中田ヒデとカズの間

 

 ワールドカップ、日本予選リーグ敗退、でしたが。

 あたしゃ特にサッカー好きというわけでもないので、ほんとに人並みの関心しかございません。まして、そこらのタレントやらお笑い芸人から、よろず評論家や零細ライターに至るまで、この時期に何かとサッカー好きのふりをしやがるのは、なんだかなあ、と。まあ、商売ってのもタイヘンだなあ、ということで。

 どだい、スポーツライター、って連中は、同じもの書き稼業でもクズの佃煮、というのが、経験からくるあたしの持論です。特に、サッカー、F1、競馬、とくる一連のコンボにひっかかってるのは、大なり小なり広告資本のからくりに魂売り飛ばしたバカタレばかり、と言ってよろしい。その時その時の流行りもの、というかもっとはっきり言えば、広告代理店が仕掛ける煽りにヘタなサーフィンやらかしてるだけのこと。ひどいのは、このほとんどに首突っ込んでる恥知らずもいたりして。肩書きに臆面もなく「スポーツライター」ってつけてるやつは、まずこの手のココロ卑しい連中です。

 こういう結果ですから、したり顔で敗因探し、ってのもまたあちこちでやられてますが、そのもの言いというか、説明のパターンってやつもいくつか定番のものがあるようで。たとえば、日本人は農耕民族だから、狩猟民族向けのサッカーは本質的にあわない、なんてやつ。文化論からスポーツを語る、ってことなんでしょうが、新聞の論説委員あたりがこの手の能書きが好きなようで、そんなこと言ったら、野球だろうがバレーボールだろうが、今のスポーツと呼ばれるもののほとんどが狩猟民族たるあちらさん西欧の白人種がこさえたものなわけで、こちとらには初手から向いてないことになりますな。

 確かに、陸上競技にしても、全力疾走をするためのフォームがそれまでの日本人の歩き方、走り方とあわなかった、ってのは言われてますし、まして女子選手なんてのがなかなか出てきにくなかった、なんてのは、ある意味文化論の脈絡で説明できることではあります。戦前、マラソンで活躍した日本選手が考案したのがいわゆる地下足袋で、金栗足袋、なんて呼ばれて結構ヒット商品になった、とか、そういうハナシはトリビアネタだけでなく、そこからほんとの意味での「歴史」に眼を開いてゆく素材にもなり得るわけですが、先の「サッカー=狩猟民族のスポーツ」てなうわっつらの文化論でお茶濁す手合いにゃ、そんな背景もタメもあったもんじゃない。なんでもかんでも「文化」で説明しようとするのは、知的退廃の第一歩、トンデモへの一里塚、ってこってす。

 今回のワールドカップを見ててひとつ、あたしが気になってるのは、いわゆる広告資本の仕掛けで煽られる「流行りもの」ってやつが、どうもこれまでみたいに目論見通りに稼働しなくなってるんでないの? ということです。ジーコが日本代表の試合時間に関する不満を糸口に、ポロッとそういう広告資本批判をやらかした、ってのが一部で話題になってて、でもそれはあくまでも「噂」のレベルでなかったことにされて、ってのもまた、ネットを介していろいろと言われてたりしますが、でもそういう気分というか、結局なんかそういう仕掛けになってるんだよねえ、という認識は、その仕掛けてる側(広告代理店やメディアや、その他もろもろ)が考えてるよりもずっと広く、もう共有されているように思います。

 象徴的なのが、あの中田英寿(うわ、一発変換しやがった……ATOK)でしょう。ブラジル戦後、ピッチにひとり十分くらい寝っ転がって泣いていた、というのが報道されていますが、実は映画撮影のための「演技」でないの? というツッコミがすでに出ている。ことの真偽はともかく、そういうツッコミを平然とされてしまうくらい、「中田英寿」というのはまずキャラとして、商品として、そういう広告資本の煽りの内側にきれいにハマってる、ってことを、みんなうすうす気分としてもう持ってしまっている、と。

 

 たとえば、カズにはそういう印象は、あまりない。いや、Jリーグ立ち上げ当時のあのこっぱずかしいまでの狂乱沙汰の中で一番バブリーに立ち回っていたのひとりが彼だった、ってのも事実でしょうが、しかし、です。代表をはずされ、チームを転々とし、J2にまで身をやつしてでも、まだサッカーを続けている、今のカズの姿の中には、たとえば中田のようなあざとさ、いやらしさは正直、薄い。そうまでしてサッカーをやる、そうするしかない自分がある、ということについて、とりあえずあたしはカズを支持します。

 中田が今のカズみたいになってまで、サッカーをやっているかどうか。仮定の話はあまり意味がないでしょうが、でも、少なくとも今の印象で言う限り、中田は簡単にサッカーを辞めるような気がします。野球で言えば、そうだなあ、かつての江川みたいないやらしさ、と言えばいいのか。才能もあるし、華やかさもあるんだけど、でもひとりのスポーツ選手、まさに「プロ」のアスリートとして世間から全幅の信頼を置いてもらえるためには、何か肝心のものが欠けている、そんな感じ。

 このへんの違いはほんとに微妙だし、いざ言葉にするのはもっと難しいことだと思います。それでも、あたしゃやっぱり今の中田英寿は好きになれない。広告資本の煽りでドーピング食らったところでしか成り立たない「文化」ってやつが、どれだけ一時的に華やかなものになり、またそれなりの結果を見せてくれたのだとしても、それはやっぱり悪い意味でのハイブリッド、穏当な時間と経験の中で醸成されたものにはなりゃしない。サッカーでも、そしてあたしの主戦場である競馬でも、そのあたりのことはもうさんざっぱら、あたしゃ思い知ってきています。

  • 編集後記

 YouTube がとにかく人気の昨今、ですが。こんなのまで転がってます。トルシェ時代のジャパン(2002年)の様子だそうで。どうやら、報道陣が自前で撮ってたやつにテロップつけたような感じですが。

http://youtube.com/watch?v=fuyQmX9vN74

 中田ヒデの浮き具合、というか、体育会系脳みそ筋肉バカ、の中でなじめないのがよくわかります(笑) こういう浮いてしまうヒデ、ってあたりも含めて、ちゃんと微細に書いて伝えてくれる「スポーツライター」って、どうしていないんでしょうか。たとえば、竹中労が腹くくって書いた美空ひばり、みたいに。