「芸人」文化人の横行(草稿)

 意外と知られていないことらしいのだが、文化人、評論家などの中に、芸能プロダクションに所属している御仁がいる。テレビや雑誌、その他マスコミへの露出が最近やたら多いな、と思ったら、疑っていい。個人事務所でもご同様。たゆまぬ「営業」の成果なのだ。

 先鞭をつけたのは、確かホリプロだったか。文化人枠とかいうのを設定し、当時人気者だった栗本慎一郎などを所属タレントとして確保したはず。その後、大手芸能プロも追随、昨今ではなんと、かの吉本興業所属の文化人までいる。岩波文化人ならぬ吉本文化人、と誰かが正しく揶揄していたが、でもそれ、シャレにならないっての。

 この現象、どうもテレビに「コメンテーター」という肩書きが蔓延し始めて以降のような気もする。○○の専門家、という意味で、大学教授などがお硬い報道番組に呼ばれるのでなく、よろずいっちょ噛みとしてものを言う。芸能人で言う「トーク」と同じ。細木数子デヴィ夫人とも同類だ。大手新聞の論説委員や雑誌の編集長などが起用される場合もあるが、求められている存在意義は、つまり「芸人」なのだからして。

 「芸人」がいけないのではない。逆だ。評論家であれ何であれ、いまやテレビという額縁に乗った以上、意味としてはタレントや芸能人と同じ。事務所に所属して仕事が効率的に回るようにするのも、その証左だろう。「芸人」として仕事するならそれはそれ、スポンサー様の意向やその他さまざまなしがらみでものが言いにくくなるのも、お鳥目いただく以上は当たり前、昔からそういうもので、言論の自由をうんぬんするなど筋違いなのだが、しかし、どうもそんな脈絡に未だ無自覚な御仁が未だに多い。「正しい(と自分が思い込んでいる)こと」だけを示すのが正義という、型落ちインテリ系の勘違い。その勘違いもまた「芸」として見られるのもいまどきだが、それがバレた途端に怒り狂うのも彼らの通例。痛いことこの上ない。

 いっそもう、この評論家は○○芸能プロ所属の「芸人」ですよ、ということをもっと情報公開すべし。クイズ番組やバラエティーではしゃぐあの人、この女史などから、まずは率先垂範希望、だ。