「戦後」コンテンツとしての野球

 オープン戦も始まり、開幕も近づいてきたが、昨今、プロ野球人気の凋落が著しい。この季節、メディアぐるみで懸命に煽っているWBCにしても、それほど関心を呼んでいない。

 かつて、『野球小僧』という歌があった。戦後まもなくの、灰田勝彦の名唱。もうはるか昔の曲だが、今でもあの快活な美声で「君のようだね、僕のよう、Oh、マイボーイ~、朗らかな朗らかな野球小僧~」とやられると、なぜか心にじん、としみる。青空の下、スタンドから野球を眺める少年の視線。男らしくて純情で、じっと見てたよ背番号――そう言われて素直にうなずけるだけの民心の投影が、野球にはあった。稲尾と中西の西鉄ライオンズ、天覧ホームランの長嶋……改めて言うまでもなく、野球とはニッポンの民主主義であり、われらの戦後そのもの、であったはずなのだ、ほんの少し前までは。

 巷では、昭和レトロがブームだとか。映画『三丁目の夕日』もヒットした。ならば、野球もかつての名試合、好カードのダイジェスト版をDVDやビデオにして売り出してはどうだろう。あるいは、各球団、球場ごとに博物館や展示施設を充実させる、とか。大リーグと地続きになった眼前の野球を称揚するだけでなく、「戦後」の歴史コンテンツとしての野球、という視点でのプロモーションも、実はもう必要かも知れない。それぞれの暮らしの来歴に根ざした「戦後」の記憶とうまく重ね合わされた時、目の前の野球もまた、別の輝きをはらんでくれるだろう。そして、かなり陳腐になってしまった今のこの民主主義というやつも、おそらくまた。