不況なんてこわくない

 不況だ不況だあ〜、と、新聞やらテレビやらが連日叫んでおります。小泉首相構造改革なんぞ嘘っぱちだあ、騙されるなあ〜、と、例によって世間の風向きに棹さすのが商売のあまた評論家、文化人その他が言い始め、ほれ、失業率がまたこれだけ上がったぞ、新卒者の就職率もこんなに悪くて氷河期(なんなんでしょ、このもの言い)だぞ、と、とにかく小心者を脅しあげるような調子がメディアのデフォルトになってきてる。

 ふ〜ん、そうなんですかあ、なのでありますよ、あたしゃ基本的に。

 そりゃあ、わが身を振り返ってみても、もの書き業界だってあなた、ここのところはもうシャレにならないくらいの景気の悪さで、とにかく本が出ない、版元に企画を持ち込んでも企画が通らないし、万一通ったところでうまく商売にする関係をこさえてゆく余裕もない。ありものの原稿、できあいの書き飛ばしをそそくさと新書程度の水っぽさでまとめていっちょあがり、「いいものを気長に作って売る」なんてのんきなこと言ってた日にゃ、書き手ともどもつぶれるのがミエミエ。雑誌だってこれまで以上に広告だけが頼みの綱になってるもんだから、そんなありがたいスポンサー様のご機嫌損ねるようなヤバめの企画など初手から脳味噌の片隅にだって沸いてこないのがいまどきの編集者なのでありまして、あたしみたいな学者くずれの、かの中場兄ィほどじゃないにしろケンカ屋かみつき向こう脛かっぱらい稼業が芸風のバカに、この忙しいのにわざわざ仕事頼もうなんて男前な編集部は、いまどきまずありゃしませんがな。ああ、けったくそ悪い。

 なのに、それでもそれでも、なのですよ。あたしゃやっぱり、今のこの不況上等、不景気もっときやがれ、なんですよねえ。
どうしてまた、って叱られるかも知れませんが、しちめんどくさい説明抜きにして一発で言えば、生きる、ってことがどういうことか、それを身体でわかれる、確かめられるいい機会じゃん、ってことなんですな、つまり。

 恥ずかしながら、以前はあたしも大学なんてところに勤めてました。それも国立大学ですからおとなしくさえしていればまずクビにはならないし、しがみついてりゃ恩給だってつく。いくら学者だ何だと偉そうに言ったところで世渡りの手癖はつまり役人なわけで、昨今そういう役人批判も強まってますが、でも、何をどう言ったところであいつらしょせんカエルのツラに何とやら、ぜ〜ったいにそんな世間並みの反省なんかしやがりません。そのことをあたしゃ足かけ十年足らずの大学勤めとは言え、日々目の当たりにしてきたセンセイ方のそれはそれは……な行状で、いやというほど思い知ってます。

 終身雇用で生活の保証がある、それはもちろんありがたい。ありがたいがしかし、生きてゆくというその一点においてそれはたまたまの条件、たまたまの環境に過ぎないじゃないの、という腹のくくり方、少なくとも高度経済成長までのニッポン人は良くも悪くもそんな感覚を共有していたはずであります。職工や労働者だけじゃない。ホワイトカラーならばなおのことそれだけのプライドもまたあったわけで、いずれ終身雇用に居直って人としての輪郭までグズグズにしてしまうようなことは潔しとはしなかったはずです。

 なのに、昨今の不況のもの言いは、そんな終身雇用への居直りを当たり前の前提にしているように感じるのはなぜでしょう。バカ言っちゃいけない、ひとつ間違えりゃ会社なんていくらでも潰れる、いや、会社どころか国家だってあれだけコロッとひっくり返ったのをあたしら見てきたんだ、というのが、今の六十代後半から上、今のニッポンの「豊かさ」の大部分を個人貯蓄として抱え込んでいる世代は未だに手放していない。必要以上に不況をこわがり、不景気を恐れているのはそれより下、なまじ「豊かさ」が初手から当たり前になっている世代の感覚なんじゃないですかねえ。終身雇用制度っていうのは、少なくともそこそこの会社に勤めるニンゲンを知らず知らずの間にそのようにプチ役人にしてしまう仕掛けだった、と。たまたま会社員、たまたま組織の一員であることを何か空気のように自然なものと勘違いしてしまい、自分の身体張って生きている、という手ざわりすら見えなくなれば、そりゃあどんどんキンタマがちぢこまっちまいますって。

 ♪ カネにあかしたガラバさんの庭(グラバー邸ですな)も ひとつ間違や海の底〜

 西南戦争薩軍の若い衆たちが声張り上げて歌ったというこの戯れ唄、節はまるでわからないながらも、こいつをあたしゃ最近、気がついたら勝手な節で明るく口ずさんでいたりするのであります。