民度は一日してならず

 ご近所づきあいってのは難しい。引っ越しや夜逃げという最後の手段もあり得る個人と違い、こと国家となると、隣がストーカーだからと逃げ出すわけにもいかない。なるほど、地政学ってのは馬鹿にならない。

 言うまでもなくかの半島、北も南もしょせん同胞、さらには旧宗主国の大陸様まで含めて、まるで申し合わせたように昨今「反日」で足並み揃えるその様は、ある意味感動的ではある。ああ、「亜細亜東方の悪友」とはよく言った。諭吉翁、つくづくあんたは正しかった。

 ただ、今は諭吉翁の時代ならず。何より、情報環境が月とスッポン。新聞、ラジオ、テレビは言うに及ばず、かのインターネットの普及がわれら国民にもたらしたメディア・リテラシーの上昇ぶりは、それらご近所づきあいにも大きな影響を与えている。

 反日」一本、しかもインターネット経由であそこまで軽挙妄動できる、そのありさまを目の当たりにすれば、いくらIT教育を施そうが、肝心の道具=ネットを扱う作法までおいそれと高まるわけもないことがよくわかる。民度は一日にしてならず。*1

 黒船来航の時も専守傍観、高みの見物、上野のお山に大砲が炸裂してもなお、お気楽な落首で茶々を入れ続けていた江戸の町人の心意気は、今日ネットで立派に受け継がれている。青筋立てて「糾弾」し、指を切ったり火をつけたり、果ては小泉人形踏みつけにしたり、とエスカレートすればするほど、われら高度消費社会の町人国家の国民は、それをまず見世物として正しく楽しんで見せるだろう。観客民主主義の成熟とはそういうもの。「反日」上等、暴動歓迎。その結果、日本に蓄積してゆく微妙な気分のゆくえなど、彼ら天然ストーカーには決してわかるまい。

*1:手直し前と比較あれ id:king-biscuit:20050415