斉藤貴男、というキチガイ

 斉藤貴男、というキチガイがいます。『ゴルゴ13』のさいとう・たかを、と発音は同じですが、もちろん別人。一応、看板は「ジャーナリスト」ですが、こやつ、ここにきてまた一段とキチガイの症状が悪化しているようです。一応、経歴はこんなの↓

さいとう・たかお 1958年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。イギリス・バーミンガム大学修士(国際学MA)。日本工業新聞記者、『プレジデント』編集部、『週刊文春』記者などを経てフリーに。『カルト資本主義』(文春文庫)『バブルの復讐』(講談社文庫)『小泉改革と監視社会』(岩波書店)など著書多数。最新作に『ルポ 改憲潮流』(岩波新書

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%B2%B4%E7%94%B7

 一枚看板として名前が出てきたのは、あたしの記憶では梶原一騎の評伝あたりから。それまでもいろいろ言われていて、すでにお笑い系のネタにもされていた梶原一騎ですが、一応それなりに筋の通った第三者による評伝という形でとりあげられたのは、これがほぼ最初、と言ってよかったような。中身についてもまあ、手堅いもので、今の斉藤貴男のようなキチガイサヨクデンパぶり、はほとんど感じられないものでした、とりあえず書いたものからは。

 それがいつの間にやら、反権力反政府反国家で「個人と言論の自由」絶対原理主義、な絵に描いたようなキチガイサヨクデンパぶりがあらわになり、ありゃ、こんなこと考えてるやつだったのかよ、と思ってるうちに症状がみるみる悪化、もはやどうにも手がつけられないまでに。最近だと、かのオーマイニュース(笑)に連載コラムを持っているのが参照するのに一番手っ取り早いでしょうが、いやもう、完璧にビョーキ。かつての梶原一騎評伝の頃の面影、かけらもありませぬ。

http://www.ohmynews.co.jp/OhmyColumn.aspx?news_id=000000001449

 個人的に一度ゆきあったことがあるのは、あれは確か、個人情報保護法法案反対運動、の時だったか。宮崎学やら大谷昭宏やらそのへんが音頭取ってやってた集会に、ごく個人的なつながりで頼まれて顔出した時。一応、壇上にあたしもあがって、やっこさんも並んでいたような。特に言葉をかわしはしなかったけれども、すでにもう何か「運動家」の風貌、語り口になっていて、と同時になんというか、ああ、こいつこうやって何か高みから「正義」(と自分が信じている)を演説するのがとにかくキモチいいんだろうな、というオーラがはっきり出ていました。

 人はなぜ、いまのこの情報環境においてなお、キチガイデンパサヨ系言説に転んでゆくのか、というのは、あたしゃ結構以前から気になっていることのひとつでして、特に高度経済成長期以降に生まれ育った世代の中にそっちにどんどんハマってゆく症例が結構目立つのには興味津々。かの大塚英志香山リカはすでに一部で大人気ですが、この斉藤貴男などもある意味典型。言ってること、書いてる中身は確かに「反権力反政府反国家」なのに、その背景にあるそいつ自身のココロの闇、モヤモヤした部分といったものは、そんな思想信条沙汰とはまた別のものがある、と思っています。

 雛型としての「サヨク」ってのがまず、ある。【サイバッチ!】大本営の雷太がかねがね言うように、サヨク&リベラル=アタマがいい、という図式がマスコミ界隈には特に根強くあって、そう思われたい、と思っている手合いは無意識のうちにそっちに引きずられる、という事態。それは確かにありますし、程度の差はあっても、今もなお、そういうからくりで「サヨクデンパ」になってゆくバカはそこそこいます。そっちの方が仕事が増えてカネになるからだ、とまで雷太は言いますが、ただ、あたし的にはもう少し修正しておきたいですな。敢えて言えば、「ある種の」仕事が増えて「以前の自分のポジションよりは多少ラクに」カネになるような「錯覚」がとりつきやすい、って感じでしょうか。あともうひとつ、「ある種の」マスコミや文化人などからちやほやされる機会が「以前よりは」増える、ってことも。

 そう、いまどきなお「サヨクリベラルデンパ」に傾いてゆく手合いってのは、まず「認められたい」、それも自分がエラいと思っているようなメディアや文化人方面から、というのが前提にあって、その上に、できればラクにカネ儲けをしたい、というのも重なっている。というのも、連中の多くの経歴を見れば察せるようなものですが、マスコミ業界的にその出自経歴、仕事の蓄積も含めて、みんないまひとつ中途半端、というか賤しいんですね(笑)。そんなの本質的にどうでもいいことだと思うんですが、でも彼らにとっちゃそうでもない。自分はこんなにマジメに仕事をしてるのに、どうしてもっと評価されないんだ、ほめてもらえないんだ、というウップンが知らない間にたまっていて、それはそれで誰しもあることで、ルサンチマンとウップンならば他でもない、わが【サイバッチ!】界隈とて人後に落ちない自信はありますが、こいつらが何よりいけないのはそれを自分で正面から見つめることのないままだった、というあたりじゃないか、と。

 学歴ロンダリング、ならぬ、コンプレックスロンダリング、とでも言うべきそんなからくりが、彼ら季節はずれの「サヨクリベラルデンパ系キチガイ」には働いています。

 と、ここまで読んで、なんだそれって、そういうサヨクリベラルデンパが最近よく言っている「ネット右翼」批判と構造的によく似てるじゃん、と思ったあなた。そう、それはおおむね正しい。ネットで保守言説に傾くのはひきこもりのニートで、実社会での自信のなさや不安を埋めようとして国や公などにアイデンティティを求めてしまう、というアレ。あれはそのまんま、そういうもの言いを振り回しているサヨクリベラルデンパ系の連中自身の心象風景の投影、なのであります。

 だから、ここはもうついでにちと剣呑なことまで言いますが、そういう心象風景を抱えて相対化もできないまという意味では、サヨクリベラルデンパ系言説を批判している側、保守系憂国系と分類されるような立ち位置にも同じモンダイを抱えたままの手合いが山ほどいる。勝谷誠彦などはわかりやすくて、この斉藤貴男あたりとは左右対称の御神酒徳利みたいなもの。そのどっちも文春に深く関わっていた(あるいは、今もいる)というのは、いろんな意味でほんっっとに興味深いハナシであります。その他、あんな人やこんな人、結構いますよねえ、一応「保守」看板で世渡りしてても、内実は同じじゃないのかよ、って手合い。

 斉藤貴男に関して言えば、今はもう目先の仕事をこなしてゆくので手いっぱい、自分がもともと何を考え、何を思い、何をどうしたいがためにもの書き稼業なんかに首突っ込んでいるのか、などはもう全然落ち着いて考えられない状態で日々を過ごしているんだろう、と思います。そのへん、先の勝谷なんかも全く同じでしょうし、巻き込まれている事態、状況の疾風怒濤ぶりというのは、立ち位置がどうのこうのなんてしゃらくさいハナシでもなく、まさに「平等」に、いまどきのマスコミ稼業界隈にデフォになっているわけで、それらを前提にした上でのウヨ/サヨ沙汰だ、ってことをまず、もっとまっとうに認識しないと、こちとら観客の側だってほんとに賢くなれやしない。

 そう言えば、安倍晋三のまわりのブレーンと称される「五人組」も、ものの見事にそういう賤しさ、経歴や実績上の中途半端さが裏目に出てジタバタしてきたような手合いがずらりと並んでいますなあ。あたしゃこのところずっと小泉支持で一貫してきましたが、こと安倍政権ということになると、おそらくこのブレーン発のチョンボやいらぬつまづきがかなり早い時期に出てくるんじゃないか、とにらんでいます。で、それって斉藤貴男級の物件が急激にサヨクリベラルデンパ化していったのと同じような速度とトホホぶりとで、保守ウヨ憂国ナショナリズム系の方向にデンパ化してゆく、てなものじゃないかと。

 ま、このへんは、おそらくいい機会がじきに訪れるような気がしてますんで、その折りにでも、また。

●編集後記

 『産経新聞』の「断」というコラム欄で、定期的に署名原稿書いていて、それは産経が始めたブログ「iza!」にも反映されることもあって、ネット界隈でもいろいろ反響があったりするようなのですが、ちらほら眺めていると、ああ、ほんとにものを読む能力ってのは人それぞれ、バラバラなんだなあ、ということに改めてしみじみします。一番、最近のはこれ、なんですが↓

【コラム・断】「私」の祀りなき時代の靖国

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/19119/

 こっちではあたしのこの原稿、「釣り」扱いされてます・゜・(つД`)・゜・

http://kazu-haya.iza.ne.jp/blog/entry/38941

 あと、盆や彼岸の墓参りと靖国以下の神社祭祀をいっしょくたに……とか、まあ、ツッコミどころはいくらでもあるんですが、でも、そういう「間違い」なり「誤読」なりを「ただす」、という方向だけに眼つり上げるのは実はあまりもう意味がないのでは、という気がしています。こういう読み方をする人が現実にいる、ってことがこっちにもわかるようになってきた、そのことをまずありがたいことだ、と思うようにしよう、とか、まあ、そんな感じですか。