笠松、踏ん張る

 笠松競馬が踏ん張っています。巷間伝えられているような「廃止」への動きに対抗する動きがここにきて一気に活発化、徳俵に足がかかったところで渾身の粘りを見せているというところでしょうか。

 昨年秋、高崎競馬と宇都宮競馬の存廃問題がクローズアップされていたのと前後して、「廃止へ」という報道がかけめぐって以来、全国の競馬関係者の間でも、「なんか笠松ももうダメなんだって?」といったトーンで語られるのが当たり前になってしまっているところがありました。このところバタバタと地方競馬の廃止決定が相次ぐ状況で、「次は笠松」というのがなんとなく常識になっていました。

 けれども、「廃止へ」という報道の段階でさえ、存廃検討委員会が「廃止の方向で」という答申を出しただけのこと。岐阜県以下の競馬組合が正式に「廃止」を決定するまでにはまだ手続きがいくつもあったにも関わらず、早く「廃止」にしたい県側事務方の思惑通りのプレスリリースで新聞の見出しには「廃止へ」の文字だけが躍ることになり、地元のそういう事情のよくわからない他の地域の人たちも、ああそうなんだ、ダメなんだ、と思ってしまうという悪循環。実際、「廃止」報道が出て以降、入厩するはずの馬が他へ流れていったり、馬主がしり込みしたりと現場に影響が出まくりで、「これはもう風評被害やがな」と厩舎関係者は苦りきっていました。

 しかし、それは何も笠松に限ったことではなく、こと地方競馬の存廃問題がメディアに報道される時には、ほんとに主催者側の言い分そのまま、県なら県側の公式発表を引きうつして流すばかりというのが大方の報道のお約束になっていて、地元での動きがうまく全国に伝わらないような構造があります。ふだんから競馬の、それも地方競馬という仕事がどういう現実に直面しているのか、厩舎なり現場からのアピールをしてこなかった、させてもらえなかったこれまでの「お役所競馬」のツケがこういうところでも回ってきています。

 笠松競馬、まだ「廃止」は決まっていません。それどころか、年が明けて以来、状況が刻々と動いていて、報道の方がついてゆけていない現状です。

 岐阜県側はこれまで「廃止」の方向でずっと動いていて、もうこれ以上税金を投入してまで競馬を支えない、という決定をしています。物議を醸しているライブドアの参入提案についても、昨年末に改めてその件を検討する委員会を設定、年明けわずか二回の会合で「ライブドアの参入はさせない」とそそくさと決議したものの、それ以降の存廃の最終的判断は競馬組合を構成する三者岐阜県岐南町笠松町)で協議して決めてくれ、と、この委員会は事実上責任放棄。この段階で、以前から水面下で動いていたプラン――仮に岐阜県が「廃止」を強硬しても、残る岐南町笠松町とで開催権を維持して競馬を存続させる、つまり競馬組合を解散するのでなく、岐阜県だけ競馬組合から離脱してもらう、という方向が一気に具体化してきました。

 岐南笠松笠松は競馬場本体が笠松町の管轄で、厩舎群の多くは岐南町に属しています)両町長が正月明けじきじきに上京、ライブドア本社に赴いて具体的な協力の可能性を探ったのに続いて、返す刀で今度は北海道日高を訪れて、生産地の側から笠松競馬を存続させるアイデアはないものか、率直に打診する動きをするなど、かの「何でもあり」の高知競馬ほどではないにせよ、地元の側から競馬存続へ向けてのなりふり構わぬ動きが出てきています。それに呼応して、梶原岐阜県知事も「そこまで言うのなら、赤字ゼロで三年間の予算を組んだシミュレーションを作ってみろ」と指示、群馬県と連動しながらとにかく「廃止」ありきで手続きを進めてきた副知事以下、競馬組合の大方の職員にとっては青天の霹靂のような展開になっています。

 もちろん、組合の出資比率の大部分を占める岐阜県が離脱して、町ふたつで予算的に支えられるはずがない。ただ、これまでの「お役所競馬」ではない新しい民営化に向けて主催者の形態がとれるのならば出資するのやぶさかではない、という声も民間から複数出てきていて、両町を中心にして主催者側も人員削減その他「自ら血を流す」予算案をここにきて真剣に組み立てようとしています。

 それまで「廃止やむなし」が本音と目されてきた梶原知事のここにきてのこの「翻身」は、どうやら、それまで競馬対策室以下県の事務方が、競馬の現状について必要な情報を知事に入れていなかったことがようやくわかってきたから、という面があるようです。それは高崎や宇都宮も基本的に同じこと。「廃止」ありき、を決めた事務方のお役人たちは、往々にしてこのように自分たちの都合の悪い情報をトップにあげず、流れをつくってゆくものです。

 競馬のほんとうの敵、がどういう顔つきでどういう世渡りしている者たちなのか――昨年来、存廃騒動に揺れる地方競馬の現場を眺めていて、そのことだけははっきりと学べるようになったのは、ある意味ありがたいことだと思っています。