靖国、というアポリア

 戦後六十年、である。それは人間ならば還暦、亡くなった人をしのぶことのできる人すらこの世からほぼいなくなってしまうくらいの時間なわけで、その程度に「戦後」もまた歴史に繰り込まれてゆく。

 民俗学の教えるところによれば、人は死んだ後、一定の時間がたつと「祖霊」になる。そこにもう個性はない。ある意味、そのように生前の個性を漂白させて「忘れる」ことで、人は死者とつきあいながら〈いま・ここ〉をうまく生きてきた。意味と記憶を抱えたこの難儀な生きもの、人間ならではの智恵、だとも言える。

 靖国神社の祭(さい)祀(し)は、そもそもそんな民間の弔いとは脈絡が違う。戦いによる死、非業の死をとげた者への鎮魂という古くからの意味とともに、そこに祀(まつ)られる魂は、死んだ後いずれはイエ、そしてムラに帰属するそれまでの祖霊一般とはまた少し別のものとして考えられてもいた。遺影や告別式、個人名を彫り込んだ墓石の一般化、そして喪服がそれまでの白装束から黒い礼服になったこと…などなど、すでにわれわれ自身忘れているそれらささやかな弔いの変遷も、戦死という尋常でない死に方が、新たな、そしてとりとめない「公」=「国家」とのかかわりで大量に発生するようになってからのことだ。

 そのように、われわれ日本人がそもそもどういう弔い方をしてきたのか、その背後にどのような心の歴史が横たわってきているのか、それらの経緯が国民共同の知識として踏まえられていないまま、せきこむような大文字の議論の空中戦ばかりが行われている。分祀の議論などはその最たるもの。民俗学者からすれば、そんな現在こそがよほど危なっかしい。