競馬とインターネット

 ひとくちにインターネットと言っても、それが本格的に普及するようになったのは、せいぜい97、8年以降。世間一般にもその流れがはっきり見えるようになったのは、ブロードバンドに代表される常時接続環境が整備されるようになった、ここ数年のことと言っていい。

 そんなインターネットの利点を活かしたビジネスの代表的なものに、ネットオークションがある。ご存じのように、ヤフーを筆頭に楽天、ビッダースなどいくつもの業者が参入していて成長を続けている活気のある市場だが、当然、競馬関係のグッズなども必ずこれらのオークションにかけられている。

 もともと競馬グッズ市場というのは、俗に言う競馬バブルの時期、それまでの馬券そのものの楽しみから一歩離れたところで、いわゆる「お宝」的な関心から大きくなってきた経緯がある。それも、それまでのプロスポーツの関連グッズ市場――たとえばプロ野球ならば、スター選手の色紙やサインボールといったものにあたる、騎手のサイン入りグッズや使用済みステッキ、ゴーグルなどにとどまらず、「関係者限定」といった付加価値のついた記念メダルやプレミアムグッズ、さらにはあのオグリキャップから火がついた競走馬のぬいぐるみや関連キャラクター商品、ファンが独自に撮ったスターホースたちの「生写真」に、はずれ馬券のコレクションに至るまで、ファンのニーズの拡大に伴ってその守備範囲も広がってきた経緯がある。その意味で、これら競馬関連グッズ市場の拡大は、ニッポンの競馬ファンの欲望の変遷に見合ったものになっていると言っていい。実際、オグリキャップなどは、生涯獲得賞金よりもキャラクターグッズ関連の売り上げの方が大きかったと言われている。競馬関連市場のこのような拡大と変貌というのは、実はニッポン競馬の現在を語る上で避けて通れない問題なのだ。

 もちろん、ネットが普及する以前にも、そのような競馬関連グッズの売買や取引きは行われてきていたし、またそれをビジネスにする向きもあった。けれども、それが独立したある種の業界として成り立つようになったのは、やはり先に触れた競馬バブルの時期である。

 最初は同好の士、コレクター間の交換会のようなものから始まり、その中から専業化してくるとそこに相場が形成され、需要に見合った価格がつけられるようになって市場が動き始める。どんなくだらない、意味のなさそうなものでも欲しい客がいて、価格に対してカネを払う者がいれば、それは「商品」として流通するようになる。

 それは、言い換えれば、ニッポン競馬が単に馬券を介したギャンブルスポーツというだけでなく、情報を消費するというモードに重心を大きく移し始めたことと対応している。血統や厩舎関係、馬主や騎手など従来の馬券予想の範囲にとどまらず、馬と競馬をめぐるさまざまな「情報」を自由自在に組み合わせてゆくこと、何よりそれ自体が目的化してゆくことで、そこに新たな競馬の楽しみ方が生まれていった。

 その最も象徴的なアイテムがあの「ダビスタ」――ダービースタリオン、だったと言っていいだろう。実際に馬など触ったこともない、身のまわりに生きた馬などいなくなった高度経済成長以降のこのニッポンで、血統その他の馬に関する「情報」だけをシミュレーョンしてゆくゲームがあそこまで受け入れられたことは、競馬ファンの拡大に大きく寄与したことは間違いない。

 と同時に、それはそれまでの馬券オヤジ的なファンの外側に、ある種バーチャルな競馬を消費する能力を備えた新たなファン層を生み出した。それは、いまではPOG市場にまで新たな広がりを見せるようになっている。そのことの是非はひとまず措くとして、現在のニッポン競馬を支えるファンのニーズのある部分は、確実にこのような、競馬バブル期以降に顕在化してきた情報競馬を消費する層が支えている。

 最近でも、あるオークションにこんな商品が出品されていた。

http://auction.msn.co.jp/item/26299738

☆★☆競馬ファン必見!!☆★☆完全本物!!!天皇賞騎手賞 金杯

ロットナンバー:26299738

現在価格 : 100,000円

桐の箱に入った14金の杯。

箱の大きさ 8.5cm×8.5cm×4.5cm

22.2~3g(金杯のみの重量。5g刻みの計りで計量しましたので、大体です。)

ホールマークはありませんが、K14の刻印、徳力の刻印入り。

鑑定書はありません。

徳力が何かは当方わかりかねますが、作者の銘かと推測しております。

未使用品。

賞に入った騎手だけが貰える物で、一般には全く流通しておりません。

金杯の裏に天皇賞の第何回か等彫りこんであります。

未使用で桐の箱にずっと大事に仕舞われていたので、

細かい傷はあるものの、目立つ傷、汚れ等はありません。

落札者の方にのみ、希望があれば騎手の名前をお教えしたいと思います。

天皇賞で貰った物なので、品質は信用できると思われます。

他に、同じ謂れの銀のスプーンも出品しております。ご覧下さい。

こちら代理出品になります。責任を持って私が最後までフォローさせていただきます。

こちら、別途、梱包用箱代100円、落札手数料をご負担願います。

 これが仮にホンモノだとして、常識的に考えれば、その天皇賞馬の関係者の持っていたものが何らかの経路で流れ出したもの、ということになる。煽り文句は「騎手」であることを強調しているが、馬主や調教師、厩務員などの可能性も現実にはあり得る。カネに困ったそれら関係者が人を介して売りに出ているのか? ならば誰だ? ●崎か? 田●か? いや、塩●だ、村●だ、と、一時期「流出元」探しが話題になったものだ。

 オークションに登録されていた出品者の素性や、それまでの出品物などから見て、「男性」で登録しているものの、どうも女性の匂いがする、という意見もあった。もちろん、匿名性が本質のネットオークションのこと、ほんとのところはわからないのだが、このような高額で素性のよくわからない品物を落札する顧客がいることもまた確かだ。

 「ホンモノ」であることの誘惑、「関係者限定」という煽りがその誘惑を増幅し、購買欲を刺激する。この刺激と反応の連鎖の構造は、実はかなり根深い。


●●

 とは言え、ネット環境でいま、当たり前に起こっているようなグッズ売買がらみの事件は、それ以前からも起こっていた。

 いまから7,8年ほど前、重賞勝ち馬の肩掛けや蹄鉄などを自分で偽造して、それをあたかもホンモノのように偽って売りさばいていた女性競馬ファンのやり口が、問題になったことがある。

 当時、岩手競馬所属で全国的にも人気のあったトウケイニセイの重賞肩掛けが、半ば口コミのような形で売りに出され、それをかなりの高額で買ったファンがたまたま同馬の関係者と知り合いだったので何の気なしに問い合わせたところ、偽物であることが発覚、それを糸口に彼女たち(複数いた)がそれまでに売りさばいていたグッズの多くが関係者に無断でつくられた偽物だったことが判明して、一時は訴訟沙汰になるならない、という騒ぎにまでなったものだ。

 もちろん当時のこと、その販路はネットではなく、郵送による、言わば通信販売だったのだが、手製のコピーによって作られたカタログは、それぞれのグッズの写真に競馬ファンの購買欲を刺激するような説明文が添えられ、いまだったらそのままネット上のHPに転記されても不思議のない内容になっていた。

 彼女たちはもともとごくふつうの競馬ファンだったのだが、ファンという立場で好きな馬の馬主や厩舎および牧場関係者などに近づき、親しくなったところで生写真を撮らせてもらったりしてさらに接近、時には仕様済みの蹄鉄や肩掛けなども実際にわけてもらうこともできるようになっていた。それらの「もの」はその限りではホンモノなのだが、問題はそれを業者に持ち込んで複製し、あたかもホンモノのように勘違いさせながら販売していたことだ。

 重賞肩掛けは普通、調教師や馬主が記念に保管するし、それぞれが半分ずつ切って持っていることもある。その他、記念に、と関係者に配布する分をレプリカとして業者に複製させることもあるが、あくまでもそれは関係者の手によるもの。一介のファンが無断で発注していいものではないし、ましてそれをホンモノであるかのように偽って売りさばいていいわけがない。

 その他、メジロラモーヌの三冠達成時の蹄鉄、だのも麗々しく額縁に入れられてプレートまでつけられて売られていた。もちろん、どこかの無名の馬の蹄鉄を拾ってきてメッキで加工、画材屋でよくあるような額縁に入れてしつらえられた、明らかな偽物である。

 蹄鉄自体は、大きなレースを勝った馬の場合、記念品として関係者がたくさん複製することは珍しくない。「●●●●●●(某有名馬)の蹄鉄ならば、オレ、目つぶってても造れるよ」と冗談まじりに言う装蹄師もいる。だが、それもまたあくまでも関係者の依頼によるものであって、単なるファンに過ぎない第三者のシロウトが勝手に注文していいものでもないし、ましてそれらをホンモノであるかのようにでっちあげていいものでもない。

 当時、彼女らに言い寄られて結果的にだまされた馬主にしても、あるいは厩舎関係者にしても、全くの善意で彼女たちにつきあっていた。

 最初は手紙を書いてくる。オンナのコらしい文字で、好きな馬への想いを綿々とつづった手紙が厩舎や牧場に舞い込む、ファンサービスも仕事のうち、とわきまえるようになったいまどきの調教師や牧場主が返事を出すと、それからやりとりが始まる。そのうち、今度の休みに遊びに行っていいですか、とか言ってよこすようになる。牧場などには実際に出かけて、来たら来たで牧場側もそうじゃけんにできないから泊めてやったりすると、もう完全に身内感覚。厩舎でも出入りするたびに写真を撮ってゆき、それを仲間うちに自慢するようになる。そうこうするうちに彼女たちの自意識が変容し始め、最初は素朴なグッズの交換、生写真自慢だったものが、「厩舎と特別な関係のあたしたちだから撮れた貴重な写真」「関係者と太いパイプがあるから頂戴できた限定品」といったいやらしい煽り文句が飛び出し始める。「閉ざされた競馬サークル」ゆえに「あたしたちだけが知ることのできたヒミツ」という勘違いも余計に輝かしいものになる。なにやらこのへん、予想業者の煽り文句と似ている。あるいは、昨今ひとしきり話題になったイラクのあの「ボランティア」たちの自意識肥大のありよう、とかとも。「みんなが知らないことを知っている特別なあたし」の甘美さに酔っぱらい、分をわきまえない振る舞いや言動があたりまえになる。

 馬主にしても厩舎関係者にしても、「若いオンナのコだし、うちの馬のファンだ、って言うから、最近はこういう熱心なファンが増えたんだなあ、と思ってつきあってただけなんだよ」(知らない間に生写真を売られていたある調教師)と言っていた。それはほんとにそうだったんだろう、と思う。

 だが、思い起こせばちょうどその頃から、重賞などの表彰式のあとで騎手や関係者に群がる普通のファンの中に、サインをねだったり写真を撮ったりすることに加えて、「何か投げてくださ~い」「ステッキちょうだ~い」と、あからさまにブツをねだる声が混じるようになった。馬名が入るようになったゼッケンなども、たまたま厩務員が善意で一部のファンに譲ったものが、その日のうちにネットオークションに出品されていた、という話もそう珍しいものではない。あるジョッキーは、「エサやらないでください、じゃなくて、客にモノを投げないで下さい、だよ」と、苦笑する。ファンと向かい合う時の彼らの意識にも、それら競馬をめぐる情報環境の変貌は影を落としている。


●●●

 近年、POGが新たな競馬ファンの市場を作り始めている。

 競馬バブルはすでに遠く、地方競馬はもちろんJRAすらもファンの競馬離れに頭を抱える中、競馬雑誌も売れなくなって廃刊休刊が相次ぐ状況で、POG関連本だけはかろうじて好調だという。また、競馬バブルでにわかに生まれた競馬ライターの中にも、このPOG市場にシフトして生き延びようとする、ある意味生命力たくましい向きも少なくない。

 もともとは内輪の遊びとして始まったPOGだ。仲間うちで自分の持ち馬を決めて、それでささやかなカネを賭けて馬主気分を楽しんでいた、それはそれで全く微笑ましいことだったと思うのだが、しかし、それが増殖しておおっぴらに行われるようになると、また別の問題も生じてくる。

 自分は決して当事者ではない、という分を見失うこと。どんなに事情通になったとしても一介のファンにすぎない、という立場を、よくも悪くもきちんとわきまえること。それらが容易にわからなくなってしまう危険性を、ネットオークションでの競馬グッズ販売のケースと同じく、POGもまたはらんでいるように思う。

 何より、実際にその馬を所有し、自腹を切って維持している馬主にとっては、POGのオーナーたちというのは正直、うとましいものだと言われる。それはそうだろう。自分はリスクを負うことなく、勝手にオレの馬だ、いや、あたしの馬だ、と盛り上がり、それはそれでまあ、いいとしても、カネまで賭けてしかもそれがいまやシャレにならない額のやりとりになっていると聞けば、馬主のオレの立場はなんなんだ、と思ってしまうのも不思議ではない。

 ダビスタが全盛時、それにハマった競馬ファンの中には、なんと実際の生産牧場にいきなり手紙を寄こして、おたくの繁殖牝馬にはこういう配合がいいと思います、などと能書きを垂れる馬鹿者もいたという。中には、小学生くらいのコドモがいっぱしの血統理論を展開してくるケースもあったという。日常に馬のいなくなったこの社会で、生きた馬に関わる仕事でもない者が、どうかすると小学生から、やれ、ノーザンダンサー系がどうの、ヘイルトゥリーズンがどうの、と、競馬まわりの能書きだけは身につけるようになった、そんな奇妙な現実を、いまのニッポン競馬は引き受けねばならなくなっている。そしてそういう奇妙さ、危うさの上に、POGもまた立っている。

 いわゆるクラブ馬主とPOGの間の距離というのは、案外近しい。クラブ馬主が競馬ファンの底辺拡大に寄与したことは疑う余地がないが、同時にまた、馬を持つ、ということについてのリアリティを大きく変えたことも事実だろう。クラブ馬主市場の顧客として当歳馬の血統を調べ上げることは、同時にPOG市場のための持ち馬選定の作業にもきれいに重なってゆく。かくて、牧場の生産馬は生まれた時から、情報競馬の現実に放り込まれて消費のサイクルに巻き込まれてゆく。それら「情報」は印刷物はもとより、デジタルコンバートされてインターネットに流され、そしてまた新たな消費のステージに移行させられてゆく。

 いまのニッポン競馬とは、そのようなバーチャルな競馬の現実を、よくも悪くも含み込んだところで成り立っている競馬である。世界に冠たるこの競馬のシステムを現実に可能にした大きなエンジンが、この情報競馬へのシフトチェンジだったことは間違いない。JRAが胸を張る「わたしたちが達成してきたこの素晴らしい大衆レジャ-としての競馬」とは、そのような情報競馬の消費者としての新たな競馬ファンのありようを切り開いてきたことでもある。インターネットまでも介したとりとめない関連グッズの氾濫と流通も、そしてまた内輪を超えて大きな広がりを持つようになったPOGの世界も、共にいまのニッポン競馬の達成のかけがえのない一部である――そのことをまず認めないといけない。

 バーチャルであること、それは決して「リアル」に対してひけめに感じるべきものというだけではない。バーチャルであること、その中で競馬と関わり、時にPOGのオーナーに過ぎないことにも前向きな誇りを持てるようになるためにこそ、しょせんはバーチャルである自分の、そのニッポン競馬のファンとしての分、をわきまえること。いまの情報環境で競馬に関わり、競馬を楽しもうとする時には、そのことをいつも忘れてはいけないんだと思う。