郵政民営化陰謀論への処し方

郵政民営化はアメリカの陰謀、という議論がある。先の衆院選以降、さらにそういう声が論壇周辺で大きくなっているようにも見える。あらかじめアメリカのシナリオ通りに日本は解体されつつある、それを座視して受け入れる小泉政権はアメリカ追随、まさに「ポチ」なのだ、という決めつけは、今の政府批判、小泉批判のひとつのモードになっている感がある。

この手の陰謀論、かならず一定の信憑性を持って語られる。陰謀の黒幕は、たとえばアメリカでありユダヤ資本であり、冷戦下だとソ連中共、それら「東側」の謀略、というのも普通にあった。もう少し広げればM資金や旧日本軍の工作資金の類、あるいは、反共運動のCIA資金、なんてのもあった。

そういうこともあるかも知れない、としか当面言いようがないような説明の仕方は、現状未確定なものとして扱っておく、それがひとまず良識というものだ。将来、何か決定的な証拠が出てきたとして、その時点で判断が変わればいいだけのことで、眼前の材料から穏当に判断できる範囲でしか、われわれは現実を見通すことはできない。それを一気に何とかしよう、世界の秘密、この世の真実を極めよう、未来に向けて何か明らかにしよう、と過剰に思い込むことは、それがいかに誠実な動機に裏付けられていても、現われとして必ず不健康な傾きをはらんだものになる。たかだかこの自分が、という留保がなくなるところに陰謀論は忍び込み、心の健康をむしばんでゆく。

あたしゃ、「ポチ」上等、精鋭無比、世界一の「ポチ」になるもまたよし、と思っている。アメリカに最も信頼される「ポチ」の方が、中韓朝貢国になりさがるよりはまだ百倍まし。こんなに誠実で勤勉で、それでいて誇り高いポチもいないぞ――実は、ブッシュはそう思っているかも知れない。