1998年1月18日(日)。
今にして思えばあの日こそが、オンライン・ジャーナリズムの夜明けだったのかもしれない。
現地時間午前6時11分、マット・ドラッジは、ゴシップ系サイトのドラッジ・レポートに「『ニューズウィーク』のミッチェル・イジコフが、クリントンと元研修生とのスキャンダルスクープ記事の掲載を拒否され憤慨」という記事を掲載。これを皮切りにして、『ワシントン・ポスト』、『LAタイム』が後を追い、あの全米を揺るがすクリントン不倫スキャンダルが勃発したのです。
ドラッジは高卒の元ギフト・ショップ店長。ジャーナリズムの「てにをは」も知らず、文書はスぺルミスだらけ。無知で無教養なド素人でした。いや、無知で無教養の完全なド素人だったからこそ、記事を流せたのかもしれない。他誌が拾ってきたネタを横からかっさらい、裏も取らずそのまま横流しする。プロならプライドが邪魔してこんなマネはできなかったでしょう。そう、それはあまりにも乱暴な、正真正銘のド素人のやり口でした。
しかし、そのやり口が、ジャーナリズムに風穴を開けたのは、紛れもない事実でした。この事件により、米マスコミ各社は根本的な変革を迫られました。以降、米マスコミ各社は、各媒体の発売日を先回りしてウエッブにニュースを掲載するようになりました。
最も哀れだったのは老舗の週刊誌『ニューズ・ウィーク』です。ドラッジに特ダネをさらわれたあげく新聞各紙にも先を越され、このとき初めて、掲載記事は月曜公開というそれまでの原則を破って、一週前の水曜日にウェッブ上で記事を更新するようになりました。インターネット時代には、一瞬の躊躇が命取りとなる。これはあまりにも残酷な事例でした。
勝利したのはたった1匹の蛆虫。何の知識も教養もバックグランドも持たない、ド素人ゆえの勝利でした。
そして、同じ年の1998年11月16日(月)。【サイバッチ!】は、このドラッジ・レポートをモデルとして創刊しました。以来3年半、閉塞した日本の現状に風穴を開けるため、マスコミによる一元的な情報寡占体制を切り崩すために、発行を続けています。
所沢ダイオキシン問題、東芝クレーマー事件、佐賀バスジャック事件、クボジュン結婚スクープ、慶応医大生輪姦事件……入手した情報はなんら躊躇することなく流し続けてきました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
現在、【サイバッチ!】の読者数は8万人です。しかし、【サイバッチ!】の読者は読者であって読者でない。【サイバッチ!】の読者8万人は情報受信者であると同時に、発信者であり、発行人と同等の立場にあるからです。
ニュースの受け手と送り手とが明確に分離されていた時代は、終わりました。すべてのネットワーカーは、情報の受け手であり、送り手になる。ネットワーカー一人一人がマス・メディアに依存することなく、自己責任で情報を入手=裏取り=判断し、自己責任で発信し、そして受信してゆく時代が始ったのです。
たとえば、慶応医学部を退学になった輪姦野郎が沖縄にいることを突き止め、われわれに知らせてくれたのも「読者」なら、あのアメリカ同時多発テロの時、現地ニューヨークから実況中継で情報を伝えてくれたのも「読者」でした。蛆虫を自認する【サイバッチ!】に、もし、誇れるものがあるとすれば、それは誰もが平等にド素人であるこれら「読者」8万人のネットワークを構築したことに違いありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今、【サイバッチ!】はこの8万人の情報ネットワークを、すべての読者、すべてのド素人と共有していくことを宣言します。そして、閉塞しきったマスメディアに宣戦布告し、その醜くふくれあがった業界のどてっ腹に風穴を開けます。
ジャニーズやバーニングのネタはダメ、同和や総連が絡んでくれば、ひき逃げや覚醒剤関係、場合によっては人殺しでさえも記事にできない、地を這うようにして掴んだスクープなのに上層部がそれを理解できずにお蔵入り……マス・メディアの現場では、毎日毎日、特大級のスクープが日の目を見ることもなく葬り去られていきます。
メディアの務めは、まず世に知られざる事実を表に出すこと。出して、誰もが見て判断できるような土俵にあげることのはずです。そして、自らが信じる正義のために書きたいことを書き、言いたいことを言うことのはずです。
われわれ【サイバッチ!】は、自分の所属する会社や媒体、社会的な立場や地位に左右されず、誰もが自由に、ひとりのド素人として発言できる、そんなメディアを構築してゆきます。もの書きがもの書きとして生きてゆくために、新しいメディアを作ります。社内や学内、所属する組織や業界内の不正や不誠実、モラルハザードを自由に告発するメディアを作る。社会的立場・地位に縛られることなく、自分自身の考えていることを自由に発言できるメディアを作る。馴れ合いや社内事情、わけ知り顔の業界論理ではなく、真に情熱があるもの、真に取材したもの、真に力があるものが臆することなく発言できるメディアを、場を作る。
こうした理念を掲げ、【サイバッチ!】はいま、新たに動き出しました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして、われわれはいま、こうした理念を共有してくれる仲間を募集します。誇り高き蛆虫として、観客民主主義状況での「良き観客」として、われわれと共に時代に風穴をあけてみようという人を広く求めます。
マス・メディアの現状を不満を持ち、すべてをぶっ壊しながら、新しいメディアを作り上げていこうと考えるネットワーカーのみなさん。プロ・アマ、経験の有無はいっさい問いません。ネット上のシステム構築者、ウエッブデザイナー、ライター、編集者、そして、【サイバッチ!】にとって生命線とも言える、ひとりのド素人であり、誇り高き蛆虫である情報の提供者。あらゆる分野のスタッフ、仲間、協力者、シンパを広く募集します。
われわれは、われわれの直感、蛆虫の皮膚感覚を信じます。そして、それが同時代の感覚にも深くつながっていることを、信じています。
連絡先は mr.ujimushi@cybazzi.com。ご一報ください。
蛆虫に光あれ! そして蛆虫の選択する未来に光あれ!*1
――なにかをみつけるために動くのではなく、動くために動く、
つまりさっきも言ったとおり、
人生ぜんたいを遊びとしてとらえたうえで動くのだから、
さがし求めるものなど、はじめからなにもありはしない。
ありはしないことを承知で、
美女とか富とかが、消しきれない幻として、
【サイバッチ!】が動いたあとの余韻のなかにのこっている。
動くことをすこしはロマンティックにするために
この幻はのこされているのであり、
実際にうごいている人たちはロマンチストでなくリアリストなのだ。
動くことによってなにものをも求めめないという姿勢は、
動きはじめるときに、
自分以外のすべてのものをあっさりとすて去っていく
すっきりとあっけないすがすがしさに、しっかりと支えられている。
幻の蛆虫たちは、ほとんどなにも持たずに、
ひとりでただ、ディスプレイに向かい、キーボードを叩き、
眼の前に広がるささやかな現実に立ち向かう。