タクシードライバー、のこと

 タクシードライバー、という言葉の響きが、結構好きです。

 こう言うと、映画の『タクシードライバー』を思い起こす人が多いかも知れません。いわゆるハードボイルド小説や探偵もの由来の「一匹狼」な都会のヒーロー、というのが、映画であれ小説であれ、あちらの表現ではタクシードライバーの定番の造形のようで、なるほど、あのロバート・デ・ニーロ演じるニューヨークの孤独なタクシードライバー、トラビスも、そんな「伝統」にぴったりと収まっていました。

 とは言え、あれはやっぱり海の向こうのアメリカのお話。デ・ニーロがいくらカッコいいと言っても、あれをそのままこちらの日常に引き写してしまうのには、ちとムリがあるってもんです。かつて「神風タクシー」と揶揄された時代はすでに過去のものだとしても、身体を張って路上で稼ぐ世渡り感覚をそのままに反映してくれるような「タクシードライバー」。そんなわがニッポンのタクシードライバーのたたずまいをうまく等身大に切り取った表現は、さて、ないのか。

 あります。たとえば、中島みゆきの「タクシードライバー」に、あたしはまず指を折ります。

やけっぱち騒ぎはのどが枯れるよね

 心の中ではどしゃ降りみたい

 眠っても眠っても消えない面影は

 ハードロックの波の中に棄てたかったのにね

 オトコに振られてヤケ酒あおり、大音量の音楽がひっきりなしに流れる流行りの呑み屋にとぐろを巻いての数時間、張り裂けそうな胸のうちを隠すため、うつろな空騒ぎをしてはしゃぎまわったあげく、はずみで飛び乗ったタクシーの中、行き先さえもろくに告げられない半ベソ泥酔オンナのただならぬ様子を見てとったドライバーは、おそらくはつけっ放しのカーラジオのボリュームを後席に気づかれぬようほんの少ししぼってから、その場の空気をほぐそうとしてくれる。

 タクシードライバー、苦労人と見えて

 あたしの泣き顔、見て見ぬふり

 天気予報が今夜もはずれた話と

 野球の話ばかり、何度も何度も繰り返す

 いいじゃないですか、このシーン。

 何がいいって、まず天気予報とナイターの話、というディテールの選択、しかもそれを「天気予報がはずれた話」と「野球の話」といいならわすことで、主人公であるはずのこの女性の日常との距離感までも存分に含み込んだ描写こそが命、でしょう。ふだんは天気予報も、もちろんプロ野球なんかにも興味を持ちようのない、そんな異なる現実を生きるオンナの立ち位置から、タクシードライバーは見事に「苦労人」として立ち現れます。

 場所は246か、はたまた甲州街道か、いずれそのあたりの盛り場界隈の幹線道路、時間にしたら夜中の零時までもう少し、終電がそろそろ気になり始める時刻でタクシーとしても客の拾いどきで、客待ちの車列が左車線に並ぶかるい渋滞気味の中、その脇をあせるでもなく、慣れた様子で淡々と流れに乗っているその薄暗い車内の、気まずいような気恥ずかしいような、微妙に凝縮された空気までが、しん、とこちらに伝わってきます。

 いまや、かの『プロジェクトX』の主題歌「地上の星」で、国民的歌手として認知されるようになった中島みゆきですが、同時代の風景をワンショットで切り取ってみせる才能の冴えは、さすがにこの頃のものに最も凄味があります。深夜の吉野家にたむろするはじけたい盛りの若い衆の孤独に焦点を合わせた「狼になりたい」、雑誌やテレビに煽られてなけなしの夏休みをそういうもんだ、とばかりに軽井沢にやってくるしかないおそらくは高卒かそれ以下のオンナのコたちを歌った「あたいの夏休み」、などと並ぶ佳曲として知られているものなので、別に中島みゆきファンならずとも、どこかで耳にした方も少なくないかも知れません。

 ただ、この曲、今からもう二十年以上も前、70年代終わりに作られた曲です。ということは、GPSやカーナビ使った自動配車システムはもちろん、カード精算なんかもまだ導入されていず、せいぜいがタクシー無線程度だったはず。タクシードライバーなんかカタカナよりも、それこそ古典的な「運ちゃん」の呼び方がしっくりくるような路上の職人、街の底を流す仕事師、といったたたずまいがまだ生き残っていた、最後の時代だったのかも知れません。

 あのトラビスのようなカッコいい「一匹狼」というよりも、酸いも甘いも噛み分けた「苦労人」――わがニッポンのタクシードライバーのイメージは、どうやらそんなものであり続けてきたようです。デ・ニーロよりも、むしろ伊東四朗や故川谷拓三なんかがよく似合う、そんなキャラクター。

 若い世代や女性のドライバーも珍しくなくなった昨今ですが、でも、そんな「苦労人」ゆえの信頼感や、ちょっとした気配りみたいなものもまた、タクシーを利用するあたしたちの側が期待する、目に見えないサービスの重要な部分になっているはず、と強く思います