フランスがうらやましい?

 

 フランスで若い衆が大挙してデモを敢行、全国規模に飛び火したようで、結局、いったん制定されていた雇用関係の法律を政府に撤回させるまでになっています。

 これを見て、さすがフランスの若者は意識が高い、ニッポンでもかつての学生運動に代表されるような、政府や権力に対する大衆運動の盛り上がりがあった、それに比べて今は……といった論調が一部の新聞や雑誌に、ちらほら出始めています。中には、「うらやましい」とまで堂々とのたまう新聞コラム子まで。いや、もう、思考停止の極み。恥ずかしすぎます。

 大衆運動? なくはないじゃないでしょうに。マスコミは未だに冷遇ですが、北朝鮮拉致問題の集会には一万人単位で人が集まりますし、数だけならマンガの同人誌即売会などにはもっとウヨウヨと。ある特定の思想信条に沿ったお仕着せの運動がダメになった、デモだの街頭行動などという形式が受けいれられなくなった、それが眼前の事実なわけで、「情けない」「うらやましい」と愚痴こぼすくらいなら、まずその理由を謙虚に考えようとする方が先でしょうに。

 確かに、われらニッポン人がデモや集会といった集団的表現を忘れてしまったことの意味は、静かに省みるべき問題ではあります。団塊の世代がリタイアし始めたことも関係しているのか、テレビなどでも青春回顧的な企画が増えていますが、それらの街頭デモの映像を見ても、今の若い衆が同じように動けるとはとても思えない。その程度に時代は、社会は容赦なく変わっています。マスコミ以下、その変わりようをつぶさに言葉にして、互いの「違い」を埋めてゆく土壌からして崩れ始めている、そっちの方がよほど憂うべき事態じゃないか、と、あたしなどは思っています。