山田美保子という風土病

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 山田美保子というビョーキがある。わかりやすいんでそう名づけている。

 主に「コラムニスト」と呼ばれるようなもの書き界隈の風土病。オンナがとりつかれることが多いし、症状も確認しやすいのだけれども、実はオトコにだって密かに感染してたりするからことはややこしい。

 どういうビョーキか。とにかく仕事ぶりがゆるくなる、体重が乗らない、何をやらせても寸止めで通りいっぺん、なのにどこかおのれの才能について根本的に勘違いしている風情が濃厚で、基本的態度としては横着――これだ。そのくせ、まわりの人間との関係でうまく立ち回る術は人並み以上に体得している。だから、仕事を発注する編集者にとっては仕事の多少のゆるさ、物足りなさには目をつぶっても比較的ラクに仕事を回せる。まして、ゼニ払ってくれる読者でなく、広告資本のあぶくゼニの下支えで雑誌がこさえられるようになると、手間のかかる仕事の質を問うのでなく、ストレスなくスケジュール通りに仕事を「回せる」方を重宝したくなるのは人情。作り出したブツを介してお得意サマと対峙しなくなったメディア状況に、ぴったりハマってくるビョーキなのだ。

 だからこのビョーキ、「コラムニスト」という世渡りのスタイルと根深くからんでいる。

 とにかくこやつの仕事ぶり、ざっと眺めて倒れそうになった。本業はテレビの構成作家ってことになってるけれども、雑文書き散らしのその垂れ流しっぷりは、テレビコラムから始まって、芸能界ネタにグルメ、エステ、旅ものにブライダル、ジャニーズウォッチャーやにわか競輪ファン、買物フリークからライター批評、ななななんと、ジャーナリズム論もどきにまで手を出す無節操、無定見な手当たり次第ぶり。この厚顔無恥ぶりはかの盗作猿、田口ランディといい勝負かも知れない。でもって、トシは今年で四六歳。更年期バリバリじゃんかよ、しかし。

 去年の夏、ナンシー関という巨星が墜ちて以降、週刊誌にせよ何にせよ、このテの「コラムニスト」の仕事は、一気に色あせたものになった。「コラムニスト」という肩書きで世渡りする手合いが一気に増殖したのは、80年代の雑誌バブルの頃。雑誌そのものが何か勘違いも含めて幻想を呼び寄せるメディアだった最後の時代、専門的知識も突出した才能も持ち合わせずとも、ただ単に身の回りのよしなしごとをおもしろおかしくつづってみせることだけでもの書き稼業に参入できるようになった、その意味ではもの書き稼業の門戸開放、何でもありなボーダーレスの時代の端緒だった。努力や修業、切磋琢磨はダサくていけない。ノリや感性こそが正義。当時そこら中にいたあとさき考えなしのライター志望の多くは、現われはさまざまでも、突き詰めればこういう「コラムニスト」幻想に足とられていたはずだ。

 もう時効だろうからいいだろう、言っちゃう。去年の夏、壮絶な自爆(だろうやっぱし)を遂げたそのナンシー関が、ある時、ボソッと言っていた。

「あたし、テレビのこと書いててるからって、山田さんあたりと一緒にされるのは、なんかキツいんですよねえ……」

 さすがに好漢、「コラムニスト」と呼ぶにはあまりにも職人肌だったナンシー関である。テレビネタでコラム書いてるからっておめえらあんなのと一緒にすんじゃねえよ、とタンカのひとつも切ってしまいたいことが何度もあったのだろう。そこをギリギリでおさえた、あれは職人としての精一杯のプライドの表現だったのだと思う。

 山田美保子のテレビネタの斬り込みがゆるいのは器だから目をつぶるとしても、テレビから映画、グルメに旅行と手当たり次第に手を広げ、何のつもりか嬉々としてダイエットに挑戦までして、それをまたいけしゃあしゃあと原稿のネタにしてしまう。いや、そういう手癖自体がいけないんじゃなくて、何をやってもそれがちっとも芸に昇華されていない、そのことの恥ずかしさをナンシーはきっちり言いたかったのだと思うのだ。そう、おのれの仕事ぶりのゆるさをおのれで気づかず、恥じることもなくはしゃぎ続ける永遠の素人ぶりっこのみっともなさ。山田美保子というビョーキの最も核心はここなのだ。

 

 

 何ももの書きだけではない。最近、『だめんずウォーカー』その他で売れっ子と評判のマンガ家、倉田真由美についても同じ「キツさ」を感じてしまう。こやつも仕事っぷりがとにかく山田美保子丸出し。おのれの仕事の水準についてマジメに悩んだ形跡が見当たらないからムカつく。山田美保子競艇だか競輪だかのタイアップ広告をやっていたのを見た時と同じ不愉快さが、倉田の仕事、特に去年あたりからこっちのものにはつきまとう。

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 少し前、一部でゴシップ的に話題になっていた西原理恵子との確執というやつも、それがどこまでほんとだったかはともかくとして、西原が倉田のゆるい仕事っぷりにムカッときただろうことはおそらくほんとだったと思う。何の背景も経歴もないオンナのマンガ家風情が言われるままに身体張ってバカやって、それをおのれでマンガのネタにして世渡りする芸風というのは、確かに西原がのたうちまわりながら開花させたものなわけで、それをあたかも受け継いだかのように巷間言われ始めていた倉田の手口は、先輩であり本家でもある西原としてはにわかに我慢がならないものだったはずだ。当時、西原が倉田を妬んでつぶしにかかったとか、圧力をかけた、とか言われていたが、それはきっと違う。西原が言いたかったことはきっと、簡単なことだ。「ぬるいんだよ、おまえは。やるならもっと身体張って芸にしろよ」――言葉にすればおよそこんなものだったはずだ。

 けれども、倉田はそれをやらなかった。犬になれ、と言われたのに対して、単に犬の着ぐるみを着てアルタ前で写真を撮らせただけ。やれなかった、と言い訳していたが、違う。横着にも(ここ太字か傍点で強調ね)やらなかったのだ。決して才能がないわけではない、磨けば光るものもあったはずの倉田真由美にとっての不幸は、その身についた山田美保子というビョーキ――天然の横着のまま仕事を始めてしまったことを、指摘してくれる環境がなかったことだろう。そりゃそうだ、80年代出自の最後の生き残り雑誌の『SPA!』だもの、と言ってしまうのはカンタンだが、ちょっと待て、かつてはこの『SPA!』でさえも、使うライター、メディア芸人たちにもう少し身体を張らせることをしていたじゃないか。ほら、小林よしのりにせよ、宅八郎にせよ。

 広告資本の流れに足とられたメディアの現場に風土病としてとりついた山田美保子というビョーキは、「コラムニスト」の時代の終焉と共に、最近ではテレビの「コメンテーター」に、もう一方ではインターネット上に百花繚乱の「日記」に、それぞれ横すべりして感染者を増やしているようだ。朝のニュースショウ系番組やワイドショーなどで、何となく並んで次々示される「お題」に対して脊髄反射で何かもっともらしいことを言うという、あの連中。テレビという枠の中で「コメント」という「芸」を磨いてゆくことは確かにあるし、決して肯定はしないが、たとえば久米宏や、いい時の田原総一朗の「コメント」による仕切り方などには、そういう「芸」の凄味が感じられる時が確かにある。けれども、「コラムニスト」気分を総括もせず、山田美保子というビョーキを潜伏させたまま「コメンテーター」に居すわり始めた手合いは、ネット上の凡庸な「日記」と同じく、葛藤なき自分語り、コントロールの効かない自意識肥大を垂れ流すだけの醜態をさらす。そしてそのことのツケは、今やかつての雑誌などとはケタ違いの威力で正しくおのれの側にかえってくるようになっている。

 「コラムニスト」の時代の終焉とは、そのようなうかつな自意識肥大をノーマークでよしとしない、そういう「常識」が観客=消費者の側に深く静かに育ってきたからこそ、もたらされた果実なのだ。フィードバック回路をおのれの内に担保できないそのようなビョーキは、これから先ゆっくりと、しかし確実に絶滅させられてゆくはずだ。時代はその程度には健全で風通しのよいものになりつつあるらしい。

 ちなみにこのビョーキ、オトコの場合は永江朗、と呼んでも可、だな。