小泉改革こそ競馬に必要

連休最後の7日、毎日新聞にとんでもない記事が掲載されました。しかも社説で。

「競馬の世界に小泉改革はなじまない」と題されたその記事、論説委員の石原進という御仁の署名原稿で、要はこのところ進められている競馬法改正についての批判記事。批判は大いに結構ですが、しかしそれがここまで的外れで、しかもあからさまにある意図の下に「批判」の装いで書かれるのは、競馬の現在にとってまさに犯罪的。にわかには許し難いものです。

地全協を解体して新たに「地方共同法人」とやらに改組しても事態は改善しない、そんなことで地方競馬がうまくゆくわけがない、と、今の競馬法改正の流れをばっさり。といって代案も特に示さず、そんなことより生産地のシステム改革を、と言うだけ。で、最後には「ギャンブルを民営化するわけにはいかない」、ですと。あのお、totoって今、どうなってましたっけか……?

いやはや、役人でも昨今もう少し巧妙にホンネをごまかすと思うのですが、ここまで露骨に恥も外聞もなく既得権益擁護、競馬エスタブリッシュメントの提灯持ちをやらかすとは。農水省記者クラブ周辺の従順な記者が聞きかじった程度の情報をもとに、要は「小泉批判」というマスコミのお約束に落としておけばいいか、程度で書き飛ばされた記事なのがありあり。競馬はあくまでも刑法(賭博の禁止)の例外として許されているもの、という前提を本気か方便か、いまどきまだ後生大事に奉じていると聞く現競馬監督課筋の覚えも、さぞやめでたいことでしょう。こと競馬に関して、いわゆるジャーナリズムの無力さについては、近年の地方競馬「存廃」「廃止」のすったもんだの中で改めて思い知り、歯ぎしりすることが多かったのですが、いや、それでもほんとにここまで腐っているとは……情けない限りです。

地方競馬がこれ以上壊滅したら、馬の売れて行く先もなくなる。今の賞金水準の地方競馬なんか得意先にならない、というのは現状その通りですが、だからこそ地方競馬中心に競馬を構造改革して売り上げを増やし、賞金水準もあげてもう一度信頼できる市場に再構築する、そうやって生産地も厩舎も馬主も、ニッポン競馬全体を共によくしよう、というのが今動いている競馬法改正の重要な柱です。このままほったらかすと地方や馬産地はもちろん、中央競馬も含めて何もかも全部ダメになる、そんな現状認識の上での乾坤一擲、これまでできなかった大改革をやろうとしている。それをこんな姑息な手で足を引っ張ろうとするとは。

確かに、生産地の改革も必要です。しかし、たとえ少数精鋭の生産構造になったところで、現実問題として全部の馬が中央競馬に売れるわけでもない。ならば、限られた資源をもっと存分に活用して競馬という事業をうまく回してゆき、売り上げを社会に寄与するよう使う道を考える、それが政策の大前提でしょう。百歩譲って、中央競馬だけ残ればいい、という政策判断(どうも農水省はそう考えているようです)があり得るとしても、考えなしに生産を縮小させて、ある程度の規模と資本力を持つ生産者だけで今の中央競馬に適応する水準の馬を生産してゆける目算がある、と責任持って言えるのならば立派なもの。ここは後学のために、僕などもぜひ一度ゆっくりそのへんを勉強させていただきたいものです。

関税を引き下げ外国産馬の敷居を低くすればいい、という議論もあるでしょう。しかし、それにしても前回この欄で触れたような馬主の減少、馬を買いたい、という購買意欲が一部に偏ってしまっている現状にさらに拍車がかかるだけで、これは仮に外国人馬主が許可になっても(早晩、そうなるでしょうが)本質的に変わらないでしょう。まるで社会主義国のような今の特権的な中央競馬の厩舎制度(そのことは現場の方々がいちばんよくわかっているはずです)と、それを支えているこの役人競馬=「管理」競馬の構造をまず改革しないことには、この悪循環は必ず温存されます。うまやもんが公務員になり下がっちゃおしまいです。

「公正競馬」が再前提である、というのは言わずもがな。けれども、その「公正」とは果たしてどのようなものか、ということを、時代の状況や情報環境、競馬を支えてくれるファンのニーズや想い、なども広く含み込んだところで改めて考えてみることも、また必要です。騎手や厩舎関係者を世間から隔離し「管理」する、といった発想だけで「公正」が確保できるような時代でも、もはやない。まして、役人が関わっているから「公正」なのだ、という考え方ほど、今最もズレているものはない。少し前、未曾有の競馬ブームをくぐってきたわれらニッポンの競馬ファンは、馬鹿なようで馬鹿じゃありません。問題のありかは、案外もうバレバレです。

もうひとつ、今の馬産地の窮状の大きな理由のひとつには、生産地対策と称して補助金の類をばらまくことだけを考えてきたこともあります。右肩上がりの中央競馬の売り上げがそれを可能にしてきましたし、そうやって目先のカネをふんだくることしか考えない生産者も残念ながらまた増えていった。それを後押しする勢力もあった。けれども、ニッポン競馬そのものが大きく変わらねばならない、そうしないと未来もないこの期に及んでまだ「カネよこせ」としか言えない、言わない生産地というのも、言いにくいことですが、実は大問題だと僕は思っています。このへんは改めて、また。