西尾、狂った

 あ~あ、ほんとうに狂っちゃったわ、こりゃ。

 他でもない、西尾幹二のオッサンであります。例の「つくる会」がミもフタもない内ゲバ(でしょう、どう言いつくろっても)で四分五裂、 アタマから湯気出して絶縁状叩きつけたものの、それまでなんだかんだ言いながらも「自虐史観」の克服という大義の下、いずれ劣らぬ怪獣やキチガイ、あやしげなウヨ系利権屋からついでに天然系デンパまでも平然と入り乱れるあの「つくる会」をバックアップしてきた産経新聞までもが、この内部抗争の真っ只中で、とにかく西尾センセにはっきり「NO」を言い始めたものだから、そりゃあ自ら「保守」論壇の良心、言わば王様気分でいたオッサン、トチ狂いもするってもんで。

 もともと持ってたデンパ体質が一気に炸裂、いやまあ、取り巻きに乗せられてブログなんておっぱじめたあたりからビョーキが重くなってるのは見てとれたんですが、それにしてもここまでわかりやすい陰謀論を盛大に垂れ流すようになると、これまでいくらかでも好意的に見てきた人でもドン引き必定。商品としてすさまじい値崩れが始まってますから、心ある編集者あたりが諫言するなり、デンパに共振するだけの取り巻き(おそらく三十代から四十代の年下が多いのでしょうが)を遠ざけてブログだのネットだのから遮断するなり、何か手だてを講じた方がいいのでは、と心配します。

http://nishiokanji.com/blog/

 ご案内のように、「つくる会」周辺はものすごい誹謗中傷合戦になってるようで、やれ謀略だ、陰謀だ、と互いに「正義」合戦、馬鹿者のマラ比べを白昼堂々、やり合ってます。それはそれでまあ、こちとらもうとっくに関係ない身でありますから、無責任に見物していりゃいいようなものですが、それでもなあ、かつて立ち上がった頃の「つくる会」の初志からしたら、もうほんとにメチャクチャ。あの怪獣オヤジたちのこと、ほっときゃ早晩こういうことになるんでないかとは思ってましたが、それにしても情けない。

 雑誌その他でそれぞれの言い分が出始めて、それらを見る限りおよそ三つのグループに分裂しちまったようですが、西尾一派も、藤岡グループも、そして何やらにわかに祭り上げられて舞い上がってるとしか見えない八木秀次の周辺も、あたしからすりゃみんな十把一絡げにアフォ、の一言。結局「運動」に足とられて、肝心かなめの世間の側からそれがどう見られてるか、ってことが全く見えなくなっちまったんですから、もう完璧にアウト。どんなに能書き並べたところで世間の同情や共感はこれで全くパー、「運動」もヘチマもありゃしません。一巻の終わり、ってこってす。

 考えたら、何とか曲がりなりにも教科書こさえてみせて、負け戦を承知で採択戦を戦った段階で、会自体はもう役割を終えていたのに、幕の引き際を間違えてこういうことになっちまった、と。かつて薬害エイズ騒動で同じく「運動」に巻き込まれて消耗していた小林よしのりを見るに見かねて、その経験をぜひとも描くべき、と尻押しした結果が、例の『脱「正義」論』になったわけですが、そのデンでいけば、まさに今の「つくる会」の内側から改めて『脱「正義」論』が必要な状況ってことなんでしょうな。

 それにしても、もう、どいつもこいつも身じまい悪すぎ。今回の騒動の渦中にいる連中はもちろん、すでにケツめくった小林よしのりにしても西部邁にしても、いろいろ能書きはあるにせよ、結局は俗物の本性丸出しで、まあ、ニンゲン的っちゃニンゲン的、ではありますが、はたから見ている観客からすれば、何のこっちゃ、ですがな。

 中でも、この西尾センセはセコ過ぎる。藤岡センセにしても、東大定年後の固定収入見込んでの組織づくりだったのは当初から言われてたわけで、その程度の生活設計の中に「運動」も組み込まれていたようですが、そういう代々木経由の身すぎ世すぎと比べても西尾センセはその俗物さがいささか過剰で、おいたわしい限りであります。

 藤岡クンにかつがれて会長なんかになってしまったせいで、ボクには講演依頼が全然こなくなった、年収にして●千万円の損害だ――と、当時まだ本郷の裏通りの卵屋の二階にあった事務所で、ねちっこくぼやくお声を、あたしゃ今でも覚えております。まあ、そんなことをうっかり言っちまうくらいスッポンポンのお人好し、ってことではあるんでしょうが、それにしても、当時はまだ電通大の教授、いくら理科系単科大学の語学教員という冷や飯食いにせよ、定年前だから年間一千万ちょっとの給料はあったはずで、そこに印税その他で小遣い稼ぎ、杉並は善福寺界隈の瀟洒な地下室付き一戸建てはお安くなかったとは言え、還暦のご老体が食ってゆく上では何の不満もなかったことは確実。

 さよう、あの「●千万円の損害」のもの言いは、単にゼニカネ、金額の問題というよりも、「ただの冴えない大学教授じゃない、ジャーナリズムで広く仕事をし、天下に号令する大知識人であるぞ」というセンセのいたいけなプライドの重要な一部に関わっているという気配がありありでしたな。まあ、それくらいの損害は、その後『国民の歴史』の印税その他で何とか取り戻せたようで、「つくる会」という大バクチに賭けたセンセの収支決算はとりあえず黒字になったはず。まずはご同慶の至りでありますが。

 思えば西尾センセ、まわりの若い衆に対して、何かトクになることを鼻先にぶらさげてわが方に取り込もうとする、そういう手癖はありました。それは大学という狭い世界で生きてきた人特有のもので、何も西尾センセに限ったこっちゃないんですが、それにしても、やれ、ボクが新潮の編集を紹介してあげる、だの、誰それに会わせてあげる、だの、思惑がミエミエ。悪気はないにせよ、ああ、こういう具合に「論壇」なり「ジャーナリズム」なりに口をきいて派閥をこさえてゆくのがこれまでの「知識人」のデフォなんだよなあ、と、あたしゃ生きた民俗資料のように眺めていました。 

 そう言えば、このところのアタマに血が昇ってかつての記憶が蒸し返したのか、「コート事件」(めんどくさいので詳細略)までいまさら持ち出して、オーツキは当時、西部邁のやってた『発言者』に書かせてもらっていたから西部に尻尾振ってたんだろ、みたいなことまでどこぞで書いてましたが、語るに落ちるとはこのこと。原稿仕事を振ってもらった分、尻尾を振るのが当たり前、っておのれの世界観がバレちまってますがな。だったら、あたしが片棒担いでもの書き稼業に放り込んだ中宮崇などは、もっと思いっきりあたしに尻尾振ってくれなきゃいけなくなる理屈になるんでしょうか。いやいや、こうやってありがたくも【サイバッチ!】に連載くれている新大久保の大本営、雷太大明神には三国人アパートの前で土下座して忠誠を誓わなければならないのでしょうか。ああ、ほんっとにうざいよなあ、こういうセコさ。

 右でも左でもない、理屈や能書きよりはるか前、要は生身のニンゲンにまつわっているそういう世界観、これまでの「知識人」の当たり前のまんま息をしてやがる身振りやたたずまい、思いっきりはしょって言えば「オヤジ」の問題なんだ、ってことは、「つくる会」に首突っ込んでた当時からあたしゃ認識してましたし、公言してはばからなかった。今の四分五裂の騒動にしても、実はそのへんのズレがひとつ背景にあるようにあたしゃ見てますが、なんかもう、大文字のもの言いの空中戦に終始してて、肝心かなめの足もとのモンダイってのがほったらかされてますがな。


●編集後記

 「つくる会」にあたしが首突っ込んでたのは、確か97年の秋まで。もう10年近く前のことですから、その後あの会がどんどんふくれあがって、あたしの知っている頃のそれとは違うものになっちまってるなあ、というのは、当時事務局にいた若い衆やまわりの会員などからも、その後も間接的にいろいろ耳にしたり、グチを聞いたりしていたので感じていました。

 

 小林よしのりについても、結局は西尾幹二藤岡信勝西部邁との間の「玉(ぎょく)」の取り合い。良くも悪くもオブザーバーの立場でいたはずなのに、そこまで当事者として巻き込まれるままに任せちまった、またそれをよしとする雰囲気を理事会以下、幹部間で共有するようになっちまった、ってことなんだと思っています。もちろん当人もそれを許容したってこってすが。

 

 伊藤隆センセが手を引いた、ってのが一番わかりやすかった。それを聞いた時、ああ、ほんとにもうダメなんだな、と思いましたわ。だって、あたしが首突っ込んでた頃の「つくる会」でさえも、理事会でまともな発言と対応をしていたのは伊藤さんと小林よしのり、それに亡くなった坂本多加雄さんの三人だったんだもの。藤岡センセは代々木官僚丸出しの議事進行だし、西尾センセは小心な分、いろいろ気配りしてみせても結局は唯我独尊。やんごとない大学インテリの寄り合い以上ではなかったんですわ、良くも悪くも。まただからこそ、立ち上がった当初はあたしみたいなのでも何とか裏方やれてたところはあったんだと思いますが。

 

 「つくる会」とは何だったのか、というのは、少しあたし的にもしっかり書き残しておかねばならないと、改めて思っています。そりゃ「つくる会」自体晩節穢しまくりでどうしようもないわけですが、と言って、あの小熊英二みたいなしゃらくさい手癖の総括で片づけられたり、また今回の騒動で腐れサヨが居丈高になったり、ってのは、またけったくそ悪いことこの上ないですから。