柳美里という“しるし”

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 朝鮮人と言えば、柳美里である。

 とりわけ、なりふり構わず奇形な自意識全開垂れ流し、「弱者」「被害者」カードをふりかざしてわがまま押し通し、はた迷惑も全く省みない、まあ、普通に想定される「朝鮮人」のステレオタイプそのまんま、どこかで仕込んだんじゃないか、と思うくらいにベタな在日オンナキャラときたら、もう文句なしにこいつだ。比すべきキャラがいるとしたら現状、あの辛淑玉くらいのもの。ニッポン社会における「在日」「朝鮮人」のイメージを著しく下落させている功労者という意味では確かに最強、まさにボスキャラである。

  とにかく卑しいのだ、柳美里は。どこが? 「朝鮮人」「在日」というしるしを、最大限世渡りに活用し倒していることが、だ。

  「在日」のしるしを活用して世渡りするのがいけないのか? いけなくない。そうするしかなかった在日、とりわけ一世の実存、経緯は確かにある。それを「戦後」の枠組みの中、時代状況ぐるみ政府ぐるみで甘やかし続けてきたなれの果てが、昨今ようやく表だって糾弾されるようになった数々の「在日」特権だったりするわけだが、それにしても、ここまで腐り果てるにはそれなりの来歴というやつもある。その限りで、おのが負のしるしをアイデンティティに裏返しに転化してゆくこともまた、「持たざる者」の生の権利としてひとまず正当ではある。あるが、しかしそんな経緯や来歴を全部すっ飛ばしたところに生まれた世代が、そのしるしを切り貼りしてうわずみのうまみだけをちょろまかそうという卑しいやり口は、決して許されていいものではない。ここは古色蒼然のもの言いを持ち出そう。いいか、正しく「反動」ってんだよ、そういうのは。

  柳美里の言動、身振りだけで「在日」を語るのは乱暴だ、って? そりゃそうだ。在日全部があそこまでキチガイのはずもないし、あのキチガイを在日のせいにだけするのも失礼だ。何より、ああいうのが在日だと思われるのはほんとに困る、といった正直な感想も、他でもない、当の在日自身からさえ結構耳にする。まあ、当たり前の感想だと思うが、しかし、だ。そういう御仁もまた、その「困る」をおおっぴらに口にすることは、なぜかまずない。もしもあたしが在日だったら、同胞の恥さらし、ツラ汚しとしてこいつを自前でシメてやろうといきり立つこと必定なのだが、あにはからんや、いや、なにも弱者同士でいがみあうことはない、そんな内輪もめが結果的にサベツの構造を温存するのだ、といったわかったような能書きでしたり顔する手合いがうそうそと沸いてくる。特にメディアの界隈には腐るほどいるわけだが、冗談じゃない、それこそが「在日」利権の共同性、在日を今みたいなよどんだ状態のままにしておく言葉本来の意味での差別だってことに、てめえら、なぜ気づかないのか。

  言うよ、弱者上等。マイノリティ結構。負け組ウェルカム。はあ、格差社会? いまさら何おぼこいことぬかしてやがる。明治維新このかた、こちとらそういうせっかちな近代しかやってきてないんだっての。何の因果か、今おのれがそういう風下でスカな立場にあると自覚しているのならなおのこと、ちゃんと腕っぷし鍛えて強くなり、負けないようにのし上がろうとすればいい、まずはそれだけのことだ。かの北の楽園ならいざ知らず、少なくとも戦後このかたのわがニッポンには、その程度の「自由」ならば何とか確保されてきている。

  そう、在日や朝鮮人が卑しい、のではない。在日や朝鮮人という立場に居直り、弱者や被害者であることをダシに恨みつらみだけを養って肥大させ、利権で囲ってうまい汁だけ吸おうとする、そういう態度こそが卑しい――在日であれブラクであれビンボー人であれ、これは全く同じこと。この簡単な人の世の真実に理会し得ない程度の愚物がブンカだ、ブンガクだ、個人の自由だなどとさえずりまわるのは、いやもう、ちゃんちゃらおかしい。

  色が黄色かろうが白かろうが、あるいはしゃべる言葉が何だろうが、いやな奴もいればいい奴もいるし、ウマの合う奴もいれば虫の好かない奴もいる。世の中そんなもの。で、それがどうした、だ。生身の人間として「こいつ、気に食わないなあ」と思ってしまう、その感情自体までなかったことにする大文字の「民主的」な「正義」任せに現実を裁断する、それこそが真の「相互理解」や「共生」を最も遠ざける所業である――あたしゃもうずっと前から言い続けていることだ。だから、柳美里のような物件は、その卑しさと、それを許容してしまう環境とにおいて、とても許し難い。



 この卑しい柳美里、作家、もの書きとしては、ひとまずトラブルメーカーとして認識されている。卑しさがトラブルを招くのだから、必然っちゃ必然である。

  『石を泳ぐ魚』でのモデル(しかも、元友人だ)の扱いの身勝手さ、不人情さは裁判にまでなって知れ渡ったが、それ以外でも、おのれのガキの出生の経緯を存分にネタにして書いたものなども、こりゃ関係者はたまったもんじゃねえだろうなあ、としか言いようがない。ヘタにつきあおうものならそのままネタにされて書き飛ばされかねず、しかもその結果の迷惑については初手から配慮する気配もなく、これがあたしのブンガク、と殻におさまり返って、しかもまわりもそれを甘やかしているのだから始末が悪い。裁判に訴えたところで、本質的にどうなるものでもない。

  エキセントリックであること、普通と違うこと、既存のルールや秩序、約束ごとをただいたずらに壊してまわることがとにかく無条件で「正義」である、という勘違い。柳美里にはそんな勘違いの気配が濃厚に漂っている。おのが業としてどうしてもそうならざるを得ない、のではない、世渡りの手練手管として「やってみせている」のが透けて見えるからこその卑しさ、である。それはゲージュツやブンガク、アートなどと容易に結びついて、昨今ではサブカル乞食系のイタいキャラクターとして、また別のしるしになっていたりする。うっかり肥大した自意識もてあましたあげくのリスカ三昧やクスリ自慢、クリニック通いの精神科ジャンキーの類と大差ない。だから、今の情報環境においては、「在日」「オンナ」「ブンガク」といったしるしにしがみついて水ぶくれした自意識を辛うじて支えている、そんな柳美里ありさま自体がまず根源的に嫌悪感を持たれている。

 

  確かに、「戦後」のブンガクにおいて「在日」というしるしがどのように浮上し、使い回されていったのかについては、まだきちんと整理して論じられていない。それはそれで正しくブンガク史、ブンゲイ批評のテーマである。だが、柳美里自身の卑しさとそれは、ひとまず別に考えた方がいい。作家なのだからまず作品の中身をこそ、とか、在日だからサベツされているのだ、とか、そういうもの言いを発動してしまう時点でこいつの思うツボ。作家でも在日でもオンナでも何でもいい、こいつがまず人としてまっとうでないキチガイである、ということそのものにピンポイントで言葉を届かせようとしない限り、こいつの卑しい世渡り作法はおそらく揺るがない。

  サイン会が右翼に襲撃される、と大騒ぎした事件もあった。会場となった書店に脅迫があり、当人が騒いでメディアもこぞって事件に仕立て上げたものだが、しかし、組織として柳美里に攻撃を加える「右翼」などどこにも存在しなかった。単に柳美里の卑しさに反応してしまった男がいて、ストーカー気味にいやがらせをした程度のこと。その限りでこの犯人もまたキャラクターとしての柳美里を成り立たせている構造の内側にあらかじめ自縛されていたということなのだが、何より情けなかったのは、抗議を受けたという当の書店や版元、取り巻きの連中が右往左往して事態を「事件」にしちまったことだった。要は朝鮮総連チマチョゴリ切り裂き事件同様、限りなく自作自演に近いできごとだったのだが、その後この件について、メディアもブンガク界隈もきちんと検証しようとした形跡はない。柳美里、野放しなのだ。

  今思えば、右翼に攻撃されているワタシ、というのは、こやつにとっては最も望ましいものだったろう。攻撃されればされるほど「被害者」「弱者」のワタシが光り輝く、という、かの半島系伝統芸と化したドラマツルギー(笑)に従った、あっぱれひとり芝居の茶番と、それを寄ってたかってプロモートしてくれるのがメディアぐるみのいまどきのブンガク、という恍惚境。しかもこの茶番、結構世渡り的には効きがあったようで、一時はあれだけちょっかい出してケンカぶりっこしていた福田和也あたりともいつしか手打ちして、気がついたら仲良く同人誌でチイチイパッパ。ああ、もう、何をか言わんや。批評? 文芸評論? ちゃんちゃらおかしい。こいつのこの卑しい世渡りの手癖とからくりとを言葉にしてまな板に乗せることすらしない、できないブンガクなんざ、とっとと犬に食われちまえ!

  柳美里のような単品としてのキチガイがそのキチガイのまま「作家」にしたてあげられていった「戦後」このかたいまどきに至るニッポンのブンガクのからくりと、「在日」「朝鮮人」というしるしとの癒着、撞着の成り立ち、願わくばそれらを「在日」の内側から淡々と言葉にし、表沙汰にしてゆくような背骨の通った仕事が出てこなければならない。差別だ、不平等だ、と心底骨身に沁みて思うのなら、三世でも四世でもいいから在日よ、きっちり自前で引導を渡してやることだ。でないと、ああ、あれが話に聞く火病か、などとまた、昨今の嫌韓厨由来の知ったかぶり、それこそ経緯も来歴もすっ飛ばしたうわずみだけのもの言いが、対抗的に構築されてゆくばかり。キチガイで商売するってのなら商売人としての倫理、仁義ってのもあるんですぜ、ほらほら、矢来町だの一ツ橋方面の腐れボタモチたち、あんたら飼い主、勧進元のこってすよ。