競馬を、自分たちの手で――高崎競馬の願うこと

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 競馬場がつぶれる、ということが具体的にどういうことか。そのことについて、当の競馬場の、最も馬に近いところで仕事をし、暮らしを支えているはずの厩舎関係者が最も想像力を持ち合わせていない、このことが改めて痛感しています。

 高崎、宇都宮と立て続けに「廃止」声明が出され、オグリキャップアンカツを生んだ笠松もまた、「廃止」の危機がささやかれています。一年かけた中津競馬の存廃騒動以来、益田、新潟(公営)、上山と続いてきた地方競馬の「廃止」は、ここにきてまた一気に加速する気配があります。これまでは主として市町村規模の競馬場だったところが、いまの高崎や宇都宮は県営規模のもの。県が母体の競馬場も廃止に追い込まれつつある、というのが新しい展開です。

 先月28日、群馬県庁をめざして前橋市内で行われた高崎競馬の厩舎関係者によるデモ行進では、二頭の元競走馬(乗馬クラブから無償で貸与)に加えて、同じく「存廃」論議に揺れる笠松競馬場から13名の調教師とその家族などもかけつけ、総勢200名ほどの規模で行なわれました。けれども、同じ北関東ブロックの宇都宮からの応援はゼロ。水面下で、個人でいいから参加してくれないか、と騎手や厩務員の有志が声をかけていたのですが、ついに宇都宮からの姿はありませんでした。同じ北関東ブロックでもこのありさまですから、全国の主催者同士、さらには厩舎関係者同士の連帯連携など、現実には夢のまた夢です。

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 調騎会の会長をおさえておけば厩舎関係者は言うことをきかせられる――これまでの主催者側の認識はそういうものです。そして、地元競馬組合や競馬議会に顔の利く議員(多くは馬主だったりするわけですが)がいて、「競馬場のことはオレがよく知っている」的に議会や自治体に対してふるまい、厩舎側には「オレが悪いようにしないからまかせろ」と顔役ぶって、いざ「存廃」論議が立ち上がり、検討委員会などが組織されてもなお、事態の推移を公にせず、開かれた議論の場も持たず、いわゆる「ボス交」で何とかしようとし続けたあげくに、新聞等の報道で「廃止の方向で」などと表に出てあわてて動き出してもあとのまつり。ふだんから地元住民や他の議会関係者などとの自前のパイプづくりをしていないのですから、いざ「助けてください」と言っても動いてくれるわけがないし、何よりそのための自分たちの動き方すらわからない。実際、存廃検討委員会が組織された時点で役所の側で「廃止」へのプログラムは稼働し始めているのですが、その認識を持って動いた競馬場は唯一、高知だけ。かつて最も危ないと言われていた高知が何とか未だ存続しているのに対して、中津以来、ここ数年でつぶれた競馬場の厩舎の現場の政治感覚とは、ほんとに見事なまでに同じです。「(地元の顔役の)○○さんにお願いしておけば大丈夫」という調騎会幹部の根拠のない信頼が一夜にしてひっくり返って「廃止」確定、茫然自失する調教師や騎手の顔を、あたしゃ何度も何度も見てきました。 

 とにかく、高崎「廃止」に関して言うと、群馬県というのはあたしの知る限り、あの中津市長以来、史上最低の競馬主催者です。「廃止」表明に至るまで知事はもちろんのこと、競馬組合の代表がトレセンを訪れ、厩舎関係者と話し合いの場を持ったことは皆無。業を煮やした調騎会側の有志が自前で組み上げた「これなら赤字を出さずにやってゆける」という予算案(人呼んで「高知方式」=一着賞金十万、出走手当四万、四半期ごとの決算で赤字を出したら即座に廃止検討)でさえも県知事にあげずに握りつぶし、あまつさえ、「赤字を出さない予算というのはこんなものですよ」と投げ返してきた中身はというと、なんと賞金ゼロ。怒ってテーブルひっくり返させるための挑発としか思えないとんでもないものでした。「おもしろい、賞金ゼロで開催してやろうじゃないか」と憤る調教師がいたのも無理ありません。さらに、役立たずの地方競馬全国協会(NAR)がそれでも何とかこさえて持ってきた、開催のための人員経費や赤字までもある程度こっちで面倒見るからブロック化してはどうか、という提案までも、「もうつぶす予定なのでほっといてくれ」と言わんばかりの門前払いで拒否しています。「わたしが現役(農水省)の頃ならばこんな仕打ちはされてないんでしょうがねえ…」というのは、現地に出向いて県知事にも会わせてもらえなかった、元農水省官僚の地全協某常務理事の繰り言ですが、とにかく「廃止」ありき、のゴリ押しの前には、天下り官僚のご威光すらももはやゴミ以下ということなのでしょう。

 いま始まりつつあるこの地方競馬のドミノ倒しは、中津以来のものとはまた違う県営規模のもの、ということと同時に、大きくは競馬法改正の流れの中でのもの、ということです。年明けから改正競馬法(第一次)が施行されますが、それはほんの手始めで、向こう三年ほどの間に、これまでにないほどの大きな競馬の構造改革が進むはずです。そのために、いまある地方競馬の中でやる気のある主催者とそうでないものとを選別する時期に来ていて、それは去年の秋くらいから水面下で打診されていたものがここにきて表面化してきただけのことなのですが、しかし、その大きな流れ自体、未だきちんと表立って報道されていない。また、それら構造改革を進める側に対して農水省-JRAラインの「抵抗勢力」による揺り戻しもありますし、何より、現場の厩舎関係者はさまざまなウワサや風説にふりまわされて右往左往するばかり。

 とは言え、最低最悪の状況の中に、わずかな希望もなくはない。たとえば、年明け施行の新競馬法がらみで既定路線になっている主催者の「民営化」。プロ野球がそうだったように、前向きな民間資本が競馬の主催者に名乗りをあげる事態も近いうちにあちこちで起こってくるかも知れません。JRAの慢性的な売り上げ低下も、巨人中心のプロ野球が市場に拒否され始めているのと同じ、構造的なものであるという認識がないままでは、ニッポン競馬に未来はない。まして、そんな構造に無自覚のまま、不景気だけに責任転嫁し、旧態依然の“親方日の丸”気分のまんま、JRA頼みの「改革」に血道をあげる了見違いなどは論外の沙汰です。

 見たい競馬、あるべき競馬、は自分たちで、自前でこさえてゆく――そういう独立自尊の気概が、主催者はもちろんのこと、何より馬と競馬で仕事をする厩舎関係者――敢えて「うまやもん」と呼びましょう――の間からもっとわき起こってこないことには、いまのこの競馬の構造改革の大きな流れも、本来の成果を得られなくなるでしょう。

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