白装束観察顛末記


イラク戦争がニッポンのメディア界隈の大方の「期待」をものの見事に裏切って米軍の歴史的圧勝に終わってから、この四月末から五月上旬にかけて、メディアの話題は、かの「白装束教団」一色に染まりました。
メディアが連呼しているうちに、いつのまにかこの「白装束」が通り名のようになってしまいましたが、正確には「千乃正法会」。例の白ずくめの異様なクルマで山中を移動しているのは「パナウェーブ研究会」と名乗る彼らの別動隊で、「キャラバン隊」と呼ばれるものだったようです。なんでも、「スカラー波」というのが人類滅亡につながる、と主張して、それを観測しては比較的そのスカラー波の少ない安全な場所に教祖を移動させるのが目的、とか。いまやその「スカラー波」は大量破壊兵器にも応用されていて、何を隠そう、われらが教祖サマは共産勢力から日夜その「スカラー波」による攻撃を受けて、いまや瀕死のありさまなのだ……とまあ、どう考えてもまともでない言動を繰り返していた集団なのは、すでに皆さまもご存じの通りです。
その言葉尻をとらえて、そうか、こいつら反共なのか、ということは近年やたら勢いづいているあの憎たらしい右翼や保守勢力の仲間に違いない、とばかりに、一部化石左翼系人士の間ではこの「白装束」を保守陣営といきなり結びつけようとする手合いも出ているようですが、こりゃ単なるトンデモ系のデンパ物件。デンパに左右も貴賤もなし、というわけで、その時代その時代に支配的な言説に対して妄想抱いて反応しているだけのことです。これが三十年前、左翼言説がまだまだ世間のデフォルトだった時代ならば、間違いなく「右翼に狙われている」とかの本多勝一ばりの妄想全開していたことは間違いありません。それが証拠に、この教団、ざっと調べてみた限りでも、今のようにはっきりと「反共」言説をばらまき始めたのは90年代半ばくらいから。歴史教科書問題その他で、それまで当たり前とされてきた戦後民主主義的言説が広く疑われるようになり、世間の風向きがそれまでと大きく変わり始めた時期と、おおむね合致しています。オウム真理教が「米軍から攻撃を受けている」と必死に言い張っていたのを、よもや忘れたわけではありますまい。
現われは「反米」と「反共」、一件逆方向でも、そういう妄想抱いてしまう向きのココロのありようはどの時代でも基本的に同じ。何であれ「反○○」をうっかり純化していった原理主義は、いずれ行き着くところ、同じデンパでトンデモな墓穴を掘る、ということなのでしょう。言葉の表層で右だ左だとだけ分類することに血道をあげていては、簡単にこれらの妄想に巻き込まれて足もとすくわれるというのは、こんな何でもありなご時世だからこそ、思想の中庸、大文字に発情することなき均衡とれた「常識」を志す者ならば、深く心しておきたいことのひとつであります。


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この「白装束」教団、公安マターとしてこれまで認識されていた事実はあるようですが、ここにきて世間に一気に注目されてきた理由というのは、まず、例の多摩川界隈に出現した人気者のアゴヒゲアザラシたまちゃん保護騒動を引き起こしていた「たまちゃんを想う会」の資金源のひとつがこの「千乃正法会」らしい、という『週刊文春』の記事がきっかけだったのは間違いない。ただ、それだけのことでここまで盛り上がるわけはないんで、その後の報道とそれに対する世間の反応をいろいろ突き詰めてみると、要するに、風体や言動がとてもあやしい、以前のオウム真理教とイメージ的になんだかよく似ていて気持ちが悪い、といったあたりの素朴な気分が主たる原動力だったのでしょう。
いまのところ特に重大な事件性がはっきりあるわけでもなく、またその証拠もとりあえずあがっていないのに、ここまで注目されてしまったのは、要するに、典型的なワイドショーネタ、良くも悪くもいまどきのメディアの最も世俗的かつ煽情的な部分にきれいにヒットする素材だったわけで、NHKなどは神社関係に配慮してか「白装束」というもの言いも使わず「白い衣服の集団」などで統一、四月末に岐阜県山中に居すわっているのが明らかになってワイドショー系番組で話題になり始めてからも、定時のニュースで報道することには極力慎重になっていることがうかがえました。
 千乃正法会自体は、宗教法人資格は取得していません。教祖は、周知の千乃裕子で本名は増山英美とか。別名「レイナ・エル」で、自らを陽成天皇の末裔と主張しています。このへんは聞けば聞くほど頭痛がするので、マジメに相手にしない方がいいでしょう。
教団の設立は、どうやら1977年頃。新宗教団体GLAより分派、独立したとされています。一説には内部抗争に敗れた結果とも。麻原彰晃こと松本智津夫幸福の科学大川隆法なども、GLAに関わり影響を受けた経緯があり、その意味では、70年代以降に目立ってきたいわゆるニューエイジ系カルトの本流と言えるかも知れません。GLA信者の有名人には、関口宏・西田佐知子夫妻や作家の平井和正がいて、現在も活発に活動しています。ただし、GLAは現在、千乃正法会との関係を懸命に否定していますが。
千乃正法会の教団自体の趨勢としては、ピークの時期は80年代末から90年代の始め、一万人以上の支持者がいたと言われますが、近年は機関誌の購読者なども全盛時の一割程度にまで激減していて、財産を差し出した出家信者の集団とも言われるあの「キャラバン隊」にしても、例外的にコアな信者に過ぎないという説もあります。また、若い高学歴の信者が幹部に多く、教団自体も拡大傾向にあったオウム真理教と違い、「キャラバン隊」に限っても三十代から四十代の比較的年輩の信者が目立ち、オウムの幹部たちのような露骨な衆愚思想にもとづいたエリート意識もあまり感じられないなど、世界観やそれを組み立てている要素の共通性は別にして、オウムのような対社会テロをいますぐ実行できるような力を持っているようにはちょっと見えません。
にしても、クルマ二十台に四十人規模の人間が移動生活し、また、山梨県大泉村のドーム施設など各地に散在する拠点を建設、維持してゆけるだけの資金源がどこにあるのかわかりませんし、機関誌の売り上げや健康食品の通信販売などでそれだけの額が確保されていたのかどうかも未だに謎なわけで、先日行なわれた全国拠点に対する一斉捜査には、それらの部分に対して警察関係が大きな関心を抱いていることが反映されていたようです。


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ともあれ、この「白装束」騒動、発端となった岐阜県から長野県、山梨県からまた反転、福井県の拠点に戻る、という迷走をおよそ半月あまりにかけて繰り広げた「キャラバン隊」の顛末が、この間のワイドショー的報道の眼目でした。
岐阜から長野に向かって移動を始めた五月始めの頃からは、警察によるサンドイッチ作戦で報道陣もそれまでのように彼らに肉薄することがしにくくなっていたようですが、時速10キロ程度のノロノロ走行で白ずくめの異様な車列が山あいの国道を大名行列のように行進してゆくさまに対して、道路交通法違反などの微罪で対処してゆくしかない警察に、ワイドショー桟敷の世間は「一般市民に対してならばじきに違反キップを切ったり、車輛を没収したりするのに何やってんだ」という厳しい声が寄せられていました。

【4月28日〜30日 岐阜県郡上郡八幡町河鹿】

この「白装束」騒動がにわかに持ち上がり始めたのは、ゴールデンウィーク中。福井県から岐阜県郡上郡八幡町の山中に移動してきて陣取っていた彼ら「白装束」に対して、地元テレビ局などを中心とした報道陣が取材をし始めていたのですが、4月28日の昼間、「白装束」と報道陣との小競り合いが起こってその様子がテレビに流されたことで、一気に話題が沸騰しました。
 たまたま岐阜県笠松競馬場に取材で出張っていたところに、この騒動が報道されていたもので、ちょっと足を延ばせば現場に行けるということで、メルマガ【サイバッチ!】大本営から「すぐ行け!」との指令を受信。酔狂にもノコノコ出張ることにしました。
現地に到着したのは28日の夕方。もうあたりが暗くなり始めた頃でした。岐阜市内からレンタカーを駆って高速道路経由で約一時間ちょっと。東海北陸道郡上八幡インターでおりてちょっと南に戻り、八幡町方面から小駄良川という小さな川沿いに河鹿という集落方面に北東にのぼってゆき、途中で北西方向にあたる上古道という集落方面に、左に尾根を越えて抜けてゆく道の途中です。
報道では「林道」と言われてましたが、地道ではなく一応舗装された山道でした。岐阜県大和町と八幡町を尾根越えでつなぐ地元の生活道路といったところでしょう。
とは言え、場所によってはすれちがい困難な狭さに、報道陣はワゴンやハイヤーで押しかけていて、ちょうど現場を引き上げてくるクルマと何台もすれ違いました。逆に福井県の方から入ってくるには、長良川鉄道越美南線の徳永駅前を古道集落の方向へとのぼってゆき、途中で右に折れてさらに奥へ入ってゆく形になるんですが、こっちはちょっとわかりにくい。地元の人も、道路が広くてアクセスしやすい八幡町の方からのぼってゆくのが普通のようでした。住所としては、岐阜県郡上郡八幡町河鹿。名前の通り、田植えの準備で水をたたえた田んぼからは、ケロケロケロケロ、とカエルの声が。まずは絵に描いたようなのどかな山村です。
道中、すでに地元住民の手によるものとおぼしき「パナウェーブ早く帰れ!」などと書かれた手作りの立て看板がいくつも。つづら折れの山道をたどってゆくと、ガードワイヤーに白い布がかけられているのが見えてきました。じきに白いワゴン車やアルミバンなどが路側に停まっているのを確認。白装束の信者たちの姿もちらほら見えました。報道では信者が道路の交通を遮断しているとのことでしたが、すでに夜にさしかかっていたのでそれはなく、徐行して撮影しようとしたのに対しても、早く通り過ぎろ、という感じで無言の身振りで促す程度でした。霧雨が時折降ってくる天候だったのですが、道端に座禅を組むように座って瞑想している信者の姿もありました。声をかけてももちろん返事はありません。
クルマの陣容は、福井や青森といったナンバーのものも含めて、ワゴン車が5〜6台、4WD車が2〜3台、あと、軽のワゴンなんかもありました。レンタカーのステッカーの貼られたアルミバンが3台ばかり並んでいるあたりがキャラバンの中枢部隊のようでした。
翌朝、8時過ぎに再び現地へ。テレビクルーは地元の中京テレビ(テレビ朝日系列)が一番乗り。中継車など数台がすでに陣取り始めていました。白いワゴン車が二台、路側に停まってこちらを監視するように信者が数人、その前に立っています。車内からはデジカメとビデオ回しているあたりは、強制捜査当時のオウムにそっくりです。例のグルグルマークはこのワゴンにはほとんど貼ってなくて、代わりに八咫烏とヘビをあしらった水色のマークがドアにありました。
すでにミニパトカーと警官二、三人も来ていて、報道陣に対して「昨日の騒ぎがあったんで、通行は遠慮してもらいたい」と要請。趣旨を確認すると、強制力はない「お願い」ということでしたが、報道陣としても最初のうちだけは一応尊重しようとおとなしくていました。また、この日からは県警からも応援部隊が来ていて、交替制で貼りついているようでした。
彼らのクルマは前後からコードを伸ばして接地してあるんですが、それがはずれて落ちていたのをマスコミ関係者が拾ったら、おまえらがとったのとらないの、とちょっともめたりしていました。それにしても、ワイドショー系マスコミってのはつくづく元気です。前日にあの鏡みたいな楯を振りかざして取材妨害されたこともあって、「今日も昨日みたいにドンパチあるんですかねえ」なんて言いながら、明らかにワクワクしてましたもの。前日のような騒ぎの「絵」を欲しがっているのがミエミエでした。ちなみに、前日に信者ともみあった血気盛んなテレビのカメラマンは、シフトの関係か、この日は来ていなかったようです。
そのうち、その他のマスコミも続々と押し寄せてきました。新聞・雑誌・テレビとほとんど全社そろっていてざっと見渡しただけで五十人以上、六、七十人にはなったんじゃないでしょうか。前夜も八幡町近辺の宿は軒並み報道陣で満杯で、あたしゃ美濃市までくだってようやく寝ぐらを確保したくらいです。NHKはいないのかな、と思って見ていたんですが、前日にも一応来ていたらしいです。ただ、地元支局だった可能性が大。地元中京テレビに名古屋テレビ、フジ、テレ朝、TBS、その他6台以上はテレビカメラが来てました。
新聞も読売や朝日がいましたが、これもおそらくは地元支局か、大阪本社系のような気が。もちろん、写真誌のカメラマンなども来てました。その他、週刊誌系はGW進行で合併号出したところでしたから、あまり動いていなかったようです。
信者は文字通り白ずくめの白装束で、白い長靴に白衣、眼にはゴーグルまでして頭にも頭巾のように白い布を巻いてますから、報道陣の中の女子アナなどには「なんだか給食のオジサンみたい」という声も。まあ、確かにオウムみたいな見え方はしますんで、そういう意味では不気味でしたが。あと、たまに白い大きなゴミ袋みたいなのを盛んに運んでましたね。中身は白い布やボロみたいなもののようでした。これを運ぶのにふたりひと組でウロウロするのですが、どうやらトランシーバーで指示を受けているらしくて、途中でUターンしたりと挙動不審なこと著しい。また、それに報道陣数十人がみんなゾロゾロとついて歩くから、いやもう、壮観です。
地元署だけでは対応できないということなのか、この朝からは顔つきの違う私服警官も混じるようになっていました。岐阜県警が本腰入れ始めたということなんでしょうか。立ち話の中で、「マスコミはみんなで突破しようとかしてんの?」「いや、それはないと思いますよ」みたいなやりとりもあって、報道陣とは苦笑まじりの関係でした。あと、前日に彼らの「武器」になった例の鏡張りの板(写真撮影などに使われるレフ板みたいですが)は、道ばたに転がっていました。どうやら、ふたつ折りにして持ち運べるような構造のようでした。
まあ、あのオウムも最初のうちはシャレでおもちゃにされていましたから、呑気に笑ってばかりいちゃいけないんでしょうけど、でも、報道陣を前に信者たちがにわかに演説始めたら、その内容たるや、とにかくデンパ丸出し。「小渕首相も電磁波で暗殺された」「家のまわりにコイルがあった、ポケモン事件もあれはテスラ波で兵器にやられたんだ」ともう、どう聞いてもまともじゃない。正しくビョーキです。「マスコミの横暴だ〜」、っと叫びまくる一幕もあって、警察が割ってはいってもみあいになったりも。とは言え、こちらの質問には「ノーコメント」を繰り返す程度で、しゃべるのは演説ぶってた数人が中心でした。あと、四十代から五十代とおぼしい年輩の信者も目立ちましたね。信者の人数は確認できた限りはそんなに多くなく、せいぜい十人から二十人弱って感じでした。ただ、ワゴン車とかコンテナの中に、まだひそんでいたような気配ではありました。
地元を少し聞き込みにまわったところでは、彼らは買い物におりてくる時には白装束を脱いでいるのか、普通の服装のようです。また、クルマも白いものでなく、トラックなどでやってくるとか。郡上八幡側の八幡警察署のそばのスーパーや、国道沿いのディスカウントショップ、徳永駅近くのコンビニなどが買い出しポイントだったようです。
「ヘンな人たちよ。けど、何するわけでもないよ。ただ買物して帰ってくだけ。キモチ悪いけどねえ」
 「ふだんは人の通らないところやからね、あのへんは。なんか警察ももてあましとるみたいやけど。はやいところ追っ払うて欲しいけどねえ」(地元の人たち)
ちなみに、この時点ですでに公安筋から、今から数年前に連発した鉄塔倒壊と関係があるじゃないか、という話も聞こえてきていたようです。99年2月の香川県を皮切りに、山口、千葉、淡路島と連続的におこったあのボルト外しによる鉄塔倒壊事件ですが、これと彼ら「白装束」との関わりが当時から疑われていた、という話でした。



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その後、警察庁の大号令に動かされた岐阜県警の移動勧告によって「白装束」は移動を開始、大名行列のように警察とマスコミを従えてノロノロと動いてゆく姿は、ワイドショーのみならず、通常のニュースメディアにも登場して耳目を集めたのはご存じの通りです。
また、長野県開田村近辺にとどまっている時に、それまでは死亡説も流れていた教祖千乃裕子の独占取材に、フジテレビが「白装束」側から逆指名されて成功。最初は映像取材を拒否されていたものの、後に映像も流出。大阪生まれの生い立ちなども週刊誌を中心に暴かれてゆきました。
また、「白装束」の背後に「統一協会」がいる、という話が、彼らの資金面を探っていた一部のマスコミ周辺からささやかれるようになってきました。発端は、彼ら「白装束」の機関紙「フリーダム・ダイジェスト」誌で、その奥付に記された発行所の「未来政経研究会」が糸口。住所は渋谷区道玄坂の雑居マンション。調べてみたのですが、ここは単なる私書箱屋で、同会はすでに契約解除していました。「白装束」は、一方で健康食品などの通信販売も手がけていたので、その勧誘メイルなどをここから出していたようです。
この未来政経研究会が「新しい歴史教科書をつくる会」の活動にも関係している、という話が出てきたのもこのあたりからです。実際、99年に日本歴史修正協議会という組織が開催したセミナーに、つくる会や本誌『正論』などと共に、この未来政経研究会も後援団体として名前を連ねていました。この会の実体は今のところまだよくわかっていないのですが、読者の中に何か事情をご存じの方がいらっしゃったら、どんなことでも結構です、編集部までご連絡いただけたら幸いです。