君は「ディープコリア」を見たか?

 

 

 

――この世で一番すぐれた民族である(自称)という誇り、素手でライオン、虎、熊、マムシにも勝とうと思えば勝てる(はずだ)という精神力、相手の希望を無視し踏みにじってでも自分の欲求のおもむくままに与えつくせという人情、と人間の性質三本性によって、威張っていて粗暴で親切で強情な特性を持って、文化生活性生活を営んでいる。これが基本である。

根本敬湯浅学『ディープコリア』

 去年の夏以来、「嫌韓流」がどうしてここにきて浮上してきたのか、日本人は突然、韓国や朝鮮を嫌うようになったのか、そういう類の質問をよく受け、コメントを求められたりするようになった。そのほとんどが海外メディア(日本駐在含む)だったのが、違う意味でまた興味深かったのだが、それはともかく。

 韓国/朝鮮に対する反発、というだけでは、ことの半分で、本質はもう少し違うところにある。「嫌」韓流、なのだから、それを煽る新聞やテレビなどマスメディアに対する批判じゃないの? うん、それも確かにそうなのだけれども、さらにもう一歩踏み込んだところで、じゃあなぜいま、ここにきてそういう動きが表面化したの? という問いも依然として残る。

 まず、去年の『マンガ嫌韓流』に端を発した(ように、とりあえず見えている)国内のアンチ韓国、朝鮮の流れというのは、最も引いたところで見れば、いわゆる「戦後」の枠組みがここにきてようやくほどけてきたことのひとつの現われ、である。一部の評論家が「若い世代の右傾化」などとのたまっているのは、渡世上のコメントとしても三流、本気で言っているのだとしたらただのバカである。それは、政治的にはかつて「五五年体制」と呼ばれた自民党一党支配の構造が九十年代始めに崩壊し、経済的にはあのバブル経済とその帰結が否応なしに「豊かさ」にそれまでと違った意味づけを与えるようになり、そうこうしているうちに最近ではもう「勝ち組/負け組」といういささかむくつけなもの言いでさえ、少なくとも「ああ、なんかそういう感じってわかる」という程度に多くの人にうなづかれるようになり、まあ、なんだかんだで「これまで」と同じような「豊かさ」を維持したまんまののんべんだらりな明日ってのはもうあり得ないみたいだなあ、というのが大方の認識になってきた――そんな現在、眼前の〈いま・ここ〉を正面から見することができないゆえの妄言である。

 是非はともかく、それがおおむねわがニッポンの二十世紀末から今世紀初めにかけての状況、ってやつだった。去年の衆院選小泉内閣にあれだけの信任をうっかり与えた「空気」というやつも、大きくはこの流れ、「戦後」が最終的に終わってゆく過程に必然的に宿ったものだ。そう言えば、あの選挙結果の解釈にしても、「右傾化」「ファシズム」とレッテル貼りして得意顔のバカが、メディアの舞台にまだたくさん闊歩している。ニッポンの知識人、とりわけ文科系の現実把握能力は、その知識人としての倫理観ともども、実にここまであっけらかんと低下している。

 その程度に、これまで「戦後」の言語空間で「とりあえずそう言えばいいことになっている」という約束ごとになっていた文科系、とりわけ俗に言う人文系の世界観からする「常識=身だしなみ」というやつが、その基盤ごとついにあやしいものになってきた。だから、「戦後」とそこに依拠した「身だしなみ」にメディアごとフタをされてきていた、日常的かつ等身大な実感レベルでの韓国/朝鮮、という水準が、結果としてここにきてにわかにあらわになってきた。

 で、言わせてもらえば、それ以上でも以下でもない。必然っちゃ必然、自然な流れ、なのだ。それを、在日であれユダヤであれ、はたまたCIAであれ何であれ、これまで何かそういう目に見えない邪悪な勢力によって隠されてきた何ものかが今ようやく明らかに、といった解釈を発動したがる向きもお約束でいるが、その手の陰謀論はひとまず禁欲するが吉。嫌韓流という現われは、そういう現代史、現在進行形の歴史の動態としてまず解釈抜きに淡々と眺め、受け容れてゆくべきである。そう、どうやらそういう具合に、歴史というやつは〈いま・ここ〉の切羽にその貌を現わす。


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 そもそも、である。

 朝鮮人というのはおおむねロクな連中ではない、という感覚は、戦後の日本人にとってある程度デフォルトではあった、はずだ。それは戦後の闇市体験から始まり、高度成長期におけるあれやこれやの商売がらみの接近遭遇などへと連なる過程に、確実に蓄積されてきていた。

 もちろん、それはひとくくりに「朝鮮人」と言いつつも、実は日本国内に残留した戦後期の在日韓国/朝鮮人の立ち居振る舞いがそのほとんどの根拠になったような体験である。それは場合によってはもっと茫洋とした「三国人」であったり、はたまた「被差別部落民」であったり、いずれそれら社会的に抑圧された側にある人たちの立ち居振る舞いに素朴に違和を感じてしまう側に融通無碍に憑依するようなものだったりして、その限りでは確かに偏ったものではある。しかし、そのような偏りをいい加減にはらみながら、確かにある真実をはらんだものとして「朝鮮人」というイメージは、「戦後」の意識の銀幕に結像してきてはいた。それもまた歴史的事実である。

 問題は、そういう皮膚感覚での違和感をうまく言葉にして、共通の経験として財産にしてゆく術が身についてこなかったことと、だから、なのだろうがそれを、たかだか「身だしなみ」レベルの「常識」でフタをして抑圧してきたままだったこと、この二点である。

 改めて、かつて敗戦に際しての柳田国男のコメントを思い出す。軍部がヘンだと思っている者はインテリだけでなく庶民にもたくさんいた、けれども、それを言葉にして世間に投げ返す術を知らなかった、言葉がないから負けたのだ、と。ちなみに、同じ民俗学者だった折口信夫(釈超空)は、日本の神が負けた、と絶句した。この双方の絶望的な距離は、単に民俗学という辺境のガクモンだけでなく、そのまま「戦後」の文科系/人文系の言語空間にも陰に陽に揺曳している。

 戦後六十年、その程度に事態は変わっていない。違和感を言葉にする術を知らないままであること、その不自由から一足飛びに逃れようとすると、ある者は盲目的に「親韓」=リベラル/プロ市民、になり、ある者は硬直した「嫌韓」=ネット右翼/コヴァ、になる。過剰な反応になってしまうのは、もとの抑圧がそれだけ深いという意味では同じこと。ウヨもサヨも同じ、というのは実にそういうことだ。

 ゆえに、「嫌韓流」とは、「戦後」の言語空間、そこに依拠した「身だしなみ」に抑圧されてきたわれらニッポン人の内なる「韓国/朝鮮」の、〈いま・ここ〉での遅ればせながらの解放、だったりもする。蓄積されてきた皮膚感覚での素朴な違和感を違和感として、投げ出すことの可能な環境がとりあえず整ってきたならば、この解放の向こう側にさて、どのようなよりよい未来があり得るのか――それこそがこれから先、全力で考えねばならない課題である。かつてのように知識人という先達はもういない。社会の木鐸たる新聞、活字メディアの信頼もめでたく地に堕ちた。だからこそ、文字通り「みんなで」、共にゆったりと考えてゆく問いとして共有されねばならない。いまなおしつこく柳田国男原理主義民俗学者であるあたしなどは、しみじみそう思う。


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 『マンガ嫌韓流』がマンガであったことに、過敏に反応する向きもある。先に触れた海外メディアには特にその傾向が強い。けれども、ならばマンガのみならず、それらいわゆるサブカルチュアの領域で「韓国/朝鮮」、もっと具体的には「朝鮮人」がどのように描かれ、語られてきたのか、についてさえ、あたしたちはまだちゃんと共通の知見にしていない。

 たとえば、『李さん一家』、という作品がある。つげ義春の初期作品の中でも、まあ、よく知られている作品のひとつと言っていい。ここに出てくる李さんという朝鮮人夫婦のたたずまいのなんとなしの不気味さ、異様さというのは、サブカルチュアにおける韓国/朝鮮人イメージの原基みたいなところがある。あるいは、『あしたのジョー』のあの泪橋の向こうのドヤ街、あれもまた「朝鮮人」と結びつけて語ろうとする向きもある。ないしは「被差別部落」としても、また。

 同じことだ。そういう「読み」はある種のもっともらしさを伴って、確実にこれまで流通してきてはいた。真偽はもとよりさだかでないような解釈ゲームの水準の話なのだが、それもまたあたしたちの内なる「朝鮮人」イメージを形成する重要な要素になってきている。

 現実と虚構はそのようにないまぜになりながら、〈いま・ここ〉に歴史として内包されている、その程度に歴史も社会も経済も思想も、なべて虚構であり、同時に現実でもある、そんな中を、意味を呼吸してゆくしかないあたしたちは漂いながら生きてゆく、そういう生き物である――そんな認識自体が、「戦後」の言語空間ではあらかじめ排除されてきていた。そのように、いずれ「底辺」や「貧困」「被差別」といったキーワードによってくくられるような対象として、「朝鮮人」や「在日」はとらえられ、そしてその視線はそのまま半島の方へと投射されることになっていた。

 今となっては忘れられているようだけれども、当時の韓国というのは、こちらから見れば軍事政権バリバリの抑圧国家であり、コワモテのこわい国、だった。光州事件あたりまでは間違いなくそう、ソウルオリンピックでようやく少し親しみが出てきた程度。徴兵はあるし、ニンニク食って体力はあるみたいだし、実際、サッカーの日韓定期戦やボクシングのタイトルマッチ、プロレスまで含めて、それらスポーツの舞台に姿を見せる韓国の選手たちは、明らかにフィジカルでわれらニッポン人より上、に見えた。こちら側が高度経済成長の「豊かさ」を自覚するようになってからはなおのこと、その動物的な迫力はある種抑圧の源として、意識のある部分に刷り込まれてゆくに充分だった。

 当然、その頃すでに北朝鮮もあやしげな国だった。でも、南も南でその意味では五十歩百歩、それらまるごとひっくるめて「冷戦構造」のもたらした民族分断の悲劇なのであり、それらを解決するためにこそ冷戦緩和、米ソ両大国間の雪解けが必要じゃないか――といったところが、ごくおおざっぱに言って、良識的な知識人=ものを考えている(ということになっている)人たち、の世界観であり「身だしなみ」だった。呑気と言えば呑気だけれども、そんなもの、でよかった「戦後」というのがまだ圧倒的にあった。それを裏打ちしていたのがマルクス主義とそこから派生する世界観であり、だからこそソ連も中国も「平和勢力」だったりしたし、その限りで「反米」というのも「半島」にまるごと同情を寄せる態度からすれば当然のなりゆきだったりした。だから、当時の状況で、北=実はロクでもない、南=似たようなものだが、まだ少しはまし、程度のことでもはっきり口に出せば、それは「米帝」の側の「反動」勢力、「平和」に水さす輩として、「戦後」の言語空間の「身だしなみ」からすれば異端としてうしろ指さされるようなもの、ではあったのだ。

 いま、ひとしなみに「保守」と言うけれども、江藤淳福田恒存などがそれら「戦後」の「身だしなみ」に昂然と身体を張って異を唱えた状況と違い、少なくとも80年代からこっち、「保守」を標榜することにそういう緊張感はなくなっている。それ自体、「戦後」の枠組みが棚落ちし始めた果実なのだが、昨今のにわか「保守」はそのあたりには驚くほど鈍感だったりする。今のように、北朝鮮なんてロクなもんじゃない、ということをまっすぐに言うためには、当時の日本の「戦後」の言語空間というのは、その程度に不自由がきつかった。そのことを、いまこういう状況だからこそ、正しく歴史の相で省みることも必要なのだと思う。


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 北朝鮮だけじゃない、韓国ってのも実はまた同じようにロクなもんじゃない、ということまでもはっきりと言ったのは、やはり『ディープコリア』だった。だって同じ民族、だもん、体制は違っていても構成しているのは同じ朝鮮人なんだもん、というミもフタもない認識。それをゴロリ、と放り出したのが、『ディープコリア』だった。

 この『ディープコリア』が当時、どう読まれたか、についても、すでに歴史として語っておいた方がいいのかも知れない。いまはその後出された続編も含めた「豪定本」として一冊にまとめて刊行されているけれども、まずはその中でも最初の版、80年代の状況で出されたものをゆっくり読んでもらうのがいい。

 ここで対象化され、相対化されているのは、当時の大韓民国人の常民ぶり、生をむくつけに表出して生きる諸相である。韓国をバカにしている、サベツしている、といった反応は、まあ、当たり前にあったけれども、それよりもやはりサブカルチュアの側からのゲリラ戦、「お笑い」のセンスを介在させたところでの「冗談」としてお目こぼしされていたことが大きい。後の、テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』なども、明らかのこの『ディープコリア』以降の流れがあって可能だった仕事だ。

 それは、その少し前、60年代いっぱいまでならば「底辺」探し、のルポやノンフィクションの視線にも淵源が求められるようなものだった。あるいは、同じく当時、ヤコペッティの映画やそれに端を発し評判になった『○○残酷物語』といったパッケージングで示されたような「記録文学」系統の手触りを持ったリアリティ。逆に言えばそれは、もうそういうリアリティが日常にはあまり見られなくなり始めていたからこその視線、であった。「豊かさ」が普遍化してゆくからこそ「貧しさ」や「底辺」も際だってくる。ルポなりジャーナリズムなりというのは、そのような「貧しさ」の側に焦点を合わせてゆくものであり、その脈絡にあるとされた「庶民」や「底辺」に執着してゆくものであった。理屈はどうとでもつけられた。先の「身だしなみ」の力もあいまって、そのような性癖がある種の人々にうっかりと宿ってしまうようになった、その程度にニッポンも「豊か」になった、ということだった。

 そういう態度の市場価格もかの「身だしなみ」によって担保されていた。それは戦前のマルクスボーイたちの中にあった「ヴ・ナロード」(民衆の中へ)気分が装いを変えただけ、と言えば言えたが、しかし、革命だの何だのといった大文字の正義を勝手に背負わなくなったのが大きかった。そんな難儀な正義(思いこみ、ないしは勘違い、つまりは「イデオロギー」)はひとまず抜きにして、ただ現実の方へ――できるようでいて、これはなかなかできなかったのだ、特に「戦後」の言語空間がまだ生きて作動している状況では。

 だから、『ディープコリア』は、個別具体として明らかに違和を感じざるを得ない存在について、の記述になっている。そういう皮膚感覚での違和感、をどのように解釈するか、というのはすぐれて認識論的、かつ記述論的な問題ではある。それを文化相対主義的に「異文化」という呪文で片づける作法が一般化するのはもう少し後、「異文化」理解、というのがひとつの呪文として、学校の偏差値優等生たちの世界観に浸透してからのことだ。

 そういう意味で、今の『マンガ嫌韓流』が、ディベート、という形式をとっていたのは偶然ではないだろう。茫洋とした現実からひとまず切り離された、それこそ教室のような空間を仮に設定して、その中での「対話」を通して相手を「論破」してゆく。なるほどそれはゲームの比喩でも語られるような明快さを伴うし、その限りで現実とはひとつ異なる水準でのやりとり、にならざるを得ない。インターネットの普及がそのようなやりとりを飛躍的に可能にした、というのも言わずもがなだ。

 だが、二十年前、『ディープコリア』が示していたのは、80年代状況が必然としてはらんだ価値相対主義のもたらした主体――一方ではかの「おたく」という現実逃避からすぐ後のオウムに至るまでの破綻の萌芽をはらみながら、しかしその一方ではまたある種の健康なデタッチメントを担保する度量も持った、そんな新たな自意識の側からの異議申し立て、だった。ルポ/ノンフィクションのフィルターではなく、とりあえずは身体ごと、違和を感じる現実の側へと投企してみる、そこで見えるもの、感じることをひとまず全肯定してみる、そういう態度。『ディープコリア』の著者たちは、そこで遭遇する韓国人/朝鮮人を論破しようなどとしていないし、批判もしていない。自分たちが正しい、などはさらに考えていない。たまんねえなあ、と苦笑いしながら、でもどこかでその生のミもフタもなさ、徹底的に傍若無人なさまを畏怖しながら、良くも悪くも「ネタ」として慈しみ、慈しみながら同時に自分を省みようとするようなところが、間違いなくあった。「イイ顔」と表現して、道ゆく韓国の朝鮮常民たちをスナップショットしてゆく視線には、同時にその「イイ顔」の側に見られている自分たち、という意識もまたはらまれていた。李さん一家のミもフタもなさにたじろぐこちら側もなければ、あのつげ義春の作品は成り立たない。こいつらと同じように自分もまたミもフタもなく、くだらない、という自己認識。笑い飛ばし、バカにしながら、そのぎりぎりのところで何かを留保しようとする。その誠実がどこまで武器になるのか、は個別具体にしか論ぜないのだが、しかし、ひとまず認識のありようとして充分に意味あるものだと、今でも思っている。

――大韓人は野球に例えれば4番でエースで監督、そして審判も兼ねる。その上、状況(当人の都合)によっては突然テコンドーにかわり、そしてこちらを蹴り飛ばすやいなや何事もなかったかの様に再び野球になる。実に手強い相手であるってえか、普通の日本人はそこで怒って「韓国人とはやってられねえ」となるものだが、ディープコリアにおいてそれはヤボ。でもそういう大韓人も若い奴には減っている。残念なことだ。

根本敬湯浅学『ディープコリア』

 「イイ顔」は間違いなく、自分の足もとにもあった。そのことを『ディープコリア』は知っていた。だからといって別に日本も韓国も同じ東アジア、文化は同じ、てな大文字の能書きは知ったこっちゃない。ただ、間違いなくこういう類の生のミもフタもなさ、やりきれなさというのはわがニッポンの内側にもあったし、今もある。もっと言えば、きっとニンゲン一般に、ある。そういう認識によって一方の足を踏ん張れる足場を持っていないまま、ただ自分は棚にあがりっぱなしのまま批判し、論破し、勝ち誇ろうとするだけの「嫌韓流」は、なるほど、そりゃやっぱりいけ好かない

 「嫌韓流」の「実践」ハンドブック、というのも出た。まあ、企業の消費者サービスセンターあたりがこさえたクレーマー対策マニュアルみたいなものだ。だが、本腰入れて「実践」というのなら、話は簡単。往けばいい。「嫌韓流」によって何か眼を開いたという自覚がある主体ならばなおのこと、往けばいい。往け、半島へ。ウリナラの楽園へ。できれば関釜、ならぬ釜関フェリーの二等船室に揺られながら。そして、そこに未だのたうちまわるミもフタもない現実を前にしてなお、何か自分の内なる「豊かさ」まみれのニッポン人としての不自由を、どのような方向にせよ過剰に埋めようとしないで安定を保っていられるのならば、それは全く慶賀すべきこと、「嫌韓流」以て瞑すべし、である。

 だから、韓国/朝鮮は、もっともっと笑い飛ばそう。バカにしよう。あきれよう。そしてその感情を言葉にして表沙汰にしてしまおう。その営みを空気のように行えるようになって、始めてそこから先、あたしたちニッポンの、「戦後」というのがどういうものだったのか、もっと言えばあたしたちの生きてきた歴史とはどういうものだったのか、を、〈いま・ここ〉から裏返しに見透す視線も自分のものになってくる。

 半島だけではない、ニッポンだって「嘗糞」はやっていたし、犬も猫も食っていた。そのことを、申し訳ないが民俗学者のあたしは知っている。その程度に確かに、「イイ顔」の棲息していた生態系は共通項でこちらも半島も地続き、ではあるのだ。でも、だからといってそれを根拠に一緒くたにするつもりはない。〈いま・ここ〉に歴史として蓄積され、現実にはらまれ続けている違和を違和として抱え込みながら、同時にすでにそういう「イイ顔」の生をそのものとして許容するような社会ではなくなっていることを思い知りながら、未だそういう「イイ顔」の横行する世界(どうやら、世界のデフォルトは未だそっちらしいのだ)とどのようにつきあってゆくのかを考える。「嫌韓流」のそれから先、というのには、ひとつそういう可能性もあるはずだ。

 十年ほど前、まだ大学で留学生相手に教えていた時、講義中に韓国人留学生連中があまりにうるさいのにアタマにきて、「ガタガタ言うと、おまえらまた名前変えて神社建てて、植民地にしちまうぞ」と言ったら、「でもセンセ、今戦争やったらウチが勝ちますよ」とニコニコ笑いながら余裕で言い返してきたあの留学生のエラの張った顔と、「まあ、そうだろうな」と苦笑いしながら言うしかなかったこちら側の気分、そして、そのやりとりをただ固まったまま凝視しているニッポン人学生たちの見事なまでに「戦後」の「身だしなみ」に忠実だったたたずまいを、いま、もう一度思い出してかみしめている。