携帯電話のリテラシー、のこと

 

 携帯電話、いや、今日ではすでに「ケータイ」とカタカナ書きで表記する方がしっくりくるような、そんな存在になっているこの道具。もとより電話であることは間違いないのですが、しかし今やそれは、カメラ、ポータブル音楽プレイヤー、インターネットブラウザにメイルソフト、などなど、テクノロジーの進展まかせにさまざまな機能がつけ加えられてゆき、それまであった「電話」というもの言いとはにわかに対応しにくいようなものに日々なりつつあるのは周知の通りです。何より、その携帯電話を持ち歩いて使っているあたしたち自身、ついこの間までは、街なかでケータイ振りかざし、電車の中でもメイルにいそしむ若い世代に対して眉ひそめてみせていたりしたわけで、いつしか他ならぬ自分たち自身もケータイ文化に染まっていることに苦笑せざるを得ません。

 携帯電話について書かれた書物も、結構な点数に達しています。図書館や大型書店で検索してみると、たちどころに数十点はピックアップできる。けれども、その多くはビジネス書であり、技術的な解説書であり、ひとくくりに言えば、携帯電話を商売のツールとしてどう考えるか、といった角度からのものです。携帯電話というこの新しい道具が日常に入り込んできて、その結果、あたしたちの現在、そしてそこに至るさまざまな水準の歴史がどのように変わってきたのかについては、残念ながら信頼するに足る言葉は未だあまり存在しないと言っていいでしょう。

 それは何も携帯電話に限ったことでもありません。目の前で起こっていること、あたりまえに起こり、そしてあたりまえであるがゆえに敢えて言葉にすることもなくうつろってゆく「もの」や「こと」のとりとめなさについて、あたしたちはつぶさに書きとめてそれを素材に何か自分たちの現実について改めて考えてみるという習慣を、どうもうまく持てないままのようなのです。現に、身の回りにある電化製品――テレビであれ炊飯器であれ洗濯機であれ、それらがどのように日常のあたりまえの存在になっていったのか、そのことを素朴に教えてくれる教科書さえありません。高度経済成長によって日本という国が図抜けて「豊か」になったことはわかっていても、その「豊かさ」がどのように達成されていったかについて、少なくとも知的な言葉の水準ではうまく語られないままです。

 たとえば、あのNHKの人気番組『プロジェクトX』の成功も、あるいは、グッズや広告媒体などに表現された昭和レトロブームに代表される「なつかしさ」のプロモーションも、あたしたちが無意識のうちに抱え込んでいるそのような語られないままの〈いま・ここ〉に至る「歴史」、自分たちの現在から見通すことのできる現実についての失地回復の想いに、うまくフィットしたからでしょう。つけ加えておけば、一部で言われる近年の「右傾化」「ナショナリズムへの回帰」といった現象にしても、そのような皮相なレッテル貼りの向こう側にもうひとつ、このような自分たちの〈いま・ここ〉につながる「歴史」が身の丈で語られないまま放置されていたことが大きな要因だったと思います。

 そして、民俗学というのも本来、そのような水準の「歴史」を決して大文字の概念、うかつに抽象化へと飛翔しがちな言葉ではないところで辛抱づよく、できる限り等身大の個別具体に即しながら記述してゆく、そんな迂遠で、しかしまただからこそ射程距離の長い、まさに〈国民共同の問い〉に対応できる処方箋を書いてゆく学問のはずでした。日本語を母語とする広がりの中で、とりわけ知的な言語の水準であらかじめ疎外された〈いま・ここ〉を、そのような最も迂遠で見栄えのしない民俗学の側から裏返しに回復してゆくこと――思えば、大学や研究所に自閉し、〈いま・ここ〉から乖離した枯れた言葉をやりとりして保身に汲々とするばかりの自称民俗学者たちにあたしが決別したのも、そんなささやかな志からでした。

 


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 そのような眼で、この携帯電話が普及したことによって、日本人の情報生活、広い意味でのコミュニケーションのありようはどのように変わったのか、あるいは変わっていないのか、を考えようとすると、ことは単に「電話」とだけ考えていると見えない部分があまりに大きすぎることに気づきます。メイルを打ち、やりとりし、しかもそれがメモリに記録/保存され、あまつさえ最近ではカメラで画像も添付して送れ、何よりも懐中時計のように肌身離さず持ち歩くことができる――そんなツールとして考えれば、この携帯電話という「もの」をひとまず文字を入力する道具として考えることが必要です。それは、広い意味でのキーボードによって文字を「書く」経験の普遍化、という軸で考えることでもあります。つまり、ケータイを「話す」「聞く」という耳の系列ではなく、「書く」「読む」という眼の系列に属するメディアとしてひとまずとらえてみよう、ということなのです。

 その前提としてまず、キーボード、というデバイスが日本人にとってどのように受け入れられていったのか、それを考えることが必要になります。

 思えば、キーポードというのは妙な「もの」です。こちらに向かって数多くの鍵盤が整然と並んでいる。キーのひとつひとつが何かひとつの機能をそれぞれに割り当てられていて、それを押してゆくことで何か連続的な流れを作り出すことができる。タイプライターやパソコンに付随していれば、言うまでもなくそれは文字入力デバイスとして機能するわけですが、しかし、もっと抽象化したところで言えば、オンとオフ、0か1か、の二進法の発想に本質的になじむような、それは「スイッチ」であり、しかも、どうやらそれは、この両手の五本の指それぞれに別々の動きを与えながら動かしてゆくことまで伴わせることを要求するような「もの」でもある、と。

 手指の働きを末梢的に肥大させるような道具、あらゆる動物の中でも人間に特権的に付与されているようなこの手指を最も効率的に働かせるための「もの」、という意味で、キーボードというのは相当に獰猛で、こちらの身体に対して逆に支配的に対峙してくるような本質をはらんでいるように思います。そう言えば、「デジタル」とカタカナ表記されて日本語化している digital にしても、もともとは「指を使った」という意味があったとか。だとすれば、キーボード=「鍵盤」というデバイスと「デジタル」とは切っても切れない縁があることになります。

 よく日本人は手先が器用だ、と言われてきていて、あたしたち自身もそう認めているところがありますが、しかし、その「器用」というのは、たとえば道具を介して「もの」と関わる時の微細な感覚や、物理的に細かな作業ができるといった水準で言われることはあっても、このような指先ひとつひとつに別の動きを与えてやるような肉体のありようになじむものかどうかは、また微妙なところがあるようです。たとえば、糸あやつりの指づかい、あるいは文楽人形遣いのそれや、近代以前の織物をつむぎ出す織機の操作などとも横断的に比較してみれば、意外におもしろい比較文化/身体論とでもいうような領域が開かれるかも知れません。米粒に般若心経を書き込んだり、小さな根付を精巧につくりあげるといった職人的な手作業のこまやかさは備わっていても、指のひとつひとつを同時に、別々の動きとして統括して何か別の現実を引き出してゆくような身体技術というのは、思えば日本人の生活文化にはあまり宿ってきていないようです。

 英語には、こういう連続的な流れをつむぎ出してゆくことを表現する processing というもの言いがあります。しかし、これは未だにうまく日本語に置き換えにくい言葉のひとつでしょう。横のものを縦にする、というのは、ほんとうに難しい。

 たとえば、写真のフィルムを現像する作業もこの processing ならば、ワープロを叩いて文章を書くことも同じ processing ということになっています。けれども、それらの言葉づかいの背景に横たわる微妙な感覚や感情の来歴については、日本語を母語とする広がりの内側からはなかなかうまく焦点をあわすことのできないものになっています。

 それは単なる「流れ」でもない。普通「流れ」と言ってしまうとあたしたち日本人は、たとえば川の流れのような、水に代表される液体系のとりとめないありようを想定しがちですが、もともとはひとつひとつはっきりと分節されたあるはっきりした単位が連続的に連なることでできあがってくる、その粒立ち確かなまるごとが、まさに英語の process にしっくりくる――そんな印象をあたしなどはずっと持っています。同じように、やはりIT関係の局面で出てくるもの言いに、streaming という、漠然と日本語に置換すれば共に「流れ」としてしまって不思議のないような言葉もありますが、それと processing の間に横たわる違いというのも、また日本語の側からはそのままでは見通しにくいものになっているように思います。

 


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 思えば、キーボードに対して与えられた「鍵盤」という直訳とおぼしき素朴な訳語自体が、まさに、これがそれまでこの国に存在していなかった道具であることを反映しています。

 もちろん、キーボードを備えたタイプライター以前に、まずはピアノやオルガン、といった西欧出自の「鍵盤」楽器が輸入され、主として学校を介して日常に入り込んでいった過程というのがあります。音楽史の本をひもとくと、これら「鍵盤」楽器は西洋式の楽譜と対になって機能するものということになっているようですが、ならば、これら「鍵盤」楽器が「もの」としてそれまでの日本人の身体感覚にとってどのように認知され、また適応もしていったのか。そのあたりが、民俗学者としては気になるところです。言い換えればそれは、それら「鍵盤」を備えた「もの」をどのように操るのか、について、当時の日本人はどのようにそれまでの自分たちの感覚、自分たちの身体の作法を介して理解し、受け入れていったのか、ということです。

 そのような未だ明晰になっていない「歴史」の水準を背景にして新たに出現した「もの」に、たとえば大正琴があります。従来の日本の琴(一絃や二絃のものでした)をベースに、自ら渡欧した時に見かけたタイプライターにヒントを得て、まさにその「鍵盤」デバイスを付け加えてこの新しい楽器を作り出したのは、名古屋は大須の旅館の息子、森田伍郎だったと言われています。後にパチンコを産業化するのに大きな功績を果たした正村竹一が、岐阜は笠松の時計職人だったことや、より大きなレベルでは言わずもがな、かの豊田佐吉の発明などとも考え合わせて、濃尾平野とその周辺に宿っていたこれら小さな手仕事のスキルの「伝統」を思います。

 楽器とは違う形で「鍵盤」を備えた「もの」には、たとえば、キャッシュレジスター、もありました。大手のナショナルキャッシュレジスター(NCR)社の日本法人は大正九年創業。とは言え、日本の商店にレジスターが普及してゆくようになるのは戦後で、スーパーマーケットの普及に伴ってのことだったようです。そしてもちろん、キーボードデバイスを備えた「もの」の主役、事務機器としてのタイプライターの輸入も見逃すわけにはいきません。近年翻訳されたキットラーの大著『グラモフォン・フィルム・タイプライター』では、蓄音機、映画、タイプライターという三つの「もの」が出現し、社会的に普及・浸透してゆくことで、それまでの「きく・みる・よむ」がどのように変わってゆき、あたしたち人間の側の感情生活も別のものになっていったか、について、まさにフーコーマクルーハンの合わせ技、西欧人のインテリ独特の大風呂敷と肺活量とで執拗に記述されていました。そこで彼は、タイプライターがそれまでの情報環境に規定されていた近代的主体を崩壊させていった過程に焦点を当てているのですが、いずれにしろ、日本では大正時代あたりからこのようなキーボード=「鍵盤」というデバイスが少しずつ、日本人の日常生活に姿を見せるようになっていたことは、記憶されていいでしょう。

 とは言え、タイプライターのキーボードが今のような形になってゆく過程も、平坦ではなかったようです。

 英語のキーボードのキー配列は、qwerty(クワティ、とか、クウォティ、と呼ばれます)配列と呼ばれ、これはアームを紙に叩きつけて印字する初期のタイプライターの構造に規定されたもので、人間工学的には決して合理的ではないと言われながらも、永年普及してきた強みもあって、多くの英字キーボードは今もこのqwerty配列に準じたものになっています。

 これに対して、日本語のカナ文字キーボードはもともと大正時代に、もともと外交官だった山下芳太朗という人が英文タイプに刺激されて開発したカナモジカイ配列、と呼ばれる形式が最初だと言われています。後にJIS規格が適用されて、紆余曲折の末に現在のような形になっていったようですが、日本語のタイプライターとしてはその間、和文タイプライターが官庁などを中心に普及していた時期がありました。清書マシン、としてのタイプライターに機能特化したものですが、しかしこれはワープロ専用機出現以前には、ほぼ唯一と言っていい日本語環境でのタイプライターでした。とは言え、年輩の方ならば覚えていらっしゃるように、これは今のワープロやパソコンのようなキーボード入力ではなく、文字盤の上をアームを使って印字する文字を指定して打ってゆくデバイスを備えていました。小切手の印字に使われるチェックライターなどに近い発想と仕掛けです。ワープロ専用機の普及に伴ってこの和文タイプが姿を消していったのも、キーボードを備えきれなかったことも理由のひとつかも知れません。

 しかし、このキーボードは日本人の日常生活に一気に入り込んでくることはありませんでした。タイプライターが事務用機器である以上、それは家庭の外、会社や事務所で使われるものであり、あくまでも「仕事」の脈絡でなじまれていったに過ぎない。ふだんの暮らしにタイプライターを持ち込むのは特殊な人であり、鉛筆に代表される筆記用具が学校の普及と共に一気に日常化したのと比べるまでもなく、キーボードを介して「書く」道具としてもそれは例外的なものにとどまっていました。

 日本人にとってキーボードというデバイスが本格的に日常化するのは、ワープロ専用機の普及まで待たなければならなかったようです。いまやもう、そのほとんどは生産中止、実際の市場でもほとんど流通しなくなっていて、未だ頑固にワープロ専用機にこだわる一部のもの書きなどは、秋葉原日本橋の中古ショップで状態のいいものを探し出さねばならなくなっているようですが、しかし少し前まで、「ワープロ」というカタカナ単語で呼ばれたこのワープロ専用機はオフィスのみならず、家庭の中に「年賀状印刷機」として入り込んできた最初のキーボード=「鍵盤」デバイスを持った「もの」でした。同じく当時爆発的に普及した「プリントゴッコ」以下の簡易印刷器と組み合わされることで、それはしばらくの間、年末商戦の目玉商品になっていました。きれいな文字を書きたい、できればデザイン的にも洗練されたものを、といった印刷された文字、活字を雛型にした「きれいな文字」願望は、欧米ではタイプライターによって大衆的に満たされるようになったようですが、日本ではそれから数十年後、八〇年代になってこのワープロ専用機が普及するようになってようやく、普通の人々を満足させるものになりました。キーボードを文字入力デバイスとして使う経験も、このワープロ専用機の普及に伴って国民共通のものになっていった。この経験が下敷きになって、その後、パーソナルコンピュータの普及も容易になったところがありますし、また、九〇年代に入ってからの携帯電話の普及においても、それをメイルをやりとりする「書く/読む」道具として使う作法の一般化が容易になったと考えていいでしょう。

 そう、いわゆる親指打ち、一時期ケータイが女子高校生に代表されるティーンのツールとして突出していた時期に、目に立つ風俗として盛んにやり玉にあげられた、あれです。 同じキーボードでも、こちらはカナやアルファベットでなく数字のテンキー。ただでさえ小型化が急速に進んだ携帯電話の狭い面積に詰め込まれたそれを両手でホールドして、双方の親指を使ってみるみる文字を入力してゆく、あのスキルは、かつて大正末から昭和初期にかけてタイピストという職業が断髪のモダンガールと共に目新しい風俗として認知されていったように、ルーズソックス、ガングロという異装によって同時代の「異物」として語られていた女子高校生と、同じくそれまでにない「もの」として身の回りで目立つようになっていた携帯電話との組み合わせを統合する身振りとして絶好でした。

 すでに、家庭用電話でプッシュホンが普及していたことも好条件だったのでしょう。これを文字入力デバイスとして使う発想は、おそらくこれも欧米の電話機がテンキーにアルファベットを配していたのを見習ったのだと思いますが、しかしここでも、アルファベットのキーボードをカナ打ちにコンバートしてゆく時と同じく、表意文字である日本語にまつわるカナと漢字の変換の問題が大きく横たわっていたはずです。その問題が本当に乗り越えられるためには、いまあるような入力ソフトの効率化が進むまで待たねばならなかったのですが、そこへと至る過渡期に、先に触れたような日本人の「器用さ」が奇しくも発揮されたのが、あの親指打ち、だったのでしょう。なるほど、女子高校生に代表される十代の若い衆のケータイ親指打ちの妙技に、大人たちは感嘆し、そしてまたそれは新しいメディアが「もの」として受容されてゆく過程で必ずくぐる語られ方の洗礼を受けることにもなったのですが、しかしそれは民俗学者の眼には、たとえばかつての紡績女工たちがあの見慣れぬ近代工場の機械に身体ごと接してなじんでいったありさまと、未だ十全に語られぬ「歴史」の相を介して重なるものでもあったように見えます。

 

 

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 もうひとつ、この携帯電話はiモードなどの出現によって、インターネットブラウザとしても機能するようになったことも見逃せません。それらネットワーク環境に接続する端末としては、パソコンが必ずお約束のように言及されてきたものですが、しかし日本においては、どうやら携帯電話の方がそれら端末のエントリーモデルとして広く受け入れられることになったようです。パソコンに備わったタイプライター出自のキーボードという文字入力デバイスは、電話のテンキーを介したそれに比べて、敷居の高さを拭えなかった。九〇年代、パソコン通信からインターネットへ、という流れでネットワーク環境に参加してゆくようになったパソコンユーザーたちの外側で、あの親指打ちの文字入力を武器にして携帯電話を「書く」道具としてリファインし、結果として肌身話さず持ち歩くことのできる文字通りの「モバイル」端末として洗練させていった声なき多数による創意工夫の流れこそが、識者によってけたたましく取り沙汰されていたそれよりもずっと、言葉本来の意味での「IT革命」だったように思われます。

 実際、ビジネスベースでなく携帯電話を論じる、いくらかは堅苦しい言説の中に、「メディアの皮膚化」といったもの言いがよく見られます。人間そのものの持つコミュニケーション能力を拡張してゆくツールとして携帯電話をとらえるこの見方は、ネットワーク端末として洗練された日本のケータイにとって、ひとまず間違ってはいません。

 同様に、ウエラブル・コンピュータ、という言葉も先端技術関連の分野などで散見されます。皮膚のように身体にまとうことのできるコンピュータ、という感じでしょうか。まるでSFのような、と感じるのももっともですが、しかしそれが決して夢物語でもないところまでテクノロジーは到達しつつあるのも事実のようです。あの『攻殻機動隊』のように――というか、いまでは明らかにそこからイマジネーションを刺激された映画『マトリックス』のように、と言った方が一般には通りがいいかも知れませんが、いずれにせよ、携帯電話を装備した人間は、ある意味で、首筋にプラグ・ジャックを備えた身体を持つあのサイボーグのイメージに近づくようなものになっているようです。今の若い世代の日本人が、ケータイを単に電話としてでなく、メイルをやりとりする複合的な「話す/聞く/書く/読む」ツールであり、高度に濃縮されたネットワーク端末として装着していることを考えれば、そのサイボーグのイメージもそんなに唐突なものでもないでしょう。

 では、携帯電話で「書く/読む」という営みは、筆記用具を介したそれと比較してどのような特徴があるのでしょうか。

 指先からつむぎ出される文字列は、ディスプレイに映し出されることで視覚を介してもう一度こちら側に投げ返されます。筆記用具を介して紙の上に「書く」行為と比べて、その循環のサイクルは物理的にも、また意味論的にも加速されたものになっています。

 筆と鉛筆の「もの」としての違い、縦書きと横書きの違い、といった問題は、ここではひとまず措いておきましょう。おのが手が筆記用具という「もの」を介して紙の上に「文字」を「書いて」ゆく、考えたこと、思ったことを「文字」という形に具体化してゆくことで、自分が何を考え、何を思っているかを自ら改めて「知る」ことになってゆく――単に生物として以上に、「意味」を呼吸する文化/社会的動物としてのあたしたち人間が、その第二の自然としての「意味」の磁場に改めて「自分」を形成してゆく際に、「話す/聞く」以上に重要な役割を果たしてきたはずの、この「書く/読む」という行為のありようが、キーボードというデバイスを介した「書く」の出現によって、それまでとは異なる速度、異なる位相の循環を獲得するようになっていった。その過程は、おそらく未だ充分に記述され、意識化されていないもうひとつの「歴史」に属しています。

 それは大きく言えば、「個」という意識をつむぎ出してゆく環境がどのように変貌してきたのか、その来歴について焦点を合わそうとすることでもあります。意識としての「個」がそのまま個体としての「個人」と重なるわけでもない、意味の磁場に浮かび上がる「個」という意識がその時代、その状況のどのような仕掛けによって規定されているのか、についてそれは鋭く意識してゆくことでもあります。

 ベッドなり椅子なりに貼りついたまま動かないですむようになった「個」のまわり、その手の届く範囲にさまざまな情報機器の端末を並べ、「ボタンひとつで」世界を操作する、という幻想を可能にする空間。SF映画の宇宙船のコクピットから証券会社のディーリングルームまでを貫くこの「操作」「運転」イメージを軸にした空間は、社会的には近代の交通機関、とりわけ最も身近なところではクルマの経験を培養基にして成長したものかも知れない。

(拙稿「下宿の思想」『早稲田文学』一九九〇年五月)

 これは自分を中心として計器盤にさまざまな計器や端末がこちらに向かって開かれているような、コクピットの比喩で語る世界観について言及したものですが、しかしこれも、今となってはまだ世界の遠近法が「個人」の肉体を中心にしたところで比較的安定している時点での考察だったと言わざるを得ません。この比喩で言えば、いまやベッドも椅子もない、そんな確かな「個人」としての自分の居場所、ゼロポイントなどはっきり固定できない、ただ生身の自分のいる場所がどこであろうと、そこが常に世界の中心になるのであり、それを可能にするのがひとまず携帯電話であり、つけ加えればもうひとつ、クルマというデバイスである、と。

 社会関係を手もとで可視化して支配感覚を伴わせるこれらのメディアは、必然として「つながりたい」欲望を刺激させ、ある種の孤独感、孤立している自分という意識を常態にしてゆきます。「出会い系」サイトが携帯電話のこのような端末化に伴って突出してきたのも、それがパソコンの方にも還流しているのも、ネットワーク環境という新たな「場」に日本人がなじんでゆくその経験が、他でもないケータイによってこそ、方向づけられていたことを示しているように思います。

 意味を呼吸する動物としての人間本来の「話す/聞く/書く/読む」能力の拡張装置と、それを備えたまま社会的に空間を拡張してゆく装置の複合。敢えていかめしいもの言いを擁するならば、携帯電話とクルマは、今のこの日本の高度大衆消費社会という戦場(フィールド)を最も効率的に行動してゆくための重要な装備品になっています。「モバイル」とは実にそのような現実を反映したもの言いなのでしょう。いま最も望ましい「個」――この高度大衆消費社会において期待される消費者とは、そのような「モバイル」標準装備を施したサイボーグと言っていいのかも知れない。いや、サイボーグという言い方がいらぬ誤解を招くのならば、それらのツールを媒介にこの戦場=資本の原理が貫徹された市場空間、ににじみ出すように広がるようになった「個」を十全に実感し、不断に自己確認してゆくことができる、そういう安定を効率的に獲得することのできる「個」でいられるためのひとり、といったところでしょうか。

 まして、昨今の携帯電話にはカメラ機能があたりまえについていますし、それをメイルに添付して送ることも簡単になってきています。画像が添付されたメイルは、文字が主体でもなく、その画像と文字の組み合わせによって初めて意味が解読できるようなものになってきている。言わば活字ばかりだった雑誌の誌面にグラビアが入り込んできて、文字原稿が写真や図版に対するキャプションかコピーとしての意味しか持たなくなっていった過程とある意味でよく似ているかも知れません。

 そのような身体感覚、世界認識の「個」が目の前にあたりまえに存在していること。それを嘆くばかりでも仕方がない。逆にケータイがあることでかろうじて今のこの社会で安定できている「個」というのもある、そのことをどう前向きに認めて穏やかに制御してゆくか、というすぐれて実践的な課題もいまやあったりします。

 たとえば、七年前の春の渋谷道玄坂を舞台にした東電OL事件、一流大学を出て大企業に勤めていたキャリアOLが、夜な夜な盛り場に出現して売春を繰り返していたという、当時話題になり、またその後さまざまな小説やノンフィクションの題材になったあのできごとにしても、もしも今のような形で携帯電話が普及している状況だったならば、あのOLもあのようなはみ出した奇行を繰り返さずに、それこそ今のよくあるデリバリーヘルスなどの仕掛けの内側で安定していたかも知れない。

 あるいはまた、さらに前、一五年前の幼女連続殺人事件にしても、あの宮崎勤が今のような情報環境で携帯電話を持っていたならば、おのが身のうちに宿った自分でも得体の知れない欲望のありようを、市場ににじみ出した「個」の側に投げ返す回路を持つことで実際に暴発させないですんだかも知れない。同じ性癖の仲間を見つけて、いまよくあるように臆面もなく「ロリコン」を標榜して恥じないでいられる者のひとりとしてひとまず安定していられたかも知れない。

 いずれにせよ、生身の個体との照応関係を引きちぎるほどにうっかりと、そして容易に拡大、拡散してしまうことが可能になった「個」という意識は、それを支えてゆくために〈移動〉と〈通信〉を必然として継続しなければならなくなっています。それは同時にことの必然として、しょせんは生き物でしかないこの生身の個体が存在している〈いま・ここ〉の手ざわりを相対的に希薄にしてゆき、そのゼロポイントから初めて見通せるはずの世界のパースペクティヴまでもデフォルトでゆがんだものにしています。いや、ゆがんだもの、と言ってしまうこと自体がこちらのものさしなのであって、携帯電話のテンキーを両手の親指で器用に打ち込んでゆく体験から「個」という意識を輪郭確かなものにしてゆくことが当たり前になった世代は、文字を読むことで同じく「個」を形成してきたそれまでの世代とは、よくも悪くも異なる手ざわりの「個」を持たざるを得なくなっているのでしょう。そしてそのような異なる「個」は、家族や職場、地域といったそれ自体はテクノロジー任せに容易に変貌するわけにもいかない生身の人間の社会関係の上に、何の準備もないままにうっかりと隣り合わせになっていたりする。

 それは形としては「親子」だったり「夫婦」だったり「ご近所」だったり「上司と部下」だったり「教師と生徒」だったりするのですが、しかしその「個」とその「個」の上に結ばれている関係は、すでにあらかじめ全域化した市場の側に引き取られてしまっていたりする。なのに、それらを語る言葉や認識する仕掛けは、習い性と化してしまったルーティンでしかなくなっていて、「個」の内実とそのルーティンとのかけ離れ具合にあたしたちは日々、茫然自失しながら日常を健気にやり過ごしているようです。