市場経済の学び方(草稿)

 少し前、中国の天安門広場に掲げられていた毛沢東肖像画の原画が、オークションにかけられるというので、彼の国で物議を醸していた。所有していたのは海外在住の中国人だとか。結局、出品は取り下げられたようだが、たまたま衛星放送でやっていた香港の討論番組ではこの問題がテーマで、賛成派と反対派がまっぷたつに分かれて盛んにやりあっていた。

 毛沢東という国民的英雄をオークションにかけるなんて、という立場もあれば、お札と同じで絵だから構わない、という意見もある。肖像画は複製だが原画にはアウラがあるから芸術的価値がある、いや、故宮の芸術品と肖像画の原画は違う、といったやりとりは、ベンヤミンばりの複製技術時代の芸術とは、という問いそのままで微笑ましい。とは言え、親の肖像画をカネに代えるのか、心のよすがの価値はおカネでは測れない、といった素朴な意見も案外多かったのは、おもしろかった。

 市場経済の現実に対してどうなじんでゆくのか、というのは、中国に限らず、日本だって近代このかた経験してきた歴史的過程である。「自由」といい「民主主義」といい、いずれ市場経済の浸透と無関係には存在できない。それは、資本主義の是非とまた別の真実でもある。ならばさて、そのことを彼の国の国民は、これからどのように思い知ってゆくのだろう。そして、その歩みに世界は、果たしてどんな視線を投げかけてゆくのだろう。