焼肉をめぐる陰謀

 

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 難しい理屈はともかく、われらにとっての韓国/朝鮮とは、まず焼肉とパチンコ、である。あとはせいぜい風俗くらい。ナマで在日や朝鮮人と知り合う機会も、そうあるわけではない。

 パチンコと風俗はさておき、まずは焼肉である。韓国式の焼肉、炭火であぶったカルビやロース、時にホルモン系の食材までを、甘辛系の濃いタレにつけて食べる、ああいう食べ方は実はそんなに古くない。

 それまで焼肉と言えば、せいぜいオイル焼き、せいぜいバーベキューまでだった。大根おろしやポン酢は豚肉と合ったし、バーベキューもソースや醤油での味付けが定番だった。農村の台所にはマヨネーズやケチャップはもちろん、コショウすらないところが多かった。それがあの焼肉のタレ、というやつが日常に出回るようになり、肉の味付け方とわれら日本人の味覚にひとつ、静かな革命が起こったのだ。およそ1970年代、いまから30年ほど前のことだ。

 以降、焼肉と言えば、誰もが韓国式/半島流のコリアンバーベキューを思い起こすようになった。無煙ロースターなんてものもできて、炭火の煙もうもう、髪の毛から服、顔から手からメガネ、持ち物に至るまで獣の脂でこってりといぶされる、そんな経験もさほど違和感がなくなっている。

 そもそも、われら日本人にとって「肉」を食う、というのはそんなになじみのあることでもなかった。明治は文明開化の牛鍋(汁だく系のすき焼き、である)このかた、トンカツの発明、軍隊を介した肉じゃがの普及、さらには同じく軍隊糧食としての牛缶(ぎゅうかん、つまり牛肉の大和煮)から海軍名物カレーライスに至るまで、牛豚鶏を問わず、それなりに肉は食材として取り込まれてきたし、確かに「ごちそう」として認知もされてきた。

 だが、肉をそのものとして、塊や素材として味わう、ということはあまりなかった。江戸時代「薬食い」と言われた猪の肉(ぼたん肉)も、わざわざ「薬」と言わなければそのものとしては食べられなかったくらいで、魚に比べてやはりいまひとつ縁遠い味だった。

 敗戦後、その肉食の習慣がひとつ変わった。戦勝国アメリカ経由で「ステーキ」幻想が蔓延する。とにかく肉さえ食っておけば大丈夫、という、いまだと団塊の世代以上のオヤジたちの思い込みの原点。四コママンガでは、家族ですき焼きがごちそうであり、肉片を奪い合うのがお約束だったし、いみじくも誰かが「マンガの肉」と表現したあの骨つきの肉塊(ギャートルズ、を思い出せ)なども同様。「ビフテキ」という今となってはなつかしい言い方も含め、全てそんな戦後一気に肥大した「肉幻想」と共にあった。

 しかし、韓国式の焼肉は、決して家庭の味などではなかった。家の外、それも盛り場や街なかの雑踏にふさわしい味で、だからこそ普通の日本人にとって容易になじめるものでもなかった。家族そろって今日は焼肉、なんてことは、絶対考えられなかったのだ。ましてや、オンナのコがデートで焼肉、などはもっての外。焼肉屋カップルはすでにデキている、という言い方が一時期広まったのも、そういう韓国式焼肉にまつわる「ソウルフード」的なイメージが関わっている。

 肉を好んで食ったのは、まず、プロ野球選手やプロレスラー、プロゴルファーなど、フィジカルエリートたちだった。彼らの中に在日が多かったから? いや、そんなことよりもまず、「スタミナ」=「肉」、という図式が彼らの仕事に直接焼きつけられていたから、という事情が大きい。

 

 

 90年の牛肉の輸入自由化によって、さらに安く肉が食えるようになり、だがそれは言いだしっぺのアメリカが考えたような、ステーキをモリモリ食うような形でなく、焼肉のタレとのコラボレーションで韓国/朝鮮風味のバラ肉をみんなで楽しめるようになることだった。外国産牛肉という機動部隊は、焼肉のタレというゲリラに迎撃され、韓国/朝鮮サイドのしぶとい遊撃戦がひとまず勝利した。そしてその後、BSE問題がそんな焼肉業界に大打撃を与えたわけだが、しかしそれも、実はそこまで見越したアメリカの壮大なアジア戦略の陰謀だとしたら……ことは単なる食い物だけの問題ではなくなってくるのだが。

*1:ガラにもない陰謀論風味は、まあ、味つけということで。