国境が存在する、だよ、香田クン

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 今度はダメだろうな――わが同胞の多くがそう思ったはずだ。

 イラクで新たに若い日本人がひとり拉致された、そう報道された時、誰もがあの「三バカ」を想起したはず。そう、この春先にイラクでひとくくりにとっつかまり、でもって何やらあやしげな脅迫ビデオがアルジャジーラ経由で送られてきて、自衛隊イラク撤退を求める、という犯人側の要求に唯々諾々と、しかし何の緊張感もなく従い、ニッポンに残された家族などがテレビにしゃしゃり出てきてひところのオウムの信者ヅラで「自衛隊イラク撤退を」ばかりを繰り返し、またそれに例によって行き先失って石ころの裏のダンゴムシのようにかたまっていたリベラル馬鹿からプロ市民までが一斉に反応、まるであらかじめ仕込んでいたかのようなその脊髄反射ぶりに大方を鼻白ませたあげくに、イスラム聖職者協会だかの仲介で結局はおめおめと(おそらくは)身代金と引き換えに戻ってきたのに、それでもなお日本政府が悪い、自衛隊を撤退させないと、と言い続けて津々浦々までの反感を買ったあの「三バカ」である。

 ひとりはいらぬ自意識ばかりがふくれあがった小生意気な高校生のガキ、ひとりはおのれの学歴コンプとショタコンぶりを偽善丸出しなボランティア沙汰で隠蔽しようともくろんだ無自覚三十路ブス、もうひとりは元自衛官の落ちこぼれが何を錯覚したら一発逆転で「カメラマン」ごっこに明け暮れる難儀、とまあ、ほんとにこう書いててもいまさらながらに心萎えるとりあわせだったものよ、と痛感する。

 

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 ご案内の通り、これによって「自己責任」というもの言いが一気に広まった。頼みもしないのに、外務省だって危ないからうっかり行くなと勧告していたのに、それぞれの勘違いと思い込みで国境を超えてイラクくんだりまでご漫遊、とっつかまった先がゼニカネ目当ての連中だったからよかったようなものの、そうじゃなかったらどうするんだこのタコ! という想いが思いっきりこめられた上での「自己責任」論だったはずだ。

 けれども、その「自己責任」論を逆手にとって、政府の無能無策を攻撃する向きが、信じられないことにまだあった。多少はムチャでもそれは若気の至り、熱血な客気のなせるわざなのだから、そのへんは眼をつぶれ、何より海外のかわいそうな人たちに眼を開き、不正義に憤る、そんな感覚は何よりも大切じゃないのか――まあ、そういうむりやりな擁護論を言いたがる向きが、この「自己責任」論にことさらに反応した。「三バカ」のみっともなさがそのままおのれ自身のみっともなさであることを、どこかで自覚しているらしい手合いほど、その反応は激しく、そしてまた、そんな自分たちの拠って立つ「思想」についての自信のなさゆえに、「三バカ」と全く同じ精神構造を彼ら彼女ら「自己責任」論批判をやらかす手合いが持っていることを、はからずも露呈してしまった。

 間違ってはいけない。あの「三バカ」があそこまで世間の反感を買ったのは、あいつらのそういう思想信条、自衛隊イラク撤退支持でセカイ平和希求でアメリカ帝国主義(笑)反対でついでに危険な右傾化煽る小泉内閣大嫌い、なんてものが原因でもなんでもない、いずれそのままでは世間に受け入れられなくなっちまってる自意識肥大の勘違いぶり全開な自分勝手のまんま、この忙しいのにノコノコイラクくんだりまで出かけたあのひとりよがりぶりが、当人たちは言うまでもなく、「家族」と称してしゃしゃり出てきたまわりの連中のたたずまいまで含めて一発で誰もがはっきり察知してしまった、それゆえだったはずだ。

「あの人たち、なんかヘン」

  一億二千万同胞の大部分に超伝導のように共有されていった気分の根拠というのは、それ以上でもそれ以下でもない。そしてその「ヘン」との釣り合い具合で“その次”の末路というのは、ある種国民的な直感と諦念と宿命感とであらかじめ約束されていたのだと思う。 

 そんな具合だから、今回とっつかまってめでたく殺された香田クンには実に気の毒だけれども、香田クン、キミは今回つかまった瞬間から首を切られる運命にあった。敢えて言う。切られてよかった。よくぞ切られた。切られたことではっきりとわれら同胞に思い知らせることができたことというのは、あの「三バカ」このかた埋没してきたかけがえのない同時代の真実である。あたしゃそのことを信じる。

 なにが、ってあなた、これでニッポンもあっぱれ先進国並み、それこそ分際知らずに国連安保理事会は常任理事国入りをめざすくらいの大層なもくろみが、考えなしの極限値みたいな穀潰しの首ひとつ落っこちることで明るみに出せることになった、そのことの政治的効果ははかりしれない。

 アメリカはもちろんのこと、イタリアでもイギリスでも、野郎は言うに及ばずどうかすると女性までもがイラクとその界隈で無作為にとっつかまっては情け容赦なく首切られてるこのご時世に、なんでわがニッポンだけが、あの「三バカ」みたいなぬるい扱い受けちまっていたのか、あたしゃほんとに歯噛みしていた。まさに国辱モン、国際社会に対して顔向けできないていたらくである。実際、あの聖職者協会だかなんだか知らないが、要はイスラム坊主の総会屋組織、身代金の交渉やってゼニかっぱらうのが目的なのは誰がどう見ても明らかなわけで、初手からマッチポンプじゃねえのかあれは、と思ったところで、いまさら非難されるいわれはないだろう。

 ところが、今度はガチだった。ほんまもんのゲリラだった。なにしろ一度めはあんなショボい茶番で終始したのだから、次こそ必ずホンモノのリアル、まぎれもないセカイの現実ってやつがやってくるに違いない――理屈でなく、多くの同胞がそう感じていたはずだし、言うよ、期待もしていたはずだ。

 ニッポン人だけがいつまでも無事でいられるわけがない、いや、万一それでも無事でなんかいた日にゃ、なんか知らないけどセカイに対して申し訳ない、そんな気分があたしらのココロのどこかにちみっとでもなかったか。あたしゃあったぞ。恥ずかしい、顔向けができない、ほんとにそういうキモチだったのだからして。

 国境を超える、ということの緊張感がどんどん溶解していっちまってるのは、先進国特有の現象で、早くはアメリカの若い衆などもバックパック一丁でどんどんセカイに出ていった歴史がある。平和部隊なんてのもあったわけだし、一方じゃビンボウ旅行のドロップアウト、ヒッピー系統のボヘミアンってやつも大量発生していた。「豊かさ」が可能にしたボーダーレス。カネとヒマとに裏打ちされた自分勝手なコスモポリタン。わがニッポンでもそのテが目立ち出したのはやはり70年代、挫折したサヨクの方々が「ビンボウ探し」@吉田司、でもって一部海外逃亡、かの連合赤軍なんてのもそのバリエーションと考えれば、時代内存在であるわれらニンゲンにまつわってくる逃げようのない縛りってやつを改めて思う。もっと引いて見れば、はるか昔の大陸浪人なんてのもその源流に見ていいのかも知れない。

 「豊かさ」一発でうっかりと誰もが国境を超えちまえるようになることが、先進国の引き受けなければならない宿命だとしたら、まさにわがニッポンもまた、その宿命に足もとから追いつかれている。それを先進国の保険ととらえて鷹揚に構えるのもまたひとつのとるべき道だけれども、何よりも今回は、そんなわれらニッポン人の宿命に期せずして殉じることになった香田クンに対して、最大限の敬意を払っておきたいと思う。かつて、三島の首が落ちて「戦後」がひとつ別の位相に移行することになったのとパラレルで、今回、香田クンの首があまた同胞の大部分の直感通りに落ちることで、なまぬるくもシアワセな「戦後」はついにその閉じられたニッポン、「豊かさ」に居直ってとっちゃん坊やのような脳天気を謳歌してきた自分たち自身の来歴についての“おはなし”が、このセカイの現実の前にもはや最終的に無力であることを、この上なくわかりやすく教えてくれたのだからして。

 国境が存在する。セカイは未だそういうリアルに、ミもフタもない現実ってやつに笑っちまうくらい満ち満ちている。善哉善哉、健康じゃないか。バブル期このかたわれらが抱き続けてきた、およそ身の丈からほど遠い「国際化」にうっかりかりたてられることの根源的な不安、ってやつについて、あの香田クンの首は一発でその意味を見せつけてくれた。ひとりの死が同時代の潜在的気分をここまであらわにさせてしまったことについて、あたしゃほんとに瞠目し、そしてその気分のゆくえについて、なお深く深く想いをはせている。