重松 清『ハルウララ物語』

走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語

走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語

ずばり言う。写真にカネ払う本だ。

去年の秋口からワイドショーなどで一気に盛り上がったハルウララ人気。赤字経営地方競馬がバタバタつぶれるこのご時世に、未だ踏ん張って全国最低の賞金水準でなお競馬を続ける高知競馬場所属の八歳牝馬。戦績は現在102戦未勝利。「負け続けても頑張る馬」といった煽りも効いて、国内の新聞やテレビはもちろん、なんと海外メディアにまで大きく報道される始末で、ちょっとしたブームではある。当然、商売にしようと目論む手合いは跡を絶たず、本に限っても、動物+癒し系美談でいっちょあがり、な企画がいくつも出ている。ブームとはそんなもの、商売するのも渡世のひとつでそれはそれ、なのだが、さて、中でも一番槍と目されるこの一冊、デキはいかがなものか。競馬通の某作家が断ったものを敢えて引き受けたとも聞くが、限られた時間で頼まれ仕事をソツなくこなすライターとしての技量はなるほど確かだが、ピンで通るコクのある「おはなし」には正直、ほど遠い。ルビまで振って一般向けを狙う意図も、直木賞作家の看板掲げた売らんかなのオビも、肝心かなめの文章が引き受けきれなきゃ、敢えてブームで商売する意味はない。

しかしこの本、写真に救われてる。クレジットを見ると平凡社の社カメらしいが、それこそ雑誌『太陽』このかたの社会派写真な直球一本、かつての土門拳ばりのコントラストのきついモノクロで切り取られた厩舎(うまや)を始め、高知競馬を仕事とする人たちのシーンがいい。いまの地方競馬の現場がどれだけ厳しいものか、どうしてハルウララみたいな馬がまだ現役でいられるのか、それらの背景について具体的な予備知識がなくても、人と人が生きる場についてのまっとうな視線さえ備わっていれば、見る者にきちんとそれらを察することをさせるだけの仕事になることを教えてくれる。商売の間尺で、奇しくも〈いま・ここ〉を切り取る器量を測られちまったこの勝負、情けないが活字の負け、だ。