ネット嫌韓の来歴

 

 嫌韓、というのは、ネット世論においてはデフォルトのモードだったりしてきた経緯があります。昨今「ネット右翼」などと一部で言われるような現われというのは、ネット空間の成立当初からある種つきもの、お約束のようなものでした。

 とは言え、ネット世論というかインターネットでの疑似論壇的な空間の成立とその変遷については、未だ正史が存在しない。というか、そもそもネットに関する歴史にそのような正史といった大文字の優越性は成立しにくいという構造的な事情もまたあります。なので、ここはひとまず個人の経験から言うしかないわけですが、とりあえず97、8年頃、インターネット環境が普及し始めた最初の時期に、BBS形式の掲示板があちこちにできてきた、当時がそういう「議論」「論争」系のモードがネットになじむものらしいことを発見していった端緒だった、ということは言っておいていいでしょう。

 それ以前、インターネットより前のパソコン通信の段階で、ニフティサーブに代表されるフォーラムなどもあったわけですが、あたしゃそのへんほとんどスルーしてきたもので具体的な経験としては知らない。ライター稼業の周辺などにはそのへん足踏み込んでいた者はいましたが、それでも世代的にあたしなどより少し下が上限。当時の三十代そこそこ、今の四十歳前後が天井となる年齢構成かな、という印象でした。

 当時は、巨大掲示板2ちゃんねるが登場し、ネット空間自体、それまでのUG(アンダーグラウンド)系掲示板に代表されるような悪場所的いかがわしさから、好むと好まざるとに関わらず、徐々に離脱し始めていた時期でした。「嫌韓」傾向の発信源になったハングル板がその輪郭をあらわにしてゆくのはその後、数年ほどの間のことでした。今ではさらに、ニュース極東板、東アジアニュース板、など「嫌韓」気分を加速する関連掲示板が「隔離」されることで結果的に増えていて、2ちゃんねる自体がネット上の「嫌韓」傾向の発信源、「嫌韓厨」「ネット右翼」製造工場になっている、という風に見られていますが、しかし、ネットとのつきあいの長い人ならよく知っているように、少なくとも管理人のひろゆきはそれら「嫌韓」傾向について抑制的に動いてきています。

 たとえば、以下は四年前、「嫌韓」傾向のスレッドの林立が目立ち始めたニュース速報板からニュース極東板を「隔離」した時の彼のコメント。これ以外にも、いわゆる「嫌韓厨」を増長させないように腐心してきた形跡はたくさんありますし、韓国のIT系企業との提携の噂などもからんで、ひろゆき=在日説、までまことしやかに流れたりもしているのも、またネット空間ならではの趣きでしょう。

75 名前:ひろゆき :2001/08/18(土) 14:58 ID:b.Apablw

ニュース速報板は思想を抜きにして、

純粋にニュースという情報を交換する場所にしたいんですよ。

だから、ニュースに関する思想は、ニュース議論板のほうになるです。

んで、韓国、中国、台湾のニュースで重要なものがあることはもちろんですが、

重要ではないものが、スレッド上位にきてしまうと、

正常な情報交換の場所としては不適切になってしまうです。

 とは言え、当初のハングル板には、ハンドルネームを固定した発言者、いわゆるコテハンがキャラクターを維持しながらやりとりを継続し、それがまたある独特の雰囲気をつくっていました。敢えて言えば、2ちゃんねる以前のUG(アンダーグラウンド)系掲示板の持っていた空気がいい意味でまだ漂っていた、そんな感じでした。

 すでに伝説になっているコテハン「ぢぢ」様の書き込みなどは、原則的にネットでは書き込みをしない観客に過ぎないあたしなどにとっても非常に印象深いものでした。年寄り(を装った?)もの言いでキャラクターを際立たせ、スレッドに集う若い衆とのやりとりで「これまでおおっぴらには語られてこなかった歴史」「ほんとうのこと」をじゅんじゅんに説いてゆく、というスタイルは、自然発生的なものとは言え、何か意図的なプロパガンダを仕掛ける向きの策動かも、と思いたくなるほど芸風としても優れたものでした。(実際、そういう陰謀論を説く向きもないではなかった) 

 この「ぢぢ」がハングル板に初めて登場したのはひとまず2000年の五月ということになっていますが、あまりの人気に専門のスレッドが立ち、この「ぢぢ」様の書き込みだけを抜粋したまとめサイトまでつくられ、その後、サーバ側から何度も削除されるなどの紆余曲折を経ながらも、ネット上の〈名無しさん〉たちの無償の働きで未だにミラーサイトが残り続けているのは、ネットにおける自治、コミュニティコントロールの最もうまくいっている事例だと思います。また、住人たちで書き継いでゆく形での投稿小説「大河ドラマ ニホンちゃん」(もともとはニュース速報板から移転してきたものですが)などのパロディ系スレッドが長寿スレになっているのも、ネットコミニュニティの気分をよく反映しています。*1

ぢぢ様玉稿集 大日本史 番外編朝鮮の巻

http://jijisama.org/

日本と在日韓国・朝鮮人の戦前から現在までの関係を扱ったサイトです。

強制連行・就職差別・指紋押捺・最近では三国人の呼称などで大マスコミが反日左翼のフィルターを通してこれらを報道してきたため我々一般人は日本側に一方的に非があるように思い込まされてきましたが、歴史の語り部により反日左翼や在日の欺瞞が明らかになってきます。在日コリアンの歴史を分かりやすく客観的に知りたい方にはお薦めのホームページです。

このホームページは「2ちゃんねる」というサイトの「ハングル」板にある「つかってはいけない差別語 三国人」・「ぢぢさまのちょっとだけ昔話」、というスレッドでの「ぢぢ」様という方の投稿を主幹として編集したものです。

67 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/05/28(日) 17:45

はての。

チョン公というのは鮮人のことかのう。

昔はそんな呼び方はせんじゃったがのう。

いつのまにかわったのかのう。

ハングル板基本用語解説

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/9959/2ch/word.html

大河ドラマ ニホンちゃん

http://funshei.at.infoseek.co.jp/

 

  「ぢぢ」様が語るような「ほんとうのこと」がそこまで関心を集めたのは、それが、表のメディアに出てこない、ということがひとつ価値になっているところはあったように思います。それは新聞やテレビなどいわゆるマスコミだけでなく、学校などでおおっぴらに教えない、語ってはいけないようになっていること、という意味もありました。まさに「教科書が教えない歴史」というわけで、今の「嫌韓」に連なる気分の基本的な性格というのもそのへんと関わっています。「表のマスコミ」「学校」などとの距離感で対抗関係が保たれている、そういう意味での「ほんとうのこと」というわけです。

 ハングル板に限らず、当時の「議論」「討論」系のサイトの住人たちには、活字の蓄積を持っているとおぼしき人たちが確実にいました。いた、というだけでなく、彼らの持っている活字由来の情報処理、素材のさばき方が何となく主流になり、標準規格にもなっていった。何か議論の素材になるような事実を書き込むと、ソースは? とすぐ典拠を問われる雰囲気も、この時期、これらの界隈からつくられていったように感じています。もちろんネットのこと、確かなことは言えませんが、それでも、書き込みのたたずまいなどから察知する限りでは、やはり当時の三十代、今だと四十歳そこそこから前半の知性が中核になっていたのでは、と思っています。最近増えた、ニュース速報VIP板系の「厨房」とはひと世代違う、というか、もう少し、よくも悪くも文科系人文系の「伝統」が匂っている場ではあったように思います。その意味で、何やら「若者」メディアと思われてきているネット空間は、実は結構「オトナ」の居場所だったりもしたわけです。

 『嫌韓流』の著者である山野車輪氏も、もともとニュース極東板のコテハンだったと聞いていますし、その意味で、これらハングル板とその周辺のこさえてきた場から出てきた仕事なのは明らかです。当時の初期のハン板とその周辺は、確かに草の根教育機構みたいなところがありましたし、それはそれらと前後して盛り上がっていた日本茶掲示板(『ゴーマニズム宣言』のファンサイト的なところから派生した「保守」系掲示板)などにも通じる、ネットの寺子屋、とでも言うべきものでした。

 とは言え、誤解のないように言い添えておきますが、ヤフーに代表されるような大手ポータルの用意する掲示板などでは、いまで言うサヨク/リベラル系の言説が支配的でした。個人のサイトや掲示板などでも、何かものを言う、それこそ「言論」「議論」系のモードにおいては、まるでそれがルールであるかのようにサヨク/リベラル系の言説が大手を振ってまかり通っていました。ネチズン、などという、いまとなってはもう古色蒼然、恥ずかしさが先立つもの言いもありましたし、それはとりもなおさずサヨク/リベラル系の言説を操り、そういう世界観を自明のものとしているような人たち、という意味になっていました。

 パソコンの普及は世界を変えてゆく、インターネット環境が整備されて誰もがアクセスできるようになれば理想の民主主義が実現できる――そんな妄想がさも当然のように語られていました。個人がホームページを開設するのには、厄介なプログラム言語を知らねばならなかったし、それをいいことに法外な値段をふっかけるぼったくり業者もいました。ここ一、二年、ネット上でブログが爆発的に増殖している状況にしても、その頃のホームページ熱、個人の掲示板ブームなどの延長線上というか、当時ホームページに何か過剰な夢を見ていたような人たちがひとめぐりしてまたブログに群れ集っている、という印象が強い。ただ、当時と違いここ数年は、ブロードバンド以下の常時接続環境が普及し、パソコンにしても家電並みになってきていますから、そのようなネチズン的なサヨク/リベラル系言説の信奉者たちがマスに中和されてしまう度合いが高い。〈名無しさん〉による民主主義、というのがあるとして、それが以前よりおおっぴらに現象化してしまっている面があるわけで、それを「嫌韓」のデフォルト化、ひいては「右傾化」「ナショナリズムの加熱」といった方向でだけ見ようとする向きも出てくる、という図式のように思えます。

 ともあれ、個人で何か意見を表明する、それも私的な感想などでなく、何か「公」に関わるようなもっともらしいことを言う、そういう場合に知らず知らずのうちに流し込まれてしまう型通りというのがあって、それがサヨク/リベラル系の言説の本質です。そして、そういう型通りに対する違和感、不信感といったものが、結果として「嫌韓」という現われにつながってゆく。その意味で、サヨク/リベラル系の言説に代表されるニッポンの「戦後」を規定してきた「公」なるもの、に対するネット以降の情報環境における草の根からの異議申し立て、というのが「嫌韓」を定義する場合の最大公約数だろうと思っています。『嫌韓流』がたとえマンガという形式を借りてのものであれ、一般の書籍市場で数十万部という規模の読者を獲得しているのも、そのような異議申し立てがネット以降の情報環境における草の根から逆流して表面化し始めている、そのような情報環境の変動の典型的な現われだというように、あたしは理解しています。

 もちろん、『嫌韓流』の描くような「韓国」というのは、実際の韓国や韓国人そのままではない。そのことは『嫌韓流』の読者の多くも理解しているはずです。ネット発で、既存のメディアなどが表沙汰にしてこなかった「韓国」を編纂した、という脈絡の理解が『嫌韓流』とそれにまつわる現象に向き合う時に、まず重要な前提になっています。

 同様に、韓国側のネット上でも「反日」は、ある種デフォルトのようです。NAVERなど翻訳サイトを介在させた掲示板が出現して、そのような互いのネット上での気分や空気といったものも、これまでよりずっと知り合うようになってきた。それはサヨク/リベラル系の言説内での「国際交流」や「異文化理解」などと少しずれたところに、新たな「相互理解」をはらみ始めてもいます。ネット環境の整備によってそれまでは潜在していた気分や空気がなにほどか増幅や歪曲もされながらも表現できるようになり、その水準の現実が互いにある種の共鳴板のようになりながらなにものかを映し出し、国境をはさんでその双方が響きあっている、そんな印象があたしにはあります。

 そのような水準の現実も含めて、新たな情報環境での〈リアル〉は再編成されつつある。政治や経済や思想や歴史や、何であれそのような「世界」の成り立ちもまた、そのような再編成のうねりから無関係ではいられない。われわれは好と好まざるとに関わらず、そういう時代を生きつつある、ということのようです。