先日、ある雑誌の取材の先達といった役どころで、北関東の競馬場跡をまわってきました。
高崎、宇都宮、高崎という、いわゆる北関東三場ですが、言うまでもなく三場ともすでに廃止、現在は競馬場跡でしかありません。とは言え、高崎と宇都宮はそのまま場外馬券売場として稼働中。大井のナイター開催など南関東を中心とした地方競馬の場外と共に、高崎などはもともと併設されていたJRAの場外窓口の方もそのまま存続していて、実際に競馬を開催していた頃は日曜の重賞くらいしか売っていなかったものが、いまや土日ともきっちり売るようになっていて鼻白みました。厩舎関係者が赤字解消の方策のひとつとして、JRAの場外日数の拡大をそれまでずっと懇願してながらなしのつぶてだったことが、いざ競馬がなくなってからすんなり実現しているという皮肉です。また、地方競馬の方も年間300日くらい場外として稼働しているそうで、何にせよ以前にも言った、まさに絵に描いたような「場外栄えて競馬滅びる」の図。宇都宮も大井のナイターでそこそこ賑わっていましたし、とにかく次の働き場所の世話もろくにせず、見舞金も雀の涙で厩舎関係者を追い出し、何より数百頭の競走馬を無下につぶした暴挙の見返りとしては、行政的にはなるほど“おいしい”結果になっているのでしょう。
唯一、足利だけは競馬場の施設もそのまんま、場外として使うあてもないらしく、ただ県の管財課の職員がアリバイ的にいるだけでした。もともと高崎や宇都宮よりもひと足先に一昨年、廃止になった競馬場ですが、競馬の開催がなくなってからも宇都宮開催のトレセンという形で競馬を使うためにいくつか残っていた厩舎も、三月の宇都宮の廃止と共にいよいよ閉鎖。聞けば、とっとと出ていけ、と言わんばかりに追い立てられたそうです。ここは競馬場本体もさることながら、厩舎地域の方がまるで夜逃げの跡のようなありさまで、ついさっきまでそこで馬の仕事や暮らしが成り立っていた気配のまま、家財道具も含めて荒れ放題だったのには胸が痛みました。厩舎によっては口取り写真も何もそのまんま、古い競馬ブックや優駿の切り抜きなどがこわれた馬具や朽ちた鞍下毛布、古い“カボチャ”のベットウ帽などと共に乱雑に残されていて、いくらなんでも切ないので、口取り写真などそのうちのいくつかはそっと引き取ってきました。心当たりのある方は編集部までご連絡いただければ、お返しします。
そんな北関東の競馬場の風景に、改めていま、「戦後」のニッポン競馬の清算期を目の当たりにしていることを感じました。それはひと口で言って、「役人競馬」の終焉、という形で現われていますが、しかし、当のそのお役人たちはこれまでのずさんな競馬経営の責任というやつは、僕の知る限り、これまでどこの主催者も、そしてその上にいる競馬行政の官僚たちも、何ひとつ全く感じていないかのようです。
次にやってくるのが果たしてどういう事態か、これは馬券と違って当たって欲しくない予想ですが、敢えて言います。今まだかろうじて残っている地方競馬の主催者の中に、自ら開催権を返上するところが早晩、いくつか出てくるでしょう。早ければ今年度中、遅くても来年春過ぎまでに必ずそうなる。巨額の累積赤字の解消の見込みは、今の「役人競馬」のままではもう絶対にあり得ないのですから、早い話が責任放棄、もううちではどうしようもありません、とバンザイするわけです。かの簡保や住専、あるいは不良債権に苦しめられた大手銀行などと大差ありません。もちろん、それではたまらないので、たとえば競馬場を抱えた地元の市や町、場合によっては生産者など民間も交えた第三セクター的な組織に肩代わりしてもらってひとまず開催を続ける、というのがせいぜい当座の落としどころでしょうが、高知や笠松などが少しはやってきたような、ある程度ドラスティックな“自ら血を流す”予算の見直しさえもできない主催者がほとんどの現在、結局はこれまでの「役人競馬」の責任の所在をあいまいにする手だてでしかないように思えます。
気分の悪いことに、最後はお上に助けてもらおう、という思惑も、競馬場によってはすでに見え隠れしています。地全協、JRA、農水省……「お上」の実態が何であれ同じこと。どこかから夢のような助け船がやってくるに違いない、という、主催者から厩舎関係者、そして生産者まで含めて長年抱いてきているこの悪しき民間信仰を、まず自分たちで何とかしようとしない限り、ニッポン競馬と競馬まわりの仕事によりよい未来はあり得ません。