど、なんね、まだ元気なんね、と、そういうのがうれしいですねえ。
名前は知らないけど、顔見たら何が好きで何を注文する人か、というのはわかってますよ。言わなくてもいつものものを出してね。
一軒あたり常に来てくれる人が十人くらいはいましたよ。昔は三十人くらいいたかな。それ以外は通りすがりをいらっしゃい、と。あたったらまた来てくれるしね。朝来て昼来て夕方来て、とか。
三十年以上も親の代からほんとにお世話になりました。中津競馬の食堂一同、長い間ほんとにファンのみなさまにかわいがっていただきました。ありがとうございました。