小谷真理vs.山形浩生事件(笑)、はこう読め!

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 ああ、キモチ悪ィ。二日酔いの胃袋にバリウムをむりやり五リットルくらい流し込まれたみてえなキモチ悪さ。胸やけしまくって吐き気がとまらねえや。こうなるのがわかってたから実はこの原稿だけは、仕込みだけはずっとやりつつ、テキストにするのが剣呑で最後の最後まで仕事場の脇によけといたんだけど、ほんまにもう、どうしてくれる、宝島社(笑)。

 小谷真理山形浩生、およびその原稿を掲載した本「オルタカルチャー」を出版した版元メディアワークスと発売元主婦の友社を、名誉棄損として頒布、販売の差し止め請求をやらかした一件であります。

 すでに、世に「オルタ事件」として語られているこの一件、何やら小谷側が「勝訴したわ!」と騒ぎ回ったこともあって、フェミ方面じゃ画期的な裁判のようにも喧伝されているようですが、法律的な額面は別にして、ことの本質としては、ンなこたぁない。シャレのわかんねえ自称インテリのバカまんこ……あ、いやオンナがトチ狂って、いきなり裁判所に駆け込んじまっててんやわんや、ってだけのこってすがな。

 与えられた枚数でこのあまりにトホホホな、昨今の「フェミファシズム」がいかにキチガイ、トンデモ、デンパの域に平然と達していて、しかもそのことにほとんど無自覚のまんまうっかり法廷にまで(というか、そこにしか依拠できないこと自体がすでに深刻なビョーキなんですけど)騒ぎを持ち出すという、ある種公衆衛生を害する存在にまでなりつつあるのか、改めてあたしが笑えるようにわかりやすく絵解きしてしんぜます。ほんと、笑うよ、これ。


 まずはこの当事者のご両人のご紹介を訴状から。

「原告は独身時代、あらゆる社会的活動において小谷真理という本名を用い、訴外巽孝之と結婚後は、執筆活動の場においては夫婦別姓を実践し旧姓の小谷真理ペンネームとして文学評論活動を行なって来たプロの文筆家である」

 

 「被告山形浩生(以下被告山形という)は本件名誉棄損著作の著者であり、被告株式会社メディアワークスは右著作を含むオルタカルチャー日本版(以下本書という)の発行者であり、被告株式会社主婦の友は同書籍の発売元である」

 で、何が問題だったか、っつ~と、要するにこれ。

「被告らは一九九七年一一月五日以降現在まで共同して本書一二一頁、一二二頁、五七頁において小谷真理ペンネームが原告巽孝之のものであるとし、聖母エヴァンゲリオン他の著書の執筆他の広範な社会的活動を行っていないかの如き原告の社会的評価を低下させる文書を不特定多数に頒布販売した。」

 

 「本書掲載の「小谷真理およびそれを泡沫とするニューアカ残党似非アカデミズム」における名誉棄損。被告山形は右論稿において、小谷真理ペンネームが巽孝之のものでなく、同訴外人の妻のものであること、すなわち原告のものであることを熟知していたにもかかわらず、小谷真理というペンネームが訴外巽孝之(男性であり、原告の夫であり同じく研究、著述を業とし、かつ慶応義塾大学の教授を勤める人物である)のものであると述べて、原告が小谷真理ペンネームにて行っている「聖母エヴァンゲリオン」他広範な執筆、講演、講義、座談会、対談等の社会的活動を原告が行っていないかの如き虚偽の事実を適示して原告の社会的評価を低下させた。」

 つまり、ですね。東大卒でMITの大学院出で、今は経済系シンクタンク勤務の翻訳屋&チンピラ売文野郎である山形は、フェミニズム評論を標榜して闘う売れっ子まんこ……あ、いや、女性ヒョーロン家の小谷とアメリカブンガク専攻にしてSF関係にもご造詣の深~い泣く子も黙る慶応義塾大学教授サマの巽が、実生活ではつがいで生物としては別個の個体であることを十分知っていたにも関わらず、まるで、あのね、小谷の書いたものって実はダンナの巽が書いてやってるんだよ~ん、とやって、小谷の名誉をいたく傷つけたじゃないのよ、これって女性サベツだわ、絶対許せないわ、キィ~ッ、ってこってす。

 訴状に引用されてるその山形のモンダイ発言の部分。

「そもそも小谷真理巽孝之ペンネームなのは周知で、ペンネームを使うなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい(名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとしても何も出て来ないとか)、引用まみれで人を煙にまこうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向である。」

 

 「でも小谷真理(というか巽孝之)にはそんな能力はない。」

 

 「今出ているSFマガジンの中で評者どもが一様にほめているのが小谷真理という男(傍点代理人)の聖母エヴァンゲリオンで(…)どっかの借り物の理論を寄せ集めて、それにできあいの作品をこじつけていくだけの、我田引水のエレガンスも鋭さもない鈍重な書物ではないか。」

 わはははははは。山形、センスあるじゃん。

 ……といったあたりが大方の読み方だったと、あたしゃ当時から思ってたんだけれども、ところがあなた、世の中シャレの通じないやつってのはいるもんで、何の間違いか、この前代未聞のなっさけねえ裁判になっちまったという次第。

 要求されてたのは、慰謝料30,000,000円に弁護士代が3,000,000円の、しめて、え~と、3000,000円。(ゼロの数かぞえてみなよ、さんぜんまんえん、でっせ、さんぜんまん)で、頒布、販売の差し止めと全国紙への謝罪広告掲載、さらにニフティのフォーラムやメディアワークスのHPでの謝罪文掲載六カ月、というものであります。この金額の算定基準はってえと、アメリカ様のものさしに従えばこれは「現実の悪意」ってやつに該当して、制裁的慰謝料は二億円にもなるんだから妥当だ、ってんですから、なんだかもう。こいつらとにかく、恥ってもんを知らねえ。

 係争期間は足かけ四年にわたったそうですが、一昨年の暮れに出された判決は、被告小谷の名誉棄損事実を認めて、330万円の支払いを命じております。請求額の一割、というこのテの裁判では機械的な判断でしょうな。小谷側の弁護士がぬかすには、名誉棄損としては高額の賠償金額を勝ち取ったこと、ネットでの謝罪文掲載が認められたこと、発売元にも責任があるとされたことで画期的、なんだそうですが、んなもなぁ、ひとまずどうでもいいっすね。小谷タンときたらこの間、「テクスチュアルハラスメント」なんてカタカナ用語まで持ち出して、まあ、何やら一部じゃこのもの言いがもてはやされたりしていたようですが、これも「アカハラ」(なんだそれ)などと同様、いまどきのフェミバカ界隈のどうしようもない鈍さを象徴してます。

 裁判関係の書類ってのは、なんちゃって法学部出身のあたしじゃなくても、ほんとに無味乾燥なもんですが、なんでもかんでも裁判に訴えるキチガイが増えている昨今、裁判という土俵に乗せられたことでその訴えた側のキチガイぶりが淡々とあぶり出される、というあたりを楽しむ楽しみ方もないではない、と。

 今回、資料です、と、段ボール箱ひとつにみっちり収まって届けられたこの訴訟関係書類のコピー。山形の手もとにあった資料を編集部経由で拝借したものだっんたですが、お断りしておきますが、あたしゃ山形浩生とは面識もなければ、利害関係もない。同時代のもの書きとして書いたものなどは眼にしていますが、それ以上でも以下でもない。なにせあたしゃSF関係はほぼシロウト。そういう前提で読んでも、この資料の山は将来、同時代の民俗資料となり得ることを保証できます。これ、まとめて出版しようよ、宝島社。

 ともあれ、この裁判で小谷の応援団としてくっついて、陳述書だの意見書だのを提出していたメンツをさらしておきます。

 まずダンナの巽孝之。それにその同僚なんでしょう、慶応義塾大学文学部教授 博士(文学) 国語学専攻 関場武。これもお友だちかな、お茶の水女子大学ジェンダー研究センター客員教授 小林富久子。ついでに、これまた近年サブカル方面でたまにトンチンカンな能書き並べている精神科医斉藤環。斉藤は山形の記述を真に受けて「小谷って巽のことなの?」と周囲に聞き回ったという、まあ、ある意味ソボクな御仁であります(笑)。だもんで、たとえ山形の記述がシャレのつもりでもボクみたいに誤解するニンゲンもいるんだから、的な立場で陳述書を出してるんですが、でもだからって小谷の側に立って裁判に関わってしまうってのもなんだかなあ、ですよねえ。

 これに対して山形の方は、基本的にひとりで闘ったようであります。で、これらの陳述書の類を読み比べただけで、もの書きとしてのセンスというか地肩は山形が一枚抜けたものを持っているのがわかります。「ですます」体で淡々と裁判官にわかりやすく陳述するスタイルも悪くない。付随資料として宮崎哲弥その他、この一件について言及した原稿などを資料として添付したようだけれども、小谷サイドのように本人まで引っ張りだしてきて応援団を結成、ほらほら、あたしにはこんなにエラいシトたちが味方についてくれてんのよ、的な身振りはひとまずとろうとはしていない。それだけでもまず、及第点です。



 新聞や雑誌その他のメディアでも、この裁判は結構あちこちで話題としてとりあげられていた。特に小谷サイドのプロモーションはまさに「粘着」丸出しで、だからこそ逆に、資料としても興味深いものが多いんですが、中でも、一件落着した後の今年三月、『婦人公論』に乗ったインタヴュー「テクスチュアル・ハラスメント裁判に勝訴するまで」は、小谷の勘違いぶりがわかりやすく表れていて資料として秀逸です。だって、もう一行目からあんた、勘違いしまくり。これだもん。

「私がやっていることは文芸評論ですが、私が女性で、しかも、文学の教育を受けた人間ではないことが、問題の根本にある気がします。」

 違うっての(笑)。文学の教育を受けてようがなかろうが、それはそんなものを気にするあんたの問題。第一、山形は少なくともそんな経歴のことは問題にしてないはずだし。

「私は、フェミニズムの視点でSF評論を書き始めてから、少し年下の男性たちからいろいろ罵倒されてきました(笑)。彼らには、女は頭が軽くて、エッチな美少年漫画を読んでいれば満足だろうといった偏見が結構強いんですね。」

 それもたまたまあんたのまわりにそういうオトコがたくさんいた、ってだけかも知れないでしょうに。それこそが偏見、セクハラ、ってもんです。キンタマは確かにまんこより単純ですけど、いくらなんでもいまどきそこまでひとくくりにされちまうほど一枚岩でもなくなってる。そのへん、ネットだけが世間、って思ってるそこらの厨房と変わらないっての。

「裁判を始めたころ、被告側には、私には難しいことは書けないだろうという意識があったと思うんですね。恐らく世間的な常識として、女で、しかも学者でもない人間に、『聖母エヴァンゲリオン』のような分析的な本を書けるわけがないという前提があるんじゃないですか」

 これもバカフェミ界隈特有の思い込み。それに、あんたのその『聖母エヴァンゲリオン』を、あんたはそんなに「分析的」で――つまり翻訳してあげると「アタマがいい」立派な本だと思ってるみたいだけど、山形が言いたかったのはそんなことじゃなくて、あんなあ、いまどき80年代残留放射能バリバリなポストモダンかぶれの引用だらけのセンスのない能書きを、それもエヴァなんてのをネタに垂れ流して得意になってんじゃねえよ、みっともねえ、ってことだったんじゃないの? 要はスタイル、作風の問題がいまどきの情報環境じゃ重要になってきてるのに、そのへんのからくりをあんたらまるで自覚してないだろ、ってこと。オンナだから、正規の学者じゃないから、ってバカにしたわけじゃない。センスねえことやってんのにイキがんじゃねえよ、ってだけのこと。相手の言いたいこと、伝えたいことも的確に読み取れない、読み取りたくないビョーキが如実に発症しております。

「私は、そもそもは、SFオタクなんです(笑)。学者のように体系的に何かを学んだわけではないけれど、好きなことをやっていった結果、体系ができてきたというタイプ。大学を出てからは、八年間、薬剤師として血液検査をやっていたんです。その間もファンダムと呼ばれるSFファンの集まる世界に出入りして、同人誌活動をしてました。評論を書くようになったのは、三十歳のとき。フェミニズムとの出会いがきっかけでした。ちょうどそのころアグネス論争が起こり、フェミニズムの本の出版が盛んだったの。私は、上野千鶴子さんたちの本を読んで、初めて女性学という学問を知ったんです。」

 このへんは正直で、実に感慨深いですな。インタビュアーがオンナ(島崎今日子だ)だったってこともあるんでしょうが。上野千鶴子林真理子がいまどきのバカオンナを増殖させたA級戦犯、というのがあたしの持論ですが、この小谷タン、真正面から上野チルドレン、80年代的言語空間の申し子だったことをここで屈託なく白状しています。小倉千加子から田嶋陽子遙洋子に至るラインの中にこの小谷タンも、今後正しくプロットしてあげましょう。バカフェミまんこ保守本流、立派なもんです。

「私自身、職場の女性差別に苛立ち、母との間でも葛藤が強くなっていた時期でした。母は専業主婦ですが、自分の叶えられなかった夢を全部、娘である私に託そうとしたんです。素敵な奥さんになりなさい、そして職業を持ってバリバリやりなさい、と矛盾した要求をいっぱい出してきた。私は、それに対して言われるままに全部やろうとしたから、だんだん苦しくなっていって。それでも、拒食症にも登校拒否にもならなかったのは、SFとかファンタジーの世界に逃避できたからだと思います。フェミニズムは近視のための眼鏡と同じで、それを通すと初めて今生きている世界がはっきりと見えた。そうか、私が苦しんでいる問題もこれを使えば文面化できるじゃん、と(笑)(…)つまり、私にとってフェミニズムはSFの世界を新しく読み解く道具であり、同時に実生活での性差別を解決する道具でもあったんです。それが八〇年代後半のことで、結婚した時期とも重なります。」

 そうか、あんたミサトさんだったかい、という冗談はともかく、「フェミニズム」を「マルクス主義」、に置き換えたら、近代ニッポンに連綿と連なってきたサヨクインテリの系譜ときれいに重なります。小説をあきらめて評論に転向したらまわりからほめられるようになり、仕事も来るようになった。「大学院で毎日一冊ずつ本を読んで論文を書くのと同じことをやってる」とダンナに言われたんです、と得意気に語ってますが、う~ん、「承認」されたんですねえ、ここで初めて。おめでとう、キミはここにいていいよ、ってことで。

 ことこのつがいの関係に関して言うならば、おそらくは感性過敏で不安定でうっかり自意識過剰な真理タンに対して、ダンナの巽孝之どんがいい具合に「承認」を与える根源、言わば「権威」の中心として関係を保っているらしいわけで、なかなかええハナシやないの、ということにもなります。少なくとも世間サマにご迷惑をかけない限りにおいては。

 ブンガク専攻の大学教授サマには釈迦に説法でありましょうが、与謝野鉄幹というオトコが、かつておりました。与謝野晶子の夫ですな。岡本一平というのもいた。岡本かのこのダンナで、あの岡本太郎のオヤジ。ついでに言えば、手塚緑敏ってのもいたぞ。林芙美子の亭主だった売れない絵描きですけど。

 オンナの才能に対してオトコたちがどのように関係を保ち、それを世に出してゆくためにどういう営みを行っていたのか、それはオンナの「内助の功」というもの言いでくくられてきた領域と、おそらくは裏表であるようなものでしょう。絵を描き、詩をこさえ、歌を詠み、なんでもいいけどいずれそういうゲージツ的生活、ボヘミアン的「自由」にあこがれ、それを実践してゆくことの中には、オトコであれオンナであれ、その才能が日常のやくたいもないあれこれの中でそここそ安定してゆけるように関係を制御してゆく、そういう知恵が必ず宿っていたはずです。ヨメの不始末、考え違いをたしなめることなく、逆にその尻馬に乗って裁判沙汰にまで律儀につきあった、その一点においてこの巽どん、残念ですが世に棲む者として、ダンナ失格であります。おまえ、それをやったら世間に笑われるよ、と一言でも言ってやったんでしょうか。まあちょっと待て、山形とは知らない間柄でもなし、オレがちょっと会ってハナシをしてみるから、とか何とか、そういうとりなしのひとつもやろうとしたんでしょうか。周辺資料を拝見する限り、どうもその形跡はないようです。ネット上のカキコミまで裁判資料として取り上げて、ああ、もう、あたしゃこの案件の裁判官がほんとに気の毒でしかたがない。

 単なるSF世間の内輪もめ、が、何の間違いか法廷沙汰になり「事件」になった、と。ガキのケンカに親が出る、じゃなくて、オタの罵倒に法律が、なわけで、フェミニズムの勘違いとそれをそのまま通してしまう環境が、そういう考え違いの重要なブースターとなっていた、そしてそれはおそらくいまどきの化石と化した「サヨク」「プロ市民」界隈にも憑依している症状と基本的に同根である――「オルタ事件」の本質とはそれ以上でもそれ以下でもありません。なんでもかんでも「オンナ」だから、というフィルターで世界を「解釈」してしまうビョーキは、シャレをシャレとして受け止めることもできず、いたずらに「法律」だの「理論」だのといった一枚岩の「正義」=「権威」に依存してゆく体質を醸成してゆきます。「ファシズム」ってのは、こういう体質にこそ使うべきもの言いのはずなんですけどねえ。

 山形の書いたものくらいで名誉棄損なんですから、このあたしの原稿なんざ、一億円くらい請求されてしかるべきとんでもなさのはず。どうぞ訴えてくださいまし。しちめんどくさいのは根っからキラいなあたしですが、ことこの件については誠心誠意お相手させていただくことを誓います、はい。


 

*1:別冊宝島Real/まれに見るバカ女との戦い』(宝島社) 掲載原稿。